第77話 幸せからの

 夕葵の活躍により、静蘭学園弓道部は優勝という輝かしい成績を残すことができた。

 今、彼女は優勝トロフィーを片手に記者からインタビューを受けている。


「的に『てたい』という気持ちが全面に出てしまうと失敗するので、そういった気持ちをおしこめて集中しようと努力しました。それが結果に表れてよかったです」


 インタビューに慣れた口調で答える彼女の口元は、競技中と打って変わって、ほころんで軽い笑みが浮かべられているが、ちょっと疲れも出ているようだ。

 柳先生と生徒たちに一言挨拶をしたら、俺も帰宅することにしよう。明日もまた学校がある。また、明日の生徒集会で表彰されるのだろう。


「高城先生」

「ん?」


 夕葵のインタビューが終わるのを待っていると、一人の女生徒に声をかけられる。


「何か用か?」

「少しいいですか?」


 ◆


 夕葵


 ――ようやく、一息つける。


 インタビューなどああいうものは苦手だ。

 あたりを見渡すが、先ほどまでベンチで座っていた歩先生の姿はなくなっていた。もう帰ってしまわれたのだろうか。


「ゆ、ず、きっちゃーんっ!」

「きゃっ! 祭さん」


 私を後ろから抱きしめてくるのは祭さんだった。


「もう、驚くじゃないですか」

「ゴメン、ゴメン。あらためて優勝おめでとう!」

「ありがとう」

「ああ、あんな小さかった夕葵ちゃんが、今じゃこんなに立派になって」


 大会が終わるたびに決まって昔のことを思い返すのはやめてほしい。


「あ、そういえば、先生に変なこと吹き込まなかった?」

「大丈夫よー。夕葵ちゃんの可愛いところたっぷり話したから」

「話してるじゃないですか!」


 ああ、もう。せっかく今日はかっこいいところを見せることができたと思ったのに。どんな話を聞いたのだろうか。


「そんなことより、せっかくだから写真撮りたくない?」

「……どうせ、いつもみたいに撮ってるでしょう」


 いつの間にか日和のお店には、私がいつ撮ったか知らない写真が並べられていることがある。

 今回も絶対、撮ってるにきまっている。恨みがまし気に祭さんを見るがこそっと私にだけ聞こえるように耳打ちをした。


「そうじゃなくて……先生とのツーショット」

「!?」

「いいと思うけどなー……優勝記念ということで言い訳もたつし」


 何とも魅力的な発言をする祭さん。

 そうだ。本来、先生が私を送ってきてくれたから大会に出ることができたし、今日の結果の半分は先生のおかげといっても過言ではない。


「……先生を探してくる」

「さっき、アリーナ裏へ行ったのを見たわよー」

「わかった」


 はやる気持ちを抑えて小走りで、私は先生がいるというアリーナ裏へとむかった。


 大会も終わったので、残っている人は大会の運営委員会の人ばかりだ。使い終わった機材を運搬する人の間を潜り抜けながら先生のもとへと急ぐ。

 しかし、アリーナ裏ともなれば人もほとんどいないはずだ。一体、なぜ先生がこんなところにいるのだろうか。


 ◆


 俺は女子生徒に連れられてアリーナ裏まで来ていた。

 もう、日も沈みかけており、空の色が紅に金を混ぜた色彩にと変わり始め、周りの建物も赤く染め始める。だんだんと夜の気配が漂い始め、どことなく哀愁を感じさせる。一日の終わりを感じさせるからだろうか。


「それで、一体何の用だ」


 正直言って、俺はあまりいい予感がしていなかった。

 疲れたような口調になるのは仕方がない。なぜなら、呼びだした女子が女子だからだ。


「単刀直入に聞きます。あなたはお姉さまのなんなんですか!」


 藪から棒に、俺を怒鳴るように喚くのは夏野美幸さんだった。苗字と名前で同じ生徒がいるので呼びにくい。

 今も威嚇するように俺を睨みつけている。一応、教師なんだけどな。

 というより、質問の意図がわからん。


「知ってる通り、あの子に担任だよ」


 ありのままを答える。


「担任というのであれば、あまりお姉さまの傍に纏わりつかないでいただけませんか? はっきり言って、不愉快です」


 ああ、そういえばこの子。夕葵のファンの中でも一際、熱の強い子だったな。

 言われてみれば、学級委員とかプライベートな時とかに結構出会ったりする。まさか纏わりついているなんて、そんな風に思われているとは思いもしなかった。


 あの子が距離を取ってほしいというのであれば、俺は離れる。

 だが、別に彼女の反応を見るに、不愉快とまでは思われてはいないだろう。こう見えて、拒絶や嫌悪などという雰囲気には敏感な方だ。


「話っていうのはそれだけか?」


 こんな話のために、ここまで足を運んだことにちょっと辟易としながら、元の場所に戻ろうとするが、回り込まれる。


「待ってください! 先生はお姉さまのことをどう思っているのですか!?」

「大事な教え子だ。それ以上でも以下でもない」


 何を当たり前のことを聞いているのだろうか。

 俺は教師、あの子は生徒。

 当然のことだろうが。


「とてもそうは思えないからですよ! お姉さまの気持ちに気が付いていないんですか!?」

「はぁ?」


 何を言ってるんだかこの子は。


「その気がないなら、これ以上お姉さまに近寄らないでください! 目障りなんです」

「あのなぁ。前にも言ったと思うけど、言葉使いに気をつけろ」


 教師に向かってというわけでもなく目障りとか、誰に対しても失礼だ。さすがにこれは注意すべきだろう。

 だが、この生徒は俺の言葉難く耳を持たない。


「いつも思ってましたけど、高城先生って誰にでもいい顔するんですよね。それをやさしいとか、みんな勘違いしちゃってるんです。お姉さまだって、きっとそうに決まっています!」


 誰にでもいい顔――確かに、そういう面はある。

 生徒たちに嫌われたくないという俺自身の感情が大きく働いている。なんとも情けない話だ。


「けど、だからといって。俺があの子とそういう関係になるなんてありえないよ」

「口ではどうとでも……あ……」


 だんだんと彼女の声が消えかけて、最後には何かに気が付いたような様子だ。

 俺も彼女の視線を追って振り返る。


 そこには、夕葵がいた。


「夕……」


 俺が名前を呼ぶ前に彼女は走り去っていった。

 泣いていたように見えたのは気のせいじゃないだろう。


 ◆

 夕葵


 歩先生が私の名前を呼ぼうとする。


『けど、だからといって。俺があの子とそういう関係になるなんてありえないよ』


 さらにその後に続く言葉を聞くのが怖くなって、私は先生から逃げた。しばらく走って息を整えるが先生もどうやら追いかけてはこないみたいだった。私としてはその方がよかった。


 祭さんのところへ戻ってくると「写真は撮らなくてもいい」と伝えて電車に乗り込んだ。

 祭さんは私の様子に何かを悟ったのか、心配そうに声をかけてくれるが、無理に笑みを作ってその場を誤魔化した。

 

 先生の言葉が何度も聞こえてくる。


 さっきまでは、本当に幸せだった。

 先生との距離が少し縮まったかのようで、嬉しかった。


 けれど、その幸せは砂でできた城のようなものだった。


 あの時の一瞬、先生が何を言ったかわからなかった。

 けれど、聞いた言葉は間違いなく先生の言葉だった。


 電車の中で部員たちは疲れて眠っている子もいれば、会話に夢中になっている子もいる。

 そんな中で私は、何もする気になれなかった。

 部員のみんなは私の雰囲気を察したのか気を使って、誰も話しかけてくることもなかった。




 地元の駅へと帰ってくる。

 柳先生の解散の挨拶が終わる頃には、それぞれ家族の迎えが来ているようだった。

 

 部活の大会の日はいつも歩いて帰るか、祭さんが迎えに来てくれることが多かった。家は車を持っていないし、そもそもお婆様は免許を持っていない。

 今日は祭さんも会場にいたし、まだ帰ってきてはいないだろう。1人、徒歩で帰ろうとした時だった。


 スマホに祭さんからの着信履歴を見つける。

 もしかして、ずっと連絡をくれていたのだろうか。全然、気が付かなかった。『大丈夫』とだけ返信して駅を出ようとする。


「夕葵ー。送ってくよー」

 

 同じクラスの部員が私の迎えが来ていないことを気遣って、一緒に帰らないかと提案してくれる。


「いや、大丈夫だ」

「でも、相当疲れてない? 顔色あまりよくないよ。それに駅の周りってあまり治安もよくないし」


 他人から見ても今の私の顔は酷いらしい。


「帰ったらすぐに休むから大丈夫だ」

「夕……」

「大丈夫だから!」


 強い口調で言われて驚いたのか、友達は少し距離をとる。

 私は一言消え入りそうな声で謝罪すると「疲れてるんだよね。ごめんね」とむこうが謝り、家族のもとへと戻っていった。


 ――最悪だ。


 私の中で燻っている何かが、一瞬だけ燃えた。

 この感情はわからない。今まで感じたことがない。


「お姉さま……」

「っ……」


 一番話しかけてほしくない人が、私に声をかける。

 何の用だろうか。

 どんな用事であれ、今は彼女の話を何も聞きたくない。


 声も、姿も、彼女の何もかもが腹立たしかった。


「私はもう帰る。美幸も早く帰れ」


 彼女に何かしてしまわないうちに、家に帰りたかった。

 駅を出て、帰り道を歩いていく。

 そんな私の気も知らないでか、付かず、離れずの一定の距離を保ちながら私の後ろをついてくる。

 そのうち振り切れるだろうかと思っていたが、私の家の近くまで付いてきた。

 美幸の家はこっちじゃないのに、いつまで付いてくるつもりだろうか。

 美幸を傷つけないように、せめてもの気遣いをしたつもりで、突き放したように言ったが伝わらなかったようだ。


「あの……大丈夫ですか?」


 今まで沈黙していた美幸が話し始めた。

 いかにも気遣わしげに言ったので、今日のことを鮮明に思い出さされ、尚のこと彼女に苛立ちを覚える。


「何がだ?」


 分かり切ったことを聞く。


「……高城先生のことです」


 けれども、その答えを人の口から聞くのは胸が張り裂けそうだった。

 

「……疲れているんだ。あまり話しかけないでほしい」


 続きを聞きたくなかった。

 声に苛立ちを孕みながら答えた。

 何も言わないで。今は一人にしてほしい。


「でも」

「頼むから……黙って」

「ですけど……その、災難でしたね。でも、これで……」


 まだ何か話をしようとする美幸を、私は思いっきり引っ叩いた。


「え……?」


 美幸は何をされたのかわからないようだった。

 少し時間が経ってから私に頬を叩かれたのだとわかったようで、叩かれた部分に手を添える。


 お前が引き起こした出来事を、その『災難』のたった一言で済ませるというのか。まるで自分には責任がないように!!


「……お姉さま?」

「お前に……お前に! 私の気持ちがわかるのか!!」


 ああ、ダメだ。

 家まで持って帰ろうとしたものが、心の中に押さえ込んでいたものが、一気にあふれ出した。


「告白もしていないのに、失恋した私の気持ちが! お前にわかるのか!」

「え、あ……でも、先生は何も……」


 先生の応えなんて、聞くまでもない。

 断られるにきまっている。


 だって、あの人は私を女性としては意識していないのだから。友人でもましてや親しい知人でもない。あくまで私はただの……生徒だ。


「今、告白しても、断られるのはわかっていたんだ! けれど、少しでも意識してほしくて、一緒にいられるようになったのに。明日からあの人とどんな風に顔を合わせればいいんだ!」


 怖い、怖いんだ。

 明日、歩先生からどんな目でみられるのか。考えただけでも、足が震えるのがわかる。もう、今まで通りの関係ではいられない。


「今はっ……今は……片思いでも十分に幸せだったんだ! そういう恋愛だってあるだろう! あの人の傍にいられるだけで幸せだった。話しているだけでも楽しかった。でも、もう……」


 今までの先生との思い出がまでがなくなってしまいそうだった。

 先生だって、これから私と過ごすのを気まずく覚えるにきまっている。


「だから、まだ胸に秘めていようと思っていたんだ……」


 せめて、卒業して、立場だけでもあの人と対等になれたら。

 生徒と教師でなくなったら、伝えようと思っていた。

 今は少しでも、気持ちが伝わってくれていたらと思っていた。


「告白だって……「好きです」って自分の口から言いたかった」


 一番、許せない理由がこれだ。

 せめて、自分の想いだけは自分で伝えたかった。人伝なんて絶対に嫌だったから。


「……なんで、なんで、そんなことも私にさせてくれなかったのよぉ……」


 怒りたいのに、涙が溢れてくる。

 もう美幸の姿も滲んで見えなくなった。


 みっともなく後輩の前で涙を流す。

 高校生にもなって、こんなふうに涙を流す日が来るなんて思わなかった。


「おい。人の家の前で何やってるんだ!」 

「あら? 夕葵ちゃんかい?」

 

 私の声を聞きつけた近所のお爺さんやお婆さんが私を見つけた。泣いている私の元に近所の人が集まってくる。

 「何かされたのか?」「どこか痛いのか?」と心配するような声をかけてくれるが、何も答えられなかった。


 私の涙が止まる気配は全くなかった。


 ◆


 日付が変わったころに帰宅した。

 歩波は今日も大家さんのところだ。

 1階の明かりはすでに消えているのでとっくに寝ているようだった。

 部屋の電気もつけずに冷蔵庫から買い置きしてあるビールを取り出す。プルタブを引き開けると、景気のいい音が部屋に響く。


 そのまま、一気に飲み干した。

 大会の会場から休憩を挟まずに帰宅したので、喉が渇いていることもあり、のどを鳴らして飲み込んでいく。今日の出来事も一緒に飲み込めたらいいのに、と思わずにいられない。


「……まっず」


 飲んだビールは俺の心情を現しているかのような味だった。

 分かっていたけれど、沈んでいるときに酒なんて飲むものじゃないな。


 あの時のことを思い出すと気分がざわつく。

 

 やり取りを聞いた後で、あの子の今までの態度や対応を考えれば、俺に好意を持ってくれているのは、なんとなく想像はついた。名前で呼んでほしいといったのも、そういう意味なのだろう。


 確証を持つことはできないが、俺の中ではすでに答えにたどり着いてしまっている。


 今日の後輩の暴走によりされた意図しない告白には、ただ模範解答的に応えただけだった。

 夕葵から気持ちを聞いたわけではないというのに、俺は何時からこんなにも自信過剰になったのだろうか。


 俺の勘違いだったら恥ずかしすぎるし痛すぎる。もし、そうなら俺が一方的に意識してしまっている状態に……。


 観月やカレン、涼香さんたちの一件から、整理のつかない頭で俺は考える。


 ……

 ………

 …………


「兄貴ー。朝だぞー」

「ぐはあ!」


 いきなり、腹の上に重い物が乗ったかと思いきや、すぐになくなる。

 目を開ければ、制服に着替えた歩波が鏡を見て髪型をチェックしている。

 どうやら、ベッドに入らずそのまま眠ってしまったようで、先ほどの衝撃は歩波が俺を踏みつけていったものらしい。


「なんでリビングで寝てんの? というより、いつ帰ってきたんでしょうか? かわいい妹を飢え死にさせる気ですか?」


 棘のある言い方で俺を責めてくる。


「昨日、遅くなるって連絡しただろうが。大家さんにも頼んでおいたし、飯はうまかっただろう」

「最高でしたよ。楽しかったし、大家さんは優しいし、陽太君はかわいいし、ベッドは柔らかいし」


 なら、なんでそんな不機嫌なんだよ。


「……お父さんたち、来週にはこっちに越してくるんだって」

「ようやくか……」

「今度の休みに引越しの手伝いだって。もちろん、兄さんもだからね」

「はいよ」

「せっかく、大家さんたちとも仲良くなれたのに~」


 心底悔しそうに話すが、いつでも泊まりに来ればいいだろう。

 多分、俺がそんなこと言わずともこいつは泊まりに来ると思う。


「とりあえず、朝ごはん。昨日の夕飯のカレーもらったから温めて」

「はいはい」


 歩波に言われるがまま、コンロの上に置いてある鍋に火を入れる。ご飯の方は一昨日の残りを使う。

 大家さんからカレーは、具材にもしっかりと味がしみ込んでおり、旨かった。


「……」

「どうしたの? なんかぼーっとしてない?」

「いや、今日も学校かと思って」

「それを言うなら私たちの方が嫌だよ」


 内心を悟られないように、誤魔化す。

 実際に、少し学校に行くのが躊躇わられる。

 夕葵にはどんな顔を見せればいいのだろうか。


 2人そろって、食事を終えると洗い物を済ませ、仕事へと向かう準備を始める。その途中で歩波が玄関から出ていくのが聞こえた。


 ……

 ………

 …………


 学園へ着き、自分のデスクに着く。

 朝礼前に雑務をしようかと、PCの電源を入れると同時に、電話のコール音が聞こえてきた。電話に一番近い先生が電話に出る。


「はい、はい。わかりました。お大事に。失礼します。……高城先生!」

「はい?」

「2年1組の夏野 夕葵は今日欠席しますとのことです。なんでも、気分が悪いとかで保護者の方から連絡がありました」

「……わかりました。ありがとうございます」


 用件を伝えてくれた先生にお礼を言う。

 さっきの電話は夕葵の案件だったのか。

 昨日のことを思い出していると、柳先生が近くまでやってきて、俺に菓子折りを渡す。


「高城先生。休日なのにすいませんでした。これ、よかったらどうぞ」

「ああ、柳先生。そんな気を使っていただかなくても」

「そういわずに、ここのお菓子って本当に美味しいですから」


 そう言って、俺の机の上に菓子折りを置く。

 袋には日和の文字が目に入った。柳先生もあの店を知っているのか。


「ありがとうございます」

「いえいえ、助かったのはこちらの方ですし。そういえば、さっき聞いてしまったのですけど。夏野さん。今日は欠席なんですってね」

「はい。体調不良だそうです。夏野さんは、昨日の帰りは大丈夫でしたか?」

「なんというか、どこか上の空だった気もします。疲れているのだろうと思っていたのですけれど。具合が悪かったのかしら……」


 ぼやきながら、柳先生は俺から離れていく。

 今日の欠席というのは、やはり昨日の一件だろうか。

 そんなことを考えていると、朝礼が始まり、佐久間教頭から、今日から始まる教育実習の大学生たちを紹介された。


 ◆


 涼香


「教育実習生の先生にかっこいい人いなかった?」

「うーん。いまいちかなー」

「高城先生と比べたら……」

「俺はあの関西弁の女の人がいいけどなー」

「だよなー。あのちょっと関西弁が混じった感じが可愛い」


 クラスのみんなが、今日紹介された教育実習生の先生たちの顔ぶれを見た感想を言い合っている。


 そんな中、私は会話にも参加せず空いた席を眺めていた。

 教室の中に1つだけ空いた席があると、少し寂しく感じる。それだけ、私の中では夕葵の存在が大きいということなんだろうか。


 メッセを送ってみたけれど、返信はない。

 夕葵はあまりスマホを見ないから返信が来るのは少し時間がかかるから仕方がないけれど。


 始業のチャイムと同時に先生が入ってくる。


「起立」


 授業前の挨拶も夕葵じゃないから、少し違和感を覚えた。


 ……

 ………

 …………


 午前中の授業が終わって昼休み。

 いつものメンバーで食事を摂っていると、着信音がポケットから聞こえてきた。

 スマホをみると、いつのまにか夕葵から連絡が来ていた。メッセージアプリじゃなくて、電話だったので私は少し席を外して、電話をかけなおした。


『……もしもし。涼香?』

「夕葵。大丈夫」

『ああ、身体は大丈夫。けど』

「けど?」


 夕葵にしては珍しい。歯切れの悪い返し方だった。

 それに電話の向こうで、夕葵のすすり泣く声が聞こえてくる。


「どうしたの? 夕葵」

『……涼香ぁ……私、もう、どうしていいか、わからないよぉ……』


 やや間があってから答えた。

 夕葵はいつも気を張っている子だ。

 けれど、今日の口調は凛々しいものでもなく、弱々しいものだった。


「今日、夕葵の家に行ってもいくから、話を聞かせて?」


 電話でも話は聞くことはできるけれど、直接会わないといけない気がした。


『うん……』 

「みんなも心配しているから、一緒でも大丈夫?」

『うん……』


 今日の放課後に約束を取り付けると、電話を切って、みんなのところに戻った。

 

「今日って、みんな時間ある?」

「部活も休みだけど……なにかあった?」

「ちょっと、夕葵のところに行こうかと思っているのだけれど」

「お見舞いですか?」

「そういうことなら、むしろ連れてって」

「ありがと」


 その日の授業が終わると、私たちは学校の帰りに夕葵の家に寄って行くことになった。


 ……

 ………

 …………


 少し年季の入った一般宅。

 夕葵の家のインターフォンを鳴らすと、夕葵のおばあさんが出迎えてくれた。

 約束をしたのに、夕葵が出てこないのは本当に珍しい。


「あら、涼香さん。お久しぶりですね」

「ご無沙汰してます。夕葵のお見舞いに来たのですけれど」


 夕葵からは礼儀作法に厳しい人だと聞いているから、お婆さんと話すのはいつも緊張する。ちなみに服装をいつも着崩している観月には、しっかりと制服を着てもらうように釘を刺したから、大丈夫。


「ええ、話は聞いてます。何もないところですけど、ゆっくりしていってください。あとでお茶を持っていきますね」


 夕葵から話は聞いているということで、私たちは玄関を上がって夕葵の部屋の扉の前に立つ。

 扉からは、どんよりとした雰囲気が漂っていて、夕葵の落ち込み度合いがよく伝わってきた。ちょっとしたホラーのようで観月が息をのんだのが伝わってきた。


 少し深呼吸をしてから、扉をノックする。


「夕葵ー。来たよ、入ってもいい?」

「……どうぞ」


 すこし間があってから、返事をもらうと私はゆっくりと扉を開けた。


 部屋の中を見渡しても夕葵の姿はなかった。

 ただし、ベッドの布団が膨らんでいるのでいる。そこにいるのかな。

 机の上には手の付けられていないお粥が置いてある。昼の物なのか今はすっかり冷めてしまっていた。


「夕葵、ご飯は食べてる?」

「……食欲がない」

「ちゃんとダメだよ。プリンとか買ってきたから食べよう?」


 私の提案にようやく布団から出てきた。

 出てきた夕葵をみて、私たちは驚いた。

 布団から出てきた夕葵は寝間着のままだった。けれど、それ以上に顔がひどいことになっていた。

 たくさん泣いたのか目元は赤く腫れ、かげりのある表情をしている。


 私たちはテーブルを中心にして座り、夕葵がヨーグルトを一口食べたのを確認してから、私たちも買ってきたものを口に運ぶ。


 お茶を持ってきてくれたお婆さんが部屋から出ていくと、夕葵が話すそぶりを見せ始めたので、夕葵の話に耳を傾けた。


「……先生にフラれたんだ」

「え?」


 誰が発したのかはわからない。

 もしかしたら私だったのかもしれない、それだけ夕葵の話は虚を突くものだった。


 ◆

 カレン


「……最悪」


 夕葵さんの事情を聴いた後で、観月が苦々しく口にします。私の心情も似たようなものでした。手を額に当てて、天を仰いでしまいます。


「っていうか、その後輩何考えてんの? 夕葵が歩ちゃんにフラれれば、自分にもチャンスが回ってくるとでも思ったの?」

「……美幸は女だぞ」

「そういう子なんでしょ。なんだっけ……カレン」


 ここで私に話題を振られました。

 というより、観月も知っているでしょう。なんでそれを私に言わせるんですか!?


「……コホン。百合ですね。女性の同性愛です」


 夕葵さんは、同級生からも先輩後輩の人たちからも人気が高いです。

 学園では“お姉さま”なんて呼ばれていますけど、大半は憧れという感情でしょう。

 けれども、その美幸という子は夕葵さんのことが好きだったのでしょう。もちろん恋愛感情という意味合いで。


「私は……女性に懸想をしたことはない。それに、今回の一件を許す気はない」


 夕葵さんにそこまで感情的に叱責されればもう諦めているかもしれません。


「とりあえず、その子のことは置いといて。夕葵はもう諦めたの? 歩ちゃんに直接返じを聞いたわけじゃないのに」

 

 いつかのように観月が夕葵さんに詰問します。


「けれど、私の気持ちはもう知られてしまったんだ」

「忘れてるのかもしれないから言っておくけど、アタシやカレン、涼香も歩ちゃんに一度は告ってるからね」


 人から言われると、なんだが恥かしいです。


「観月たちは自分で気持ちを伝えたんだろう。私は……告白すら自分でさせてもらえなかったんだぞ。それが、どうしても許せないんだ。先生だって、気まずい思いをするだろう。申し訳なくて……」

「意図しない告白だったけどさ、今回は意識してもらうきっかけになったと思うしかないんじゃない? それだけで距離を置こうとする人じゃないし」


 確かに、私とも普通に話してくれます。

 それはそれで、意識されていないような気がして悔しいのですけれど。


「私もそう思います」


 断言できてしまったのは、私への慰めというのもあります。

 私も似たような気持ちになったことがありました。


「まずは、高城先生と話してみるところから始めてみれば?」

「どんな顔をして会えばいいのか……」

「今まで通りでいいんじゃない? 元々、そんなに親しいわけじゃないんだし」

「うっ……そうだが……」

 

 観月の指摘にちょっとショックを受けたような夕葵さんです。

 ここに居る人の中で、一番先生の近くにいるのは観月ですし……あとは……。


 あ、私、大変なことに気が付きました!

 私は口を閉じます。もう遅いような気がしますけど。


 完全にこの人の存在を忘れていました。


「……私、ここに居てもよかった?」

「「「え……?」」」


 今日お見舞いに来ていたのはいつものメンバーです。

 歩波さんも当然ここにいます。


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