序章 寵妃の誓い

 国王と王妃が崩御した。

 国王アレクシスと王妃ラーラの死は、国民に衝撃を与えた。これからエンブレン王国が繁栄の時代を迎えるだろうと皆が期待していた矢先の、思いがけぬ不幸である。

 アレクシス王の跡を継いで即位したのは、王弟であるジュリアン。十六歳を迎えたばかりの少年だった。


 少年は、デスクに頬杖をついて物思いにふけっていた。揺らめく燭台の明かりがその白皙の美貌を柔らかく照らしているが、彼の眼差しはぼんやりとしており、紫色の目も濁っている。

 兄夫婦の死、葬儀、己の即位、これからへの不安――自分を取り巻くめまぐるしい変化の波に揉まれ、心は既に疲弊しきっていたのだ。

 ふいに響いた叩扉の音に、彼は億劫そうに体を起こした。

「……夜分に申し訳ありません。アリシアでございます」

 柔らかな女性の声を耳にした少年は目を瞬かせ、立ち上がった。今夜は侍女も護衛も含めて人払いしているため、彼は自らドアを開ける。

 そこには、数名の侍女を伴った若い娘が立っていた。纏っているのは、装飾の少ない漆黒のドレス。ヘッドドレスに飾られたチュールが顔の大半を覆っているので、表情を窺うことはできない。

 娘はドレスの裾をつまんで淑やかに一礼した。金色の後れ毛がふわりと揺れる。

「今後のことをお話ししとうございます。お時間をいただけますか」

「……そうだな。僕も近いうちに、あなたとは話をせねばならないと思っていた。……おまえたちも入れ」

 少年は姿勢を正し、娘を室内に招き入れた。少年の許可を得て、侍女たちもしずしずと入室する。

 黒衣の娘を座らせると、少年は切り出した。

「……兄上もラーラ義姉上も亡くなった。アリシア、あなたはどうする?」

 少年の言葉に、娘は身じろぎした。彼女もそのことを話そうと思って、わざわざ今夜訪れたのだろう。

「兄上は死の間際まで、あなたのことを気遣われていた。潤沢な資金を託して地方で暮らすことも、兄上の喪が明けてから高位貴族と再婚することもできるが……どうだ?」

 そう提案したが、娘は緩やかに首を横に振った。

「お申し出はありがとう存じます。しかし、お断りします」

「……何?」

「わたくしはアレクシス様とラーラ様に多大なご恩がございますが、そのご恩を返せぬまま、お二人は神の御許へ旅立たれました。わたくしのような厄介者を受け入れ、守ってくださったお二人の恩義に報いるため――どうか、わたくしを陛下の臣下としてお側に置いてください」

 娘は顔を上げた。ヘッドドレスのチュールが揺れ、強い輝きを放つ緑の双眸が露わになる。

 その瞳の輝きに――少年は一瞬言葉を失い、息をのんだ。

「臣下って……アリシア、あなたは兄上の寵妃だ」

「はい。しかし正妻ではないとはいえ、公務のお手伝いをした実績もございます。必ずや、陛下のお役に立ってみせます。どうか、わたくしをお側に置いてください。あなたを支えさせてください」

 少年は眉間に皺を刻み、向かいの席に座る娘を見つめた。

 兄アレクシスの寵妃。少年のかつての義姉。没落した侯爵家の元令嬢。

 そんな彼女には今、八年前に兄のもとに嫁いできたときのような弱々しさは残っていない。

 少年は痛みを堪えるかのように顔をしかめ、暗い眼差しで告げた。

「……僕の即位を快く思わない輩はたくさんいる」

「存じております」

「あなたにもその火の粉が降りかかるかもしれない」

「承知しております」

「……それでも、僕の側にいてくれるのか?」

「はい」

 娘は柔らかな微笑を浮かべたまま、頷いた。


 あなたが私を必要としなくなるその日まで。

 私はあなたをお支えします――

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