第20話 夢?
「うーん…あれ?」
いつの間にか真っ暗闇の中に私はいた。
…って当たり前だな、瞼を開けていないのだから。
そんな当たり前のことを一々確認しなければ分からないなんて、自分でも気付かないうちに随分ノンビリとした性格になってしまった様だ。
…ん?でも一体どうして今こんな状態に置かれているのだろう?
…あぁ、そうか…お父さん達と別れて家に帰って、私の帰りを待っていたお母さんにアレコレと、”社交”について質問されたのだった。私なりに何とか、例の”違和感”をしっかりハッキリクッキリと胸に感じつつも、笑顔で卒なく受け答えが出来た筈だ。何故ならそんな私の返しを聞いて、お母さんはさも満足げな笑顔を浮かべていたからだ。でも正直…そこから先は、自分がどうしたかまるで覚えていない。でもこうして横になってるって事は、いまの私には思い出せないが、自室に入りベッドに横たわり、そのまま寝落ちをしてしまったという事だろう。
…うん、何となくまだ起きたばかりのせいかボーッとしている頭で考えた割には、ある程度は筋が通ってる様に見えるけど…でもまだ拭いきれない違和があった。それは、いま私が横たわっているベッド”らしき”モノのせいだった。自室にある使い慣れているベッドとは、似ても似つかない感触を背に感じていた。普段使いのベッドは、スプリングが程良く効いた寝心地のよい代物だったが、今私が横になっているのは、ベッドと呼ぶには程遠い、スプリングがどうの以前に、例えるなら木製の簀の子の上に寝そべっている様な感覚に近かった。…まぁ尤も、私自身は簀の子の上に寝転がった経験は、残念ながらまだ無いのだけれど。でも今背中に感じる、等間隔に空けられた溝らしきものを確かに感じるので、あながち間違いではないだろう。
…いや、そんな無意味な予測推測をする暇があったら、実際に今すぐ目を開けて見ればいいじゃないか。…勿論、自分でもそう思うし、そうしたいのは山々だったから、こんなクダラナイ自問自答をしている間も何度も試みてはいるのだけれど、どういうわけか、自分の瞼だというのに中々開けられなかった。目の周りには、何か別の感触がある訳でも無いから、拘束されている訳でも無さそうだけれども、不思議と幾ら開けようと意識しても、まるで自分のでもないかの様に自由が利かない。
…ふふ、しかし自分の家にいて拘束されたかどうかなんて、そんな事が頭を過るなんて…
と、自分の想像力の豊かさに少しの間自嘲していたが
まさか、寝ている間に誘拐されたりなんかしてないわよね…?
なんて事を、自分でも突拍子もないとは思ったが、あり得ないとも言い切れない様に感じるほど、あらゆる感覚が麻痺していた。
…でもいつまでもこのままではいられない。何とかまず目を開けないことには始まらないのだから
パチ
そんな事を今までよりも気持ち強めに思った途端、先程までの不自由さが嘘の様にいつも通り(?)に軽く開けられたのだった。
まず目に飛び込んできたのは薄暗がりの中の天井だった。まぁ、仰向けでいるのだから当然と言えば当然だが。…いや、そんな事より、今はこんなに冷静に話しているが、初めてこの光景を見た時の私の衝撃と言ったらなかった。まだ眼球を動かしてもいなかったから、全体を把握するには至っていなかったが、すぐにここが私の部屋でないことに気づいた。
…え?ここは…一体どこ?
まったく身に覚えのない場所だった。私はまだ身動きひとつ、視線を動かす事すらしていなかったが、気は動転していた。と、それに追い打ちをかける様に、今度は鼻腔を刺激された。何と言えばいいのか…そう、何年も使われていない部屋の中の様な、要は埃っぽい臭いだった。
…え?大袈裟?うん確かに、それだけだったら”追い打ち”とは表現しなかっただろう。ここまで辛抱強く聞いてくれた方なら察する人がいるかも知れないが、そう、今までずっと目を開けられなかった訳だったけど、鼻には何も詰められてはいなかったのに、こうして目を開けるまで鼻も利いていなかった事に気付いたからだった。
これには驚いた。視覚と嗅覚が同期して動くという事があるのだろうか?…いや、聞いた事がない。
私は試しに耳を澄ませてみた。…いくら待っても微かな物音、空気の流れる音、そして何と自分の体内から発せられる筈の音まで聞こえてこなかった。
その事実、現状を認識すると、また新たに気が動転していると”思っている”のだが、しかし不思議と焦りや恐怖感はまるで無かった。意識が起きた時から今まで、確かに事あるごとに一々驚いたりはしていたが、そこから出て来るはずの”感情”が湧いて来ないのだ。
何故だろう…?
そう思った私は、ここでやけに自分が今まで”客観的”に現状を観察しているのに気付いた。まるで己の事ではなく、他人事の様に感じていたのだ。 一口に言って、そんな感覚でいるせいで”リアリティー”が微塵も無かった。今の所まだジッと動かないままではあったが、これまでの事を鑑みた結果、漸く今がどういう状況なのかが理解出来た。
…そうか、夢かこれは。
なーんだと呆れ気味に溜息をつくと、今度は体全体に生気が漲っていくのを感じた。今までも無理すれば動けそうだと考えていたが、目を中々開けられなかった事を思い出し、状況が自然と転じていくのを待つスタンスでいたのだ。それが功を奏したのかは分からないが、肉体だけではなく精神的にも起き上がる気力が湧いてきたので、ゆっくり慎重ではあったが、のっそりと手を付きつつ上体を起こした。
もうすっかり普段通りに体が思った通りに動いてくれる様になってる様だ。頭もいつも程度には働いてくれてる様だ。聴覚も、今はハッキリと心音などの体内の音が聞き取れるので、戻っている様だ。
だが、戻ったらしい聴覚を持ってしても、周囲の音は相変わらず物音一つ感じ取れなかった。ということは、改めて言うまでもないが、元からこの空間には物音ひとつしていなかったということだった。
さて、すっかり自由の身になった私は、興味深げに周囲を注意深く見渡した。窓一つ無く、光源も見当たらないのに、当然明るくは無かったが、その場にある一つ一つが何か判別出来るほどではあった。さっきも言った、所謂”薄暗がり”という表現がピッタリだった。
では早速身近な所から見てみよう。
まず横たわっていた場所。先程は簀の子と例えを出したが、それはあながち間違っては無かった。マットレスを置く前の、骨組み段階のパイプベッドというのが正解に近いだろう。違う点を上げれば、一般的なパイプベッドよりも、隙間が埋められているくらいだった。こんなのでは、私のベッドと違って感じるのは当たり前だ。
その次に見てみたのは…
…いや、裸のパイプベッドの他には目ぼしい物は何も見当たらなかった。強いて他に何か取り上げて説明を試みるならば、今私がいるのが、どうやら五畳ほどの小部屋らしい事、臭いからも分かった様に、床一面に埃がたんまりと積もっていた事、その床、天井、そして四方の壁には幾筋ものヒビ割れや亀裂が所々重なり交差しつつ縦横無尽に走っていた事、そして上体を起こした目の前の壁には、この薄暗がりの、敢えて色で表現するならば灰色一色の空間の中ではあまりに異質過ぎる、赤茶色の、見るからに錆びついた鉄製の扉があるだけだった。
この部屋の中で、何か私から変化を与えられそうなのがその扉しかなかったので、早速腰を上げて歩み寄ってみた。近づくと、途端に錆び独特の臭いが鼻を刺激した。表面を撫でてみると、所々ささくれの様になった部分がボロボロと容易に剥がれ落ちてしまった。これらの様相から、最近錆びたのではなく、下手すると何十年も前からこの状態だという様に推測する事が出来たのだった。
試しに取っ手らしき物に手を掛けて動かそうとしたが、鍵が外から掛けられているのか、それともそもそも錆びすぎて機能しなくなっているのか、要因は定かではなかったが、取り敢えず今はっきりしているのは、現状ではこの扉を開ける事は叶わないという事だけだった。
仕方ない…。
私は横たわっていた元いた場所に戻り、腰を落とし、暫くはまた周囲を見渡していたが特に変化も見られなかったので、一番初めと同じ様に仰向けになり、少しまた天井を見つめてから静かに瞼を閉じた。
「うーん…ん?」
瞼越しにも分かる程、周囲が明るさに満ちているのに気づいた。
ゆっくりと目を開けて見ると、そこには見慣れた天井が現れた。首を左右に振って見ると、どこもかしくも慣れ親しんだ光景が広がっていた。
どうやら私の部屋の様だ。
カーテンを閉め切っていたが、その厚手の布地をも透過して、朝日が部屋の中に温もりのある光を提供していた。
やっぱり夢だったか…。
「んーんっ!」と私は声を出しつつ大きくその場で伸びをした。そしてバタンと両腕を同時に降ろし、両手を布団の上にバスンと落とした時、ふとある事に気付いた。あの夢の情景、五畳ほどの窓一つない小部屋、簀の子の様な感覚、あのむせる様な埃っぽい臭い、あの錆びついた鉄の臭い…。何と夢の中で経験した感覚が、脳裏にはっきりと思い出されたのだった。この事実を認識した瞬間、自分で自分に驚いた。過去にもあまりに印象的な夢ならば、起きた後も暫く覚えていた時もあったが、その記憶はあくまで何となく漠然としたものだった。だが今回の様に、実際には経験してないはずの出来事が、現実だったんじゃないかと錯覚を覚えさせる程だったのだ。
私は暫く呆然としたまま、ベッドから出る事もなく上体だけ起こしていたが、ふとある一つの考えが浮かぶなり勢いよくベッドから抜け出し、学習机に向かった。机備え付けの引き出しを開け、その中にあった未使用のキャンパスノートを取り出すと、そこにさっき見た夢の詳細を書き込んでいった。咄嗟の思いつきだったが、何だかこのまま忘れるのが惜しく感じたのと、それに関連して、すっかり義一のおかげで何かにつけてメモやノートをつけておく習慣が身に付いていたから、この行動はある意味で自然なものと言えた。ただ見た夢の内容を書いただけだったが、自分でも驚くほど無心のまま飽くこと無くペンをスラスラと白紙のページに書きなぐっていった。書き終えて見ると、なるべく隙間の無いように書いたつもりだったが、ノートにして四ページほどの分量に達していた。
それを読み返して見ると、自分の夢ながら不思議な内容が書かれていたが、何か自分にとって大きな影響を及ぼす”ナニカ”の気配を感じずには居れなかった。因みに、こんな不思議で明瞭な夢を見たのが関係しているかどうかはわからないが、昨夜に久しぶりに気配を感じた”ナニカ”は、一夜明けた今となってはまた鳴りを潜めていた。
私は書いたノートを引き出しにしまった時、ふと義一を思い浮かべた。こんな不思議な夢の中身を話したら、どんな意見を聞かせてくれるのだろうと、一瞬好奇心が湧いてきたが、その直後に絵里のことも思い出した。そして結局、自分なりのこの夢に対する解釈が出来てから、義一、そして絵里にも話してみようと心に決めてから、朝食を食べる為に部屋を出て一階の居間の方へと階段を降りたのだった。
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