第26話 無我の境地

さて、無我の境地と明鏡止水、集中、無心、これらは同じ物です。

色々某所で書いてますが、基本的に我を無くすと言うのは自分の感情や虚飾などの欲も捨て思考すること。

一番簡単なのは自分の事でも他人事で考える事が簡単です。

普通の人はどうしても己の都合や欲を入れて物を考える。

そうすると知恵のパズルは完成しにくいんですよ。

都合が大事、欲を出したい。

それは知恵のパズルを歪めます。

良く、禅で無心の禅しますが意味無いですよね。

思考しないでどうすんだろ。

仏陀が元ならば瞑想とは一切の虚飾や感情を捨て思考実験する事のはずなんですよ。

ま、仏陀は貴族嫌いがまず大事にあったので後半は不思議な考えしてますけどね。

結局は無我の境地とは一切の感情を捨て思考するだけの事。

そして一番効率の良く、可能性高い答えを求める事。

無“我 ゛ですからね。

無“心゛ですからね。

思考しないって事では無いわけです。

思考のみになる、これが無我の境地。

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