第29話 死に屍

「…ん?」

気付くと私は暗闇の中を、ゆっくりとした歩調で進んでいた。変な言い回しになるが、真っ暗闇だというのに、初めのうちは視界がボヤけていたのが、徐々にはっきりしてくる感覚を覚え、それと同時に今自分が歩いているのに気付いたといった次第だった。

尤も、真っ暗闇と言うのも誇張かもしれない。何故なら、手元には例のカンテラを持っていたからだ。カンテラからは、柔らかなオレンジ色の光が、ボーッと漏れて、私の足元、半径一メートル周辺を照らしていた。試しに顔の辺りまでカンテラを持ち上げ、周囲に光が行くようにして見たが、相変わらず広い空間が広がっているようで、何も反射する個体が見つからなかった。

…あぁ、あそこか。

視界とともに頭もハッキリし、今の状況を把握することが出来た。まぁ尤も、”頭がはっきり”という表現は、正確には間違っているのかも知れない。何故なら、これは夢なのだから。

自分の夢の事ながら、前回までいたあの部屋を出て、今いる時点がどのくらいの時間歩いて来た辺りなのかは、把握することが出来なかった。前回と変わらず、暗闇の中で時折何者かが蠢いている気配を感じてはいたが、初めのうちは一々ビクッと恐れ戦いていたのに、慣れというのは恐ろしいというか有り難いもので、『またか…』てな具合に流せる程にはなっていた。しかしここでまた別の問題が生じてきていた。私がこの身に孕んでいる最大の”悪弊”もしくは”弊害”…そう、”なんでちゃん”がずっと胸の内で存在を現してきていて、『蠢いているその正体を暴こうよ』と頻りに訴え続けてきていたのだ。目を覚ましている時とは比べ物にならない位に、アピールしてきていた。まるで、胸の内側から強くノックしてくるかの様で、実際に胸が痛く苦しく、思わずカンテラを持たない手で、胸の辺りを摩ったり抑えたりしなくてはならない程だった。とこの時、現実世界でもこんな事があったのを思い出したりしていた。そう、最近になってまた存在を現してきていた”黒く重く重量を持った形容のし難いナニカ”の事だ。一応補足をすると、これまでにも二度ほど今と似た様な事があった。小学生時代と、お父さんに連れられて所謂”社交デビュー”をしたその時だ。まぁ今だにコレの正体が掴めずにいるのだが、それでも今この夢の中で起きている胸の苦しさからは、形容し難かったソレが、少し具体性を帯びている様に感じていたのだった。

…とまぁ、あまりにも長い時間暗闇の中をひたすら目標物も見つけられないまま歩き続けていたので、ついつい思考が捗り、その広大な海の中にドップリと沈み込んでいたのだった。

どれほど歩いた頃なのか、ふと遠くでボーッと光る灯りが見えた。その光は今にも消えそうな程に頼りなく弱々しく、またユラユラ揺れていたので、最初見た時は火の玉か何かかと思い、久し振りにビックリ驚き恐怖を覚えたが、待ちに待った新鮮味のある大きな変化だという事で、何とか必死に勇気を奮い起こして、怯えつつもゆっくり慎重にその光源を目指して歩くことにした。

向こうの方で、歩いているのかどうだか判断は難しかったが、仮に歩いていたとしても余程遅いペースなのか、こちらがそんなに急いで歩み寄っていなかったのにも関わらず、気付けば凡そ二十メートル程にまで近付いていた。近付く分、その頼りない灯りが気持ち強まるのを感じていた。

とその時、突然私の周囲でタッタッタッタという、恐らく足音だろう、何人分かの足音が聞こえて、すぐ脇を通り抜けたかと思うと、その灯りに向かって駆けて行った。

何事だろう?

と私は思わず歩みを止めて、進行方向の先、灯りの方をジッと見ていた。

ふと足音が止んだので、何の根拠らしい根拠は持ち合わせていなかったが、何となく数人が灯りの周りを取り囲んでいるのだろうと思い描いていた。

それからどれくらい経っただろう…?恐らく数分ってとこだろうが、その間は、さっきの慌ただしい足音とは打って変わって、それ以前のと同様の静寂が辺りを支配していた。

先程から”なんでちゃん”が起きていたので、息苦しくなるほどの好奇心に見舞われていたが、この時は得体の知れない恐怖心の方が勝って、その場から一歩も踏み出せずにいた。

とその時、ヒューっと私の周囲に空気の流れを感じ、生暖かいヌルッとしたジメッとした風がホッペを撫でたかと思うと、目の前で瞬いていた灯りが倒れるかの様な動きを見せたその直後には、ドサっという、実際に何かが倒れる音がした。そしてその数秒後には灯りもスッと消えたのだった。

私はこれまた突然の出来事が目の前で起きたので、暫くはそのまま灯りがあった辺りを見ていたが、恐る恐るその辺りに向かって足を前に動かした。

摺り足に近い方法で徐々に近づくと、ふと私のカンテラが灯す足元の向こうに、ボロボロのスニーカーとズボンが見えた。

私はギョッとした。それだけしか見なくても、それが人間の下半身だと分かったからだ。流石に触りはしなかったが、その中にはちゃんと”モノ”が入ってそうに見えた。細すぎるとは思ったが、どうやら身に付けられている状態の様だった。靴の角度なりズボンの様子を見て、うつ伏せになっている事も判断出来た。

ギョッとしたと言ったが、もし目が覚めていたら、ここまで驚きはしなかっただろう。少しは驚き心配をするだろうけど。では何故この時にそんなに驚いたかというと、何せここまで私以外の、人どころか”有機物”自体に出会えてなかったのだ。急展開に感じて驚愕するのも無理はないだろう。

それから私はカンテラの明かりをソレに当てつつ、ゆっくりと慎重にもっと近付いた。とその時、私は思わず「キャッ!」と短い悲鳴を上げてしまった。カンテラの柔らかな光に浮かび上がったのは、真っ白な髑髏だったからだ。当然というか、実際に見た事が無かったし知識も無いから何となくでしか言えないが、周りに付いているはずの肉が綺麗に無くなっているところを見ると、亡くなってからかなり時間が経っている様に推測された。真っ先に頭部に目が行ったので後になって気付いたが、シャツの袖から出ている手も、綺麗に骨だけになっていた。わざわざ確認する気は起きなかったが、おそらく下半身も綺麗に白骨化しているのだろうと思った。

と、骸の手元から少し離れた所に、今私が手に持っているのと同じ型に見えるカンテラが転がっているのが目に入った。火はもう消えていた。

最初こそ恐怖のあまり、駆け出したいくらいの心持ちでいたが、人間慣れというのは恐ろしいもので、しばらくすると落ち着いてその亡骸を慎重にじっくりと観察できる程の余裕が出てきていた。寧ろ…こう言うと”不謹慎”だと言われそうだが、この時の正直な気持ちを述べれば、自分が置かれた状況を楽しみだしていたのだ。

何せ、状況証拠から見て、さっきも言った通り本来だったら死後幾日も経ってそうに見えるのに、恐らくさっきのユラユラ揺れて動いていた灯りの持ち主は、そこに転がっているカンテラを見れば明らかで…という事は、白骨のこの御仁がこの姿のまま、暗闇の中をカンテラを持ちながら彷徨っていたという事になる。

…普通に考えたら”ホラー”だし、周りからどう見られているか分からないが、自己申告させて貰えれば、本来の私はホラーが得意な方では無かった。 寧ろ嫌いと言っても良い。 だが、これが夢だと確信出来ていたのが大きかったのだろう、恐怖心よりも好奇心が勝り始めていた。

…先程”慣れ”と言ったが、一つまた別の視点から話すと、実は慣れてくるのと同時に、何故かこの屍に対して”懐かしさ”の様なものを感じていた。馬鹿な事を話すなと言われるかも知れないが、当然いくら骨を見ても面影など分かるものではないし、ボロボロになった服装を見ても、そんな格好をした人に見覚えは無かったのにも関わらずだ。私はこの段階になると、この屍が誰かという疑問と同時に、根拠も無いのに懐かしさや親しみを感じ始めている”自分自身”に対して、面白がりだしていた。

…この骸がカンテラを持って彷徨っていたのよね…?で、今こうして倒れていると…。んー…っと、確かあの時、見えない複数のナニカが駆け寄って行った様に感じられたけど…それと何か関係があるのかしら…?…あるに決まっているわよねぇ…。

先程も言ったが、不思議な事とはいえ、新しい出来事がようやく起きたので、こういった具合に推理したり、思いを巡らしたりと頭をフル回転させていた訳だったが、不意にここで、何か生温かな液体のような物がホッペを伝うのを感じた。不思議に思い、拭って、跡を辿って見ると、その出所は目からの様だった。そう、それは涙だった。

確かにこの屍に親しみを感じてはいたが、涙を流す程だったのかと私はまた大いにビックリした。これも夢という現実離れした世界の為せる技なのか、拭っても拭っても涙が止め処なく流れ出てくるのだった。終いには私はそのままにしてしまった。何故なら、別に流しっぱなしにしても、視界がぼやけるような事は無かったからだ。

一体…これはどういう事だろう…?今私が涙を流した事も含めて、今回の一連の流れには、どんな意味が隠されてるの…?

とまた私は頑張って何とか解明しようとしてみたが、どう考えても”材料”が足らな過ぎて、結局同じ所を堂々巡りするだけだったので、一旦ここで諦めて、もう少し何かプラスになるものはないかと、屍の周りを観察する事にした。しかし、やはり流石に気味が悪くて直接に屍は触れなかったので、火の消えたカンテラを調べてみる事にした。そう決意したその瞬間、さすが私自身の夢だと言うべきか、都合良く涙もピタッと止まったのだった。

早速私はカンテラを手に取り、自分ので光を当てて見ると、やはりというか、このカンテラのガラス部分にも字が書かれていた。ただ結構月日が経っている上に、風雨に晒されたりしたのか、掠れてなかなか読み辛くはなっていた。なので私は顔をそれに近付けて凝視した。

えぇーっと、なになにー…えっ?”藝”…?


「藝…?…え?」

私は自分の呟きで目が覚めた。見慣れた天井がボヤけて見える。

頭だけを部屋の方に向けると、カーテンの隙間から陽の光が差し込んできていた。どうやら天気は快晴らしい。

ふと枕元近くのサイドテーブルに乗っているデジタル時計を見ると、日曜日の朝という表示と、九時半過ぎを示していた。

自慢では無いが、私はいくら遅くに寝ても早起きをしてしまうタイプなのだが、これだけの遅い時間に目を覚ましたのは、物心ついてから初めてだった…と記憶している。

もうこんな時間かぁー…。まぁ帰って色々と済ましてからベッドに入ったのは、確か二時を過ぎていたもんねぇ…。

などと思いながらゆっくりと上体を起こし、両腕を真上に上げて伸びをし、その先の手を合わせて左右に振ったりしてストレッチをしていたが、この時ふと、視界のボヤけが中々引かないばかりか、瞼自体も動かしにくくなっているのに気付いた。その様な軽い異変に気付いたのと同時に、ほっぺも何かが張り付いている様な違和感を覚えた。

私はまず軽く目を擦りつつベッドから抜け出て、それから部屋にある姿見の前まで歩み寄った。そこには寝間着姿の私が映っていた。

よく見える様にグッと顔を近づけると、驚いてしまった。何故なら、そこにいたのは目の下に幾筋も涙の跡を残す私の顔だったからだ。目も軽く充血していた。

…そっか、夢の中だけでは無かったのね。あーあ…こんなになっちゃって…。

この時の私はそれ程重大視せずに、ひどい顔をしている自分の顔を暫く撫で回してから、机に向かい、この夢を見たときのルーティンワークの一つ、ノートに夢の内容を書き込み始めた。

今回は内容豊富だったので、書く量も若干多かったが、ペンは滑らかに滑っていった。

と、最後の段になって、灯の消えたカンテラを調べる辺りを書き終えたその時、ふとペンの底を顎に当てつつ考え込んでしまった。

…あれって、どういう意味だったんだろう?



二巻へ続く

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