第29話 尽きない悩み

 夏野さんの絶叫が響き渡った後。

 桜咲さん、カレン、観月の追求を何とか知らないふりを貫き通すことに成功した。


 夏野さんの下着を洗ってしまった俺は、彼女を家まで送り届けることにした。さすがに下着を着用せず帰らせるなんてできるわけがなかった。


 現在も彼女はノーブラなのである。

 今は彼女が持っているポーチの中に納められていると予測している、聞きはしないけど。


 カレンは迎えがあり、桜咲さんはバスで帰った。


 そして、俺はもう今年度になってから既に3回目となる夏野さんの家の前まで来ていた。


「あ、あの今日は、ありがとうございました」


 夏野さんの声がぎこちない。

 当然と言えば当然か。


「いや、俺も悪かったから……」

「ジャージは明日必ず洗って返します」

「学校で渡してくれればいいよ」

「で、ですけど」

「そんなことしたら、変な噂がたつかもしれないでしょー。それくらい空気よめっつうの」


 なぜか観月も同乗していた。後方座席でスマホを触りながら機嫌悪く答える。なんでそんな怒ってんの? 

 ちなみに陽太は良く寝ていたため、起こさず俺の家で引き続き昼寝をしている。あの絶叫の中、眠っていられることには感心した。


「……確かにそれもそうか」

「やはり明日、返しに行きます」

「明日は家にいないんだよ、どれくらい時間がかかるか分からないし……俺の部屋のドアノブにでも引っ掛けておいてもいい」


 俺は明日の予定を思い出し、夏野さんにそう告げる。


「明日、どこかへ出かけられるのですか?」


 夏野さんが明日の予定を尋ねる。後方から観月がこちらに注意を向ける気配を感じる。


「病院だよ」

「病院ですか?」

「歩ちゃん、どこか悪いの?」


 2人が心配そうに俺を窺うが別に大したことじゃない。ただの再診というだけだ。

 別に頭痛を感じたとか、日常生活に違和感があるというわけでもない。まあ、記憶の事も聞いてみるつもりだが、あまり意味はないだろう。


「ただの検査だよ。特に体には異常もないが、一応ね」


 それに入院中に世話になった人たちもいるので挨拶に向かう予定だ。

 それに夜は大学時代の友人と飲みに行く約束をしている。俺の退院祝いだそうだが、ただ単に飲み会の理由が欲しいだけだろう。


「そうですか」

「心配させないでよ」

「すまん、すまん。ありがとうな」


 苦笑して応えるが、純粋に心配してくれるのは嬉しい。


「では、明後日はどうでしょうか?」

「ああ、その日なら特に用事もないけど、わざわざ来なくてもいいんだぞ?」


 そんなに急ぎ必要な物じゃないし、別に洗ってもらわなくても家で洗濯できる。最初は家に送ったときに、そのまま返してもらおうかと思ったんだが。


『夕葵の残り香を堪能するつもりでしょ』


 などという指摘が観月からされたのであった、しかもけっこうマジなトーンで言う。

 もちろん俺は『そんな変態じみたことするわけないだろ』と言い返してやった。人の事をなんだと思っているのか。匂いフェチというわけではない。


 そのあと、なぜか夏野さんが微妙に落ち込んだ様子で『洗濯して返します』というので預けることにしたのだ。


「いえ、明後日、“偶然”にも観月の家で遊ぶことになっているので」

「またか? ほんとに仲良くなったな」


 生徒同士の交流を邪魔するつもりはないが、遊ぶ以外にも後ろの奴に勉強を教えてやってほしいものだ。


「じゃあ、また明後日」

「はい」

「じゃあねー」


 そして、いつものように夏野さんは俺の車が見えなくなるまで玄関で一礼し、俺たちを見送ってくれた。


 車を走らせていると――。


「よっと………」


 そんな声を挙げて、観月が後部座席から身を乗り出し、助手席へと移動し始めていた。


「おい! 運転中だぞ」


 こんなところを警察に見つかろうものなら免許の減点対象だ。

 だが、危ないので押し返すわけにもいかない。警察に見つかることなく、観月は移動を終えるとシートベルトを締める。


「まあまあ」


 そう言って、再びスマホをいじりだす。

 スマホいじるのなら、後部座席でもできんじゃん。


 そのまま会話もなく、俺たちは帰路を進んでいく。


 そして、信号のない十字路を通過しようとしたときだった。

 突然、右方から車が勢いよく横切る。


「あぶねっ!」


 俺はとっさにブレーキを踏込み、さっと左手を伸ばして観月が前のめりになるのを庇う。

 慣性の法則が働いて観月の身体が前のめりになるが、俺の腕がブレーキとなり、観月の身体が前に行くのを俺の腕が遮る。


 横切った車側の一時停止なのだが、そんなことは気にしていないように車は走り去って行ってしまった。ここに信号を設けてほしい。


 左手を再びハンドルに添える。アクセルと踏み込んだ。


「大丈夫か?」

「……」


 あれ? 反応がない。


「……わった」

「は?」


 何かを呟くが俺の耳には拾えなかったが――。


「アタシの胸、触った!」


 はああ!? 何言ってんのお前!?

 助手席側に視線を送ると観月が顔を真っ赤にしている。


 俺の腕には確かに服越しにわずかに軟らかな物が触れたが、一瞬も疑うことなく腹だと思っていた。だって……ねえ……。


 俺は一瞬だけ観月の身体に視線を送る。シルビア並みに凹凸の無い身体……。ぶっちゃけ、服の上からじゃ、どこから胸で腹なのか分からんレベルだ。


「えっち! セクハラ! ドスケベ! ~~~~ッッ」


 観月はさらに顔を赤くし、黙り込んでしまう。外見ギャルのくせにこういうとこは、初心な子供だ。

 気まずい空間が訪れようとしていた。


 なので――


「………え、腹じゃないの?」


 内心、思っていた言葉を言ってやった。


「……は?……はああああぁぁあああああ!? ブッコロスゾ!」

「すまん、すまん…………ぷ」

「アタシだって成長してるんだからね!」

「はいはい」

「寄せて上げればCはある!」

「はい、嘘ーダウトー


 服の上から見ても分かるわー。

 Cカップ舐めんな、せいぜいお前のはBくらいだ。


 そこからも観月は、ぎゃあぎゃあと自己の体型の弁明をしだす。


 とりあえず俺は観月と普段通りの空気を作り上げることに成功した。


 ……

 ………

 …………


 観月の声をBGMに帰宅した。


「陽太起きてたら、部屋に帰ってくるように伝えて、今から夕飯作るから6時までには帰るようにって」

「はいよ」


 観月が部屋に帰ったのを確認し、俺は階段を上って部屋の鍵を開ける。部屋に戻るとまだ陽太はすやすやと眠っていた。夜眠れなくなっても知らないぞ。


「お~い陽太。起きろ~」

「ん~~……」


 陽太はムズがるだけで目を覚ます様子はない。

 部屋まで運んでやってもいいが、どのみち夕飯になるんだ。観月も夕飯に集中したいだろう、もう少し寝かせておいてやろう。


 さて、俺はどうしようか。

 夕飯は昼間に作ったパスタのあまりを茹でて、済ませればいい。

 だとするともう少しゆっくりできる時間ができた。


「ドラマでも見るか」


 以前に録画しておいたドラマを見るため、リモコンを操作する。


 録画してある番組は以前のオリエンテーション合宿で見ていたドラマの続きである。

 別に内容が面白いとかではないが暇つぶしにはちょうどいい。年頃の女性が好きそうなベタベタな展開に俳優がきりっとした顔で甘いセリフを吐く男性の顔を見るたびに俺は苦笑をしてしまう。


 俺の視線の先にあるのはここ数年で大ヒットしている俳優である上代 渉だった。


 上代 渉――。

 現在21歳の大学生。

 2年ほど前に子どもに人気ヒーロー特撮物の主人公に抜擢され、子どもからお母さんへと人気に火が付き、さまざまな映画やバラエティー、そしてドラマに出演している。今ではテレビで観ない日はないくらいだ。現在、最も人気のあるといってもいい俳優だ。


「あ……ソルジャーライダーだ」


 テレビの音に気が付いて、陽太が目を覚ます。

 さっきまで起こしてもムズがるだけだったのに。今は既に終了してしまったが番組のヒーローを見ると嬉しそうに反応する。


 起きたかと思ったが、まだうつらうつらと船を漕いでいる。


 合宿の時にやっていた回の続きで告白が成功したと思いきや、今度はその相手役が事故に合い昏睡状態となってしまい、渉がお見舞いに来ているシーンである。


 意識の無い恋人の額にそっとキスを落とす渉。

 男女逆だがどことなく似たようなシーンを俺は体験してしまっているわけで……こうなると嫌でもカレンのことを思い出してしまう。


 渉のしたキスは、魔法のキスだったのか恋人が意識を取り戻す。何ともベタな展開だった。


「陽太、もうじき夕飯だってよ」

「……うん……」


 あ、これあんまり聞こえてないな。

 目が半分つむってる。このまま再び寝入ってしまいそうだ。


「ねえ、歩兄ちゃん~……」

「ん? どうした?」

「なんで、あの人。チューしたら目、覚ましたの?」

「お約束というか、とにかくそう言うものなんだよ」


 正直、小学校1年生からキスとか男女関係を示唆させることを質問されると結構戸惑う。適当にはぐらかし、この場を濁す。


「ん~……だから姉ちゃんも兄ちゃんにチューしてたんだね」

「……は?」


 俺の疑問符に陽太は答えず、再び眠ってしまう。


 観月が俺に? キス? 


 ――あれは……カレンだったんじゃ? 


 俺は不意に手で唇を押さえる。

 ぐるぐると思考が回って理解が追いつかなくなる。


 ――ピンポーン


 そんな時に、インターフォンが部屋に鳴り響く、恐らく観月だ。


 俺は立ち上がり、玄関に向かい扉を開ける。


「さっきぶり、夕飯支度できたから。陽太、迎えに来たよ」

「あ、ああ……」


 俺は観月の顔を見る。色つきリップを塗っている唇が少し色っぽく見える。

 妹のように思っていたコイツに一瞬“女性”を意識してしまった。


 そんな観月をみて、不意に口が開く。


 ――俺にキスしたか?


 だが、ギリギリのところで口を結ぶ。


 寝ている陽太を背負い、階段を下りていく観月を見送り俺は、ゆっくりと扉を閉める。どうやら、まだまだ俺の悩みは尽きそうにないようだ。

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