第98話 文化祭2日目 ⑨

 涼香の衝撃な宣言から動揺が広がる中、男子達の絶望の声と怨嗟の声が聞こえてきたが、敢えてスルーした。

 右井教頭が文化祭の閉会を『解散』と非常に手短に伝え解散となる。


 一般参加者の人たちはこのまま帰宅するのだが、生徒たちは各クラスに分かれて打ち上げということになっている。その後、後夜祭が行われるので力自慢の男たちがキャンプファイヤーの準備を始めている。時間も短いのだが以外にこれが楽しかったりする。


「せんせー、先に行ってますねー」

「多目的ホールの貸し切りありがとうございまーす」

「使い終わったら掃除するんだぞー」


 教室で行うにはいささか狭いだろうから、この日に多目的ホールをキャンプファイヤー前まで掃除することを条件に貸し切り使わせてもらうことにしている。

 そこには行事を一緒に行うことの多い8組と七宮の労いもかねて5組も誘っておいたので結構な広さが必要になる。


 俺は備品の返却の確認など実行委員会の顧問としてすることがあるので、まだ仕事が残っている。


「高城先生、何か手伝うことはありませんか?」


 涼香が俺に気を使って手伝いを申し出てくるが、涼香の後ろにはクラスメイトの女子たちが待っていた。きっと話の続きが聞きたいのだろう。


「大丈夫。打ち上げを楽しんできて」

「……わかりました。ありがとうございます」


 もう十分彼女は働いてくれた少しは羽を休めてもいいだろう。足の調子も大丈夫みたいだし。


 俺は一人で機材庫で備品の管理を行う。備品がきちんと返却されているかをチェックリストに記していく。


 ――あれ? 看板が1つ足りない。


 チェックリストと照らし合わせていると校門前に設置していた看板がまだ片づけられていないのが分かった。そういえば、3年生に写真撮影がしたいからと残しておいてほしいと要望があってそのままにして置いたんだ。


 俺はチェックリストを機材庫に置いておき、校門へと向かった。


 ◆

 涼香


「ねえ、ねえー。いったい誰さー、桜咲さんの好きな人ってー」

「ちょっとだけ、ね!?」


 私は最初に持った飲み物を一口も飲めないどころか、始まってから動くこともできないでいた。

 乾杯の合図とともにクラスの女子はおろか、5組と8組の女子からも囲まれて私への問いかけが始まった。適当に返事をして誤魔化そうとするけれど、次々に追及の言葉が投げかけられる。周囲の人も私たちの会話に耳を傾けている。


「静蘭の生徒じゃないの?」

「違うわよ」


 だって、生徒じゃなくて先生だし。

 うん、嘘は言ってないよね。


「年上? 年下?」

「……年上かなぁ」

「卒業した先輩?!」

「さあ? でもライバルが多いから、苦労してるんだよね」

「お! なら相当なイケメンか!?」


 ライバルが多い、か。

 本当にそうなんだよね、しかもみんな魅力的な子ばかり。

 何か手を打ってみたいけれど、踏み込むのも勇気がいる。

 今の関係も心地がいいんだけれど、終わってしまうのも寂しい。


「ねえねえー」

「そこまでにしてやってくれ」

「あ! 夏野さん」

「でも、やっぱ気になるじゃーん」


 なんで私の好きな人が気になるのかわからない。


「夏野さんは何か知らない?」

「桜咲さんと仲いいでしょ? 何か聞いてない?」


 私からの追及を諦めて今度は夕葵に聞くことにしたみたいだった。

 私と夕葵の好きな人は同じ高城先生だ。

 それに、生徒が教師に恋愛感情を持っているなんておいそれと人に話せることでもない。


「……聞いたことがないな」

「そっかぁ」


 夕葵は嘘をついた。私からすればバレバレの嘘だけれど。

 夕葵に嘘をつかせるのは申し訳ないけれど、仕方がない。


「でも、ちょっと安心したかも」

「何が?」

「いやー、桜咲さんが片思いしてるって聞いて」

「そうそう。桜咲さんって美人で勉強だって出来て私たちとは物が違うって思ってたから」

「私はそんな超人じゃないんだけど」

「わかってるって、てか私たちが勝手にそう思ってただけ」

「恋愛面とか男が勝手に言いよってきて、いつでも彼氏ができるというか」


 私の評価を下げているのではなくて、ましてや見上げるものでもない。

 普通の女の子だと認識してくれた。


「私だって、片思いくらいは……その人が初めてだけど」


 言葉がだんだんと小さくなっていく。

 そんな私を見て女子たちがニヤニヤとしだす。なんなのよ、もう!


「でも今日の涼香さんの宣言で枕を涙で濡らす男子はいるわね」

「そうなの?」

「好きな人がいるんじゃ、望み薄だしね。てか、皆無?」

「あ、観月もこの文化祭で結構告られてなかったっけ?」

「え? そうなの?」


 私は驚いて、お菓子を食べていた観月を見る。

 隣にいるカレンはリスみたいに頬にたくさん含んでお菓子を食べてる、可愛い。


「うん。全部、断ったけどね」

「観月も彼氏とかいて不思議じゃないんだけど、そういう噂も聞かないよね」

「実際、彼氏いたことないし」

「作ろうって思わないの?」

「やっぱ好きな人じゃないと嫌かなー。遊びで付き合うなんて絶対嫌だし、前みたいな罰ゲーム告白はなくなったから、告ってきた人にはちょっと申し訳なさもあるんだけど」


 観月は申し訳なそうに笑みを浮かべる。

 観月はずっと先生の事を想っている。それに恋愛に対しても真剣な考えを持ってるから中途半端な真似は絶対認めないだろう。


「あ、それ聞いた! 罰ゲームで告白ってマジありえないんだけど!」


 観月の夏合宿の出来事はすでにみんなに知られている。

 誰がしたかは知られていない。ただ、こんなことがあったと通達があって女子は自分のことのように憤慨していた。


「恋愛なめんなっての!」

「つーか、マジでそいつら連れてきて! 一言言ってやんないと気が済まない!」


 男子のふざけた遊びはあの一件以来、起きていないみたいだ。

 けれど、観月以外にも告白をされていた子もいたという話だった。

 結構、問題になったみたいらしくて、そのゲームに参加していた男子が付き合っていた彼女にフラれたっていう話も聞いた。まあ、当然の報いだと思うけど。彼女からすれば二股かけられたみたいなものだし。


「そういえばカレン。今日、高城先生に愛してるって言われて顔真っ赤にしてたよねー」

「アハハ……ちょっと恥ずかしかったです」


 確かにあんなふうに先生から言ってもらえたら恥ずかしいけど、その倍以上に嬉しいだろうな。


「けど、高城先生からやっぱって良い!」

「わかるー」

「渉とのツーショットを撮っちゃった」

「それちょうだい!」

「いいよー、あとでクラスのグループメッセに貼っておくね」


 そこから上代さんのファンの人たちはそっちに話題がそれていく。


「ねえー、歩波って、誰かと一緒にいたよね」

「あー、私も見た! あの人ってうちのクラスに来てた先生の友達だよね」

「うん。兄さんと同じ先生なんだけど、今日は遊びに来てたんだ」


 歩波さんは隠すこともなくその人と一緒にいたことを話し始める。パレードの時も一緒にいられたみたいで嬉しそうに話し始める。

 このまま、私の話題からそれてくれるかと思ったのだけれど、思い出したかのように1人の女子が私に尋ねる。


「そういえば、桜咲さんも文化祭を誰かと一緒に歩いてなかった? もしかしてその人「あれは違います!」」


 また私の話に戻る。

 ちょっとふざけて聞いてきたことを私は食い気味に否定した。

 私があの人に片思いしているなんて冗談でも言ってほしくない。


「あ、そうなの?」

「当たり前よ。少なくとも私は自分の都合のいい思い込みで話を進めて、友達を見下して、自分本位に行動するナルシストは大っ嫌い!」


 私はここぞとばかりに普段思っていることを話した。


「わ、わかった、わかったから落ち着いて……」

「もう、あの人の話題には触れないでね。顔も思い出したくないから」

「「「い、イエッサー……」」」


 私の本気度合いが分かったのか、ちょっと引いていた。


「ちょっと外の風を浴びてくるね」


 私はみんなにちょっとこの場を離れることを伝えると多目的ホールから出ていった。

 外の空気を吸いたくなって多目的ホールから外に出たというのは嘘だった。先生の手伝いをしようかと思って機材庫へと向かっていた。


 数時間前まで賑わいを見せていた校内は今は生徒もまばらで閑散としていた。


 今、私の中にあるのは終わったという達成感なのか、終わってしまったという喪失感なのかはわからない。


「あれ? いない」


 棚の上にチェックリストが置いてあるのを見れば、まだ作業は途中みたいだった。

 チェックリストの順に追っていくと、校門に設置してある看板がまだ片づけられていないことが分かる。多分、先生は看板を取りに行ったんだろう。


 ――手伝いくらいはいいよね。


 決して抜け駆けなんかじゃない。

 これはあくまで手伝いだ。


 私は校門へ向かった。

 けれど、そこには先生の姿はなくて、看板がそのまま設置されていた。


 ――どこ、行ったんだろ。


 ◆


 俺が看板の撤去に向かうと、まだ写真を撮っている生徒たちを見つけた。リボンの色を見ると3年生のようだった。


 ――もう少し自由にしておこう。


 3年生からすれば最後の文化祭だし、思い出を1つでも多く残してほしい。


「すいません」


 校門から立ち去ろうとすると、俺は1人の男子に声をかけられた。


「君は……えーっと」


 名前なんだっけ? 

 顔は覚えてる。今日とか商店街での事前説明のとき、涼香に言い寄っていた男だ。


「ちょっと時間をもらってもいいでしょうか?」


 少し人気のない場所に移動して彼の話を聞く。


「こうして話すのは初めてでしたね。僕は古市といいます」

「……何か用?」


 この古市という男には涼香の一件もあって個人的にあまりいい感情を持っていないので適当に話を切りたくて、おざなりに返事をする。


「単刀直入に言います。涼香と馴れ馴れしくしないでくれませんか?」

「……………はぁ?」

「いつも僕と涼香の間に割って入って、嫉妬かもしれませんけれど、こっちはあまりいい気分じゃないんですよ」


 彼は怒るというより、諭すような言い方で俺に話しかける。

 一応、敬語なのは涼香が以前俺を先輩と呼んでいたからだろうか。彼はまだ俺が教師だということに気が付いていないようだし。


「それに、今日のパレードのあれは何ですか?」

「あれ……ああ、あれか」


 多分パレードでのお姫様抱っこのことを言っているのだろう。俺が勝手にやったことだし恥ずかしかっただろうな。


「そうだな。彼女に後で謝っておこう」

「ええ、そうしてあげてください。きっと傷ついているでしょうから」

「ああ」

「涼香は男性を苦手をしています。それを知って付け込むなんて、卑怯で卑劣だ!」


 今度は俺を糾弾するような口調になる。

 なんだろうか、ころころ感情が変わる彼は情緒不安定なのだろうか。


「それに、彼女好きな人がいるのは知っているでしょう?」


 あんな風に話せば校内でも知らない人はいないだろうな。多分、今も話題になっているんだろう。


「あれは……実は僕の事なんですよ」

「はあ!?」


 いや、それはないだろう。

 あれだけ涼香から拒絶されていて、いったい何を言ってるんだ。というより、どこからそんな自信が湧いてくる。


「涼香は言っていたじゃないですか。静蘭の生徒じゃないって、涼香には他校に男友達はいません、僕を除いては」

「……なら、告白とかもされているのか?」

「きっと伝えていたんですよ。恥ずかしいことに僕は恋愛には鈍い方ですので、もっとはやくに気が付いてあげられれば良かったです」


 うわ……なんていうか、痛いという意味ですごい人がいたよ。

 涼香でなくてもあまり関わりになりたくないタイプだ。


「けれど、また僕に告白してくれるということらしいので。僕は……彼女を待ちます」


 すごいことをキメ顔で言い切った。

 なんだろうか、涼香の気持ちを知っている俺としては彼はひどく滑稽に見える。


「だから、彼女の幸せを思うなら身を引いてください。僕が彼女を必ず幸せにします」

「……」


 ここまでくると何も言えない。

 正直、彼とは会話も成立しなさそうな気もしてきた。

 俺が何か言えば「いや、それは違う!」などとまったく俺の話を聞かないんだろう。正義感が強いゆえに思い込みで無意識に人を傷つけるとでもいうのだろうか。会議とかチームプレイとかそういうのに向いていない。


「彼女には弱い彼女を守ってあげられる騎士が必要なんです。僕は彼女のためならなんだってできる!」


 何が騎士だ。

 言ってて恥ずかしくないのか。

 彼との会話がもう疲れてきたが、ちょっとだけ訂正しておくべきところがある。


「彼女は別に弱くはないだろう」

「……何を言ってるんですか?」


「まだ諦めないのか」と言外に嫌そうな顔をする。


「ちょっと無理をするときもあるし、自分の中に感情を押し込めてしまうかもしれないけれど、それは弱さだけじゃないだろ」

「……僕にしかわかりません。僕なら彼女の代わりに」

「俺は一緒にいて支えたいと思うよ」


 彼女は今日のように時として大胆な時もあるし、絵本に出てくるような男性が居なければ何もできないようなお姫様ではないことくらい知っている。


 なにより逃げてばかりでは人としての成長にもつながらないし、誰かが一緒にいればかなり楽になる。


 それに支えるのは俺たち教師の仕事だ。


「涼香を弱いなんて決めつけるのは、彼女に対して失礼だ。もう少し認識を改めたほうがいい」


 弱い彼女しか知らない。

 彼の言う「涼香」は彼の頭の中にしか存在しない。


「知ったような口を利かないでください! 僕以上に彼女を知っているのは――」

「夕葵だろ」


 幼馴染で自他ともに認める親友だし。


「男では、だ! 話を腰を折るなっ!」


 俺に意見されたのが腹立たしいのか、息を荒げて否定する。

 とうとう敬語もやめた。


「大体! 碌でもない父親持つ人間が涼香の親友でいていいはずがないんだ!! もっと実用的な友達を作ればいい!! 静蘭に来て変な連中との付き合いが増えた! 茶髪の頭の悪そうな奴やいい歳してアニメも卒業できていない奴だって中学の涼香からすれば考えられない関係だ!」


 夕葵に観月、カレンか。

 俺にはとても仲のいい女子グループに見えるけれどな。

 最近はそこに歩波も加わってますます賑やかになっている。

 この男は自分の認めていない人間は涼香の友達だと思っていないんだろう。

 けど、そんなことは涼香には全く関係のない。


「なら、涼香にそう言ってやれ……聞くとは思えないけど」


 文化祭実行委員会で彼女への対応を見ていればまだやっかみを言う人もいるだろう。けれども、自分の友人だと認めた人を彼女が否定するとは思えない。


「……名前で呼ぶのもやめてくれませんか。非常に不愉快だ」


 別に彼女がいいといっていることに、ケチをつけられる筋合いもない。

 俺のどんな言葉でも届くことはないのだろうと思い、ただ息を吐いた。


「話はこれで終わりか?」

「……」


 彼は何も言わず睨みつけるだけだったので話はここで終わりだろう。

 俺は彼に背を向け離れていく。


 ……

 ………

 …………


 だいぶ時間を割いてしまった。

 もう一度校門へ向かうともう一度看板を片付けようかと思い持ち上げようとする。


「うお、結構重い……」


 風で倒れないように重量のある重しを乗せているせいもある。

 それに縦幅が広いので俺一人で持ち上げようとしたらそこを支点に折れてしまいそうだった。

 さらに、校門の支柱に針金で固定までしてあるので、まずはこれを外す必要がある。ペンチを取り出して、針金を切っていくと俺の手元に影が差した。


「手伝いますよ?」

「打ち上げの楽しんでくるように言っただろう」


 俺に手伝いを申し出たのは涼香だった。

 少しは休んでほしかったからそちらに送り出したのに。


「いえ、私の好きな人はだれかってずっと問い詰められて、逆に疲れてしまうので出てきました」


 まあ、青天の霹靂って感じだったもんな。

 今静蘭では一番気になる話題だろう。


「なら、あっちのベンチで休んできなさい」

「嫌です♪」


 有無も言わさず、手伝いの申し出をする涼香。

 これは多分、意地でも手伝うんだというんだろうな。

 根負けし、看板を固定している針金を外すまで待っててもらう。


「終わっちゃいましたね……」


 今の涼香はやり切ったという達成感と、終わってしまったという喪失感が入り混じった複雑な心境なんだろう。


「ようやく、残業から解放されるよ」


 逆に俺は束縛から解放されてハッピーだ。

 明日は1日中寝ていよう。

 もうそれこそ布団と一体化するほどに寝てやる。今まで削った睡眠時間と精神を癒すのだ。また来週からは普通の学校生活が始まるんだ、それくらいしたって罰は当たらないはずだ。


「先生、今の発言はちょっとデリカシーに欠けると思います」


 だろうね、自覚はある。

 俺だって、涼香の気持ちはわからなくもないのだが、やっぱり教師と生徒では感じ方が違ってくる。


 ――やっぱ、学生とは違うんだな。


 針金を外し終え、動かせるようになった看板を少し前に引っ張り出す。


「涼香はこっちを持って」


 重しのついていない軽い方を持たせるとすんなりと涼香は俺の指示を聞いてくれた。

 俺の言うことを聞いてくれるんなら休んでくれてもいいだろうに。


「先生」

「ん?」


 声をかけられたので、振り返ると涼香が俺の方を見ていた。


「倒れちゃうといけないので支えてくださいね……私は、先生と一緒なら大丈夫ですので」

「ああ」

「約束ですよ?」

「もちろん」


 重い物をもって力を入れて頑張ってくれている所為か彼女の顔が赤く見えた。

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