2012.10.31風見【最終章】06

「いまからこっちに向かってるそうだよ。バス停で待ってたら、山の向こうから帰ってくるんだってさ」


「そうか。わかった」


 あっさりとした返事をするだけで、聖里菜は動こうとはしない。つまらない反応に、風見は奥歯をすり減らす勢いでくいしばる。


「それよりも、風見さんが心配やねん。顔色がおかしい。色だけちゃうな。表情もか」


 顎に痛みを覚えて、風見は口を開く。


「なんで、とっとと有くんを迎えにいこうとしないんだよ。可哀想だろ」


「そりゃ、すぐにでも動きたいで。せやけどな。目の前の困っとる人間を放っておいたら、死んだオトンにも、喧嘩別れした彼氏にも、どっかいった有にも、あわせる顔がなくなるねん」


 黒ギャルという女神か。あほらしい。


「なになに? もしかして信じてないの? 身体で報酬を払ってくれるって話があったから、確実な情報をボクも手に入れてきたんだけど」


「したいんやったら、そこのトイレで一発してもええで。せやけどな――」


「さっすが、女優さま。セックス好きでないと、やってけない仕事だもんな」


 クソみたいな正論を遮るように、風見は聖里菜を煽る。だが、彼女の表情に変化はない。傷だらけの笑顔が崩れない。


「なんや、風見さんはアホなんか? 好きなことが仕事になるとか夢みとるん?」


「思ってねぇよ」

 口にするつもりはなかったのに、風見の声という形が与えられていた。


「気に食わん業界で働いとるけどな。そん中でも、尊敬できる人間はおるんや。そいつの受け売りなんやけど『セックスが一番気持いいことだと思ってるのは、ガキの思考だ』ほんで、なんやっけな」


 名言がきけるかと思ったが、風見の心を震わせるには程遠い。


「続くのは、こうだろ? 『一番気持ちいいのは、世界が変わる瞬間だ。未知が既知になって世界が変わるのであって、セックスが世界を変えるほど気持ちいいってのとはちがう』ちょっとお姉さん、そんなにびっくりしないでよ」


「なんや、あの監督。したり顔で抜かしたんに、元ネタあったんかいな」


「元ネタってのともちがうよ。神宮監督に、よろしく伝えといてくれ。ボク達二人で見つけた考え方を偉そうに使うなってよ。あと、また飲みに行こうってな」


 聖里菜が立ち去らないのならば、風見が動き出すしかないようだ。

 進行方向が聖里菜と同じにならないように気をつける。遠回りをしてでも、223号室に戻るべく、風見は歩き出した。

 十代を共に過ごした女子でも、二十代のうちに悪友と掴んだ考え方でも、風見をすべきことに導きはしない。


 ヒナが海に帰ったって事実はどうしようもない。似た女の子を助けた気になっても、それはヒナじゃない。

 そもそも、カレンだって。

 いまじゃ、もう。


 このあと、片岡と顔を合わせるという未来も変えようがない。

 その時が来る前に、やるべきこととしては悪手といえる選択を突き進んでいく。

 久我銀河と二人きりになり、教えておきたいことがある。奴がやって来る場所はわかっている。

 どうして知っているのだと、誰かにたずねられたら、片岡の使いに教えてもらったと嘘をつこう。

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