第30話 定期健診
あの時、俺にキスをしたのは観月だった?
そんな疑問が俺の中で昨日からずっと脳裏にある。
合宿の時に俺にキスをしたのはカレンだ。
けれども、入院中に俺にキスをしたとは一言も言っていない。
バニラの香りは香水だと言えば納得できる。
実際に、観月もバニラの香りのする香水を使用していた。
――ええー、でも………えぇえ~~~~……。
俺は混乱していた。
昨日うっかり、『俺にキスした?』何という疑問を口にしかけたが、何とか口を閉じることができた。
そんな質問をして、間違いであれば、確実に今後のご近所づきあいどころか、職場でも支障をきたす。
再び陽太に確認しようとしてもできるわけがない。
もしかして陽太が寝ぼけて見間違えたのかもしれないし。俺の顔を拭いたりとかしてたんだろう。
「………さん、高城さん!」
「え、あ、はい!」
看護師にもう何回か名前が呼ばれたのか、少し強めな言い方に俺は、はっと気が付いた。
「診察室へお入りください」
◆
検査の結果は、特に異常はないということだった。
治療代などは事故を起こした会社に支払ってもらっている。
大手の会社のお偉いさん方に誠心誠意、謝罪もされ、やれることは何でもするということで、刑事事件にはせず、民事として扱い、示談方向へ話を進めているところだ。
「高城さん、記憶の方はどうでしょうか? 物事が覚えにくくなっているとか、思い出しにくくなっているとかは?」
「いえ、特には」
やはり、事故当日の事は思い出せないが、それからの生活に特に支障はない。授業だって通常通り行えている。ミスったりはしていないはず。
「そうですか、何かあったらすぐに来てくださいね」
「はい。あ、ちょっと病棟に挨拶に行きたい人たちがいるので、いいですか?」
「ええ、かまいませんよ」
「ありがとうございます」
主治医に許可をもらい、俺は入院中に世話になっていた病棟へと足を運ぶ。
俺の手には簡単に摘まめる程度の菓子折りがある。
入院中に世話になった看護師さんたちに渡す予定の物だ。こういうのはあまりよくないかと思われるかもしれないが、せめてもの感謝の気持ちだ。
「すいません」
「はい? あ、高城さん!」
病棟受付の人は俺の事を覚えてくれたようで少し大きめな声で、俺の名前を呼ぶ。するとナースステーションにいた看護師たちが俺の方に視線を向け、どんどん俺の周りに集まってきた。こうやってなにかと俺の世話を焼いてくれていたのだ。食事の時とかも手づから食べさせようとしたり、入浴の手伝いをしようとしてくれた。なんだか目がギラギラしていたのは気のせいだと思いたい。
「今日はどうされたんですか?」
「検査です。それとお世話になりましたのでこれを……」
そう言って俺は菓子折りを渡す。
菓子折りは受け取るのは少し悩まれたが、内緒にということで受け取ってくれた。
「お、事故の兄ちゃんじゃねえか」
「おお、本当や」
そして、看護師たちの声に反応して、入院中に顔見知りとなっていた、患者さんたちにも会えた。
「んだ、また入院か?」
「違いますよ。ただの検査です」
「そうかい、そうかい。健康が一番じゃ」
快活に笑うおじいさんたちに話を合わせながら手を振り別れを告げる。
「でも、高城さん。4月からいろいろ大変だったんじゃありませんか? 教職ってこの時期、大変でしょう」
俺を担当していた看護師がそんなことを言う。
記憶の確認ということで、自身のプロフィールを話すことがあったのでこの看護師さんは俺が教職に就いていることも知っている。
「そうですね。新学期が始まってから結構バタバタしてて、なかなか、病院に来る時間が確保できませんでした」
「でも、高城さんは生徒さんに慕われてるんですね。結構な数の生徒さんがお見舞いに来てましたよ?」
「そうですか?」
「かわいい子ばかりでしたね。特にあの外国人の銀髪の女の子、お人形みたいでかわいかったな~」
それはおそらくカレンの事だろう。
確かにあの綺麗な銀髪は、日本に住んでいればなかなかお目にかかることはできない。
ということはカレンはお見舞いに来ていたということだ。
――だったら、やっぱりカレンなのか?
「服も結構、高価でしたね~。本当にお嬢様って感じで」
服?
そうだ。俺の記憶にあるのは静蘭学園の制服だ。
この看護師さんの言うことが正しければ、カレンは俺の見舞いには私服で来たということになる。だが、見舞いに来たのは一度だけではない可能性だってある。
「制服で俺の所に見舞いに来た人はいませんでしたか?」
「え? んーと、どうでしょう。私も全員は把握していません。高城さんの大家さんの娘さんと息子さんなら、何度かお見かけしたことがありますけど」
「制服を着ていたんですか?」
「ん~着てた時もありましたし、無い時もありました」
だよな。
観月の場合は何度か見舞いに来てくれてたみたいだし、完全に意識を取り戻した時に最初に見たのは観月の顔だった。あの時は私服を着ていたな。
俺が「よう」と声をかけると、大きな瞳に涙溜め、俺のベッドにうずくまって泣き出したのは鮮明に覚えている。
「そうですか……」
「あの? 何かありましたか?」
「いえ、着てくれた人にお礼も言えてないので」
「そうだったんですね」
尋ねた理由をはぐらかして応える。
わかったことは、入院中のキスは誰か分からないということだった。
結局、振出しに戻るというわけだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます