2012.10.31 有② 01
バスに乗って、ずいぶんと経っていた。
なのに有の心拍数は、いまも上がったままだ。
体を動かした余韻からくるものが原因ではない。
むしろ、体力が回復したのが発端となっている。頭が回るようになったからこそ、精神的に追いつめられている。
お金を持っていないのに、気づいたのだ。どうしよう。このままだと、捕まるのかな。
明日の朝刊に載ったりする?
なんか、気持ち悪い。吐きそうだ。
バスの一番後ろの席で、有は両手で顔を覆う。涙が流れている。
ちがう、ちがう。尋常ではないほどの手汗をかいているだけだ。
「あの人、まだついてきてる」
「このペースだと、次のバス停で追いつくだろ」
男子学生のグループが、外を見て盛り上がっている。
バス代を持っている人は楽しそうだなと、有は冷ややかな目で学生服連中を眺める。
「らいむちゃん。あれ見てみ。本当にすごいよ」
「ですねー」
ハローウィンのコスプレをしているカップルも外を眺めて騒ぎはじめた。次々と同じ症状になっていくのは、感染症を思わせる。
その後も、外を眺めて感想を述べる乗客が続出する。
やがて老人が騒音を発する。方言なのか、そうでないのかすらわからない。
滑舌が壊滅的すぎて、ききとれないので、うるさいだけだ。
お金のない不安に押しつぶされそうな有でも、誰かがバスを追いかけて走っているのは予想できていた。
そんなことを考えはじめた時点で、有もまたバス内の空気に飲み込まれたに他ならない。
うねりに逆らえず、有も視線をバスの外に向ける。
病院外は、有の想像の上をいく。
走っている人を知っていた。チンピラとして有名な中谷勇次だ。
有が驚いたのは、勇次がバスを追いかけていたこと『だけ』だ。
だから、他の連中みたくバスに追いつくかどうかで盛り上がれない。というよりも、答えが解りきっているから、興味がない。
バスに追いつくのも、簡単にやってのけるだろう。
案の定、次のバス停で勇次はバスに乗り込んできた。
見ず知らずの人々の歓声や拍手で勇次は歓迎される。とうの勇次は不思議そうに首を傾げており、バス内の一体感に戸惑っているみたいだ。
運転手の鼻をすする音が、マイクを通してバス内に響いた。
勇次が座席に腰かける前に、バスが発車する。きっと運転手の嫌がらせだ。勇次がバスに勝利して、悔しがっているのだろう。
走り出したバス内で、勇次はバランスを崩すことなく歩いていく。
手近な場所に座らず、当然のように有の隣に腰かけた。
「偶然だね、勇次くん」
「そうでもねぇよ。監督を追いかけてきてたんだからな」
勇次は高校二年生だ。
年上に『監督』と呼ばれるのが、いまではしっくりきている。
「見舞いにいったんだけど、病室に向かってる途中で、バスに乗り込む姿が見えたんだよ。あー走った走った」
「病院から?」
耳を疑って、有は思わず聞き返してしまう。
「そうだ。病院からだ。スタート時点で相当なハンデがあったから、追いつくのに時間がかかっちまった。オレもまだまだだな」
「いや、まだまだとか謙遜しすぎだと思うけど」
走ってバスに追いついた直後に、息切れすることなく喋れている現状が、なによりもすごい。
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