女幹部ジャスミンバニーの大迷惑な毎日

織田千咲

第1話 戦うバニーさん(スライム)

「この世に悪がある限り!」

「正義は必ず駆けつける!」

「甘くて酸っぱい人生を!」

「彩る世界に我らあり!」

「果物戦隊!」


 アップルレッドを中心に、レモンイエロー、ライムグリーン、マロンブラウン、ピーチピンクがそれぞれポーズを取る。お揃いのデザインの全身パワースーツはカラフルだ。フルフェイスのマスクはそれぞれの果物がモチーフになっているため、少しダサい。


「バスケット!!」


 海の家の屋根の上で口上を叫んでいる果物戦隊バスケットと対峙しているのは、青色のスライム怪獣トロリンだ。五メートルほどあるゼリー状の体をぷるぷる揺らしている。果物戦隊に砂の上に追いやられ、動きづらそうだ。


「なん、なんだよ! ボクはただ皆と遊びたかっただけなんだよ!」

「その体で何して遊ぶって言うんだ?」

「目の前に海があるんだから、お前の体でプールを作っても誰も相手してくれないだろ?」


 スライムの体は水分量が多く、うまく「入る」ことができれば、中で泳ぐことができる。トロリンは人間の子どもに「入って」もらうことが好きな怪獣だ。


「こ、子どもたちが!」

「皆溺れたじゃないか!」

「子どもを溺れさせるのがお前の遊びか!」

「ボク、ボク……そんなこと……!」


 トロリンの目に涙が浮かぶ。レモンイエロー・ライムグリーン・マロンブラウン・ピーチピンクになじられ、責められ、精神的な限界が近い。溺れさせる意図はなかった、と詫びても彼らは許してはくれない。トロリンを排除するのが彼らの仕事だ。

 しかし、アップルレッドは戦闘を放棄し、海の家でかき氷を一つ注文している。彼女だけはかなり自由だ。


「うっ、うっ、うわあああぁぁぁ!」


 トロリンが大粒の涙を零すと、アップルレッドはすかさずスプーンですくって、かき氷の上に乗せて食べ始める。マスクは口の部分だけ開閉できる仕様だ。


「やぁん、おいしー!」

「アップルレッド、今はそれどころでは!」

「この怪獣を駆除しなければ!」

「たくさん泣かせて干からびさせるんでしょう? でも甘いシロップがもったいないじゃない!」


 トロリンの涙は実はかなり甘い。公式設定だ。海の家のスタッフが大きなタライを持って、トロリンの涙を集め始める。タダで手に入る、人畜無害のシロップだ。今日の目玉メニューになると踏んだ現金な輩だ。


「うっ、うええ、ボク、ただ遊びたかっただけなのにぃぃ!」

「そうよ、トロリンはただ遊びたかっただけなのよ!」


 サーフボードに乗った真っ白なバニーガールが、どぷんとトロリンに突っ込んだ。真っ白な耳と目と鼻が隠れるマスク、真っ白なビキニ、真っ白な丸いしっぽ、衝撃で揺れる乳と尻もキラキラ輝いている。


「ジャスミンバニーだ!」


 海の家に避難していたギャラリーが一斉にバニーへとカメラを向ける。「今日は水着だ!」とマロンブラウンが嬉しそうに叫ぶ。「スタイルいいなぁ」「あの足で踏まれたい」などと男たちが騒ぎ始めると、途端に面白くなくなるのがアップルレッドだ。

 果物戦隊の紅一点は、ボリュームの乏しい体にコンプレックスがある。ジャスミンバニーと比べられると、メリハリのなさが際立ってしまう。しかも、変身前には水着姿を見せていたにも関わらず、ギャラリーは誰一人としてカメラを向けてこなかった。腹立たしくもなるだろう。


「何してんの、あの女幹部と怪獣を早くやっつけるわよ!」


 マロンブラウンをマスクの上から殴りつけ、アップルレッドはかき氷を投げ捨てた。


「あんたの仕業だったのね、ジャスミンバニー!」

「おーっほっほっほ! 誰かと思ったら、ちんちくりんごちゃんじゃないの!」

「ちんちくりんじゃない!」

「トロリン、あのうるさいちんちくりんごを捕まえちゃいなさい!」

「はい、ジャスミンバニー様!」


 既に泣き止んでいるトロリンが、ボヨン、と跳ねた。サーフボードの上に乗っていたジャスミンバニーは全くふらつかない。水着の下の筋肉は伊達ではない。


「アップルレッド!」

「逃げろ!」


 果物戦隊の他のメンバーが叫ぶ中、トロリンがアップルレッドの上に落ち、あっという間にゼリー状の体内に取り込んだ。スライムの中にはもちろん空気などない。自力で体外へ出なければ甘いゼリーの中で溺れてしまう。


「アップルレッド!」

「なんてことだ!」


 マスクの口の部分を閉じていなかったアップルレッドは、スライムの中でもがき、苦しむ。彼女はカナヅチなのだ。これも公式設定だ。もちろん、誰もが知っている。ギャラリーも、ジャスミンバニーも、だ。


「うふふ、早く助けてあげないとりんごちゃんが溺れちゃうわよぉ」

「スーツの生命維持装置も、酸欠には対応できないぞ!」

「本部! ロボは発進できるか!?」

「ダメだ、ロボはまだ修理が終わっていない!」

「しかも、今回は予算が降りていない! 出撃は無理だ!」


 果物戦隊は丁寧に裏事情を説明する。ジャスミンバニーはサーフボードの上に寝そべり、眼下で溺れかけているアップルレッドを見て楽しげに笑う。


「あらあら、じゃありんごちゃん死んじゃうわねぇ」


 ゴボゴボとあぶくを出しながらアップルレッドはもがくが、体外へ出ることができない。かなり苦しいらしく、少しずつ動きがスロウになってくる。

 慌てた果物戦隊のメンバーがそれぞれの武器でトロリンに立ち向かうが、スライムを斬り刻んでも無意味だ。弓に斧に槍に鎌、刃物でゼリー状のスライムに致命傷を与えることはできない。

 スライム怪獣トロリンの弱点は、ただ一つ――。


「トロリン! こっちで遊ぼうぜ!」


 子どもの声が砂浜に響く。子どもと遊ぶのが何よりも好きなトロリンはキョロキョロとあたりを見回して、浅瀬にいる子どもたちを見つけた。先ほどトロリンの中で溺れさせられた子どもたちだ。トロリンの目が輝く。


「わぁ、ボクと遊んでくれるの?」

「こっちだよ!」

「こっちに来てよ!」

「こっちで遊ぼうよ!」


 海へ向かうトロリンに、慌てたのはジャスミンバニーだ。「ちょっと待って、トロリン!」とトロリンの頭をペチペチと叩くが、子どもたちと遊べると喜んでいるトロリンは止まらない。ボヨンボヨンと飛び跳ねながら波打ち際までやって来て、ジャスミンバニーの制止を聞かずにザブンと海へと飛び込んだ。


「トロリン!」

「わぁぁ、バニー様ぁ! ボク、溶けちゃうー!」


 塩が弱点のトロリンは、みるみるうちに海水に溶けて小さくなっていく。刺さっていたサーフボードも体から抜け、ジャスミンバニーも波打ち際に落ちる。


「もぉ、トロリン! 海はダメっていつも言ってるじゃないのぉ!」


 海に落ちてずぶ濡れになったジャスミンバニーは、髪をかき上げながら、近くでプカプカ浮いているトロリンにダメ出しをする。トロリンはもう三十センチくらいにまで縮み、気を失っている。


「やったぜ!」

「怪獣をやっつけた!」


 子どもたちがわいわいとはしゃいでいる。海へと誘導したのは、塩が弱点だと知っている子どもたちの作戦だったのだ。


「かわいそうなトロリン。ただ遊びたいだけだったのに」


 トロリンをぎゅうと抱き締めるジャスミンバニーの背後で、ゆらりと人影が動く。


「なぁーにが、かわいそうなトロリン、よ!」


 砂まみれのアップルレッドが、武器の剣を大きく振り上げた。


「溺れかけた! あたしのほうが! かわいそうよ! このクソウサギ!!」

「きゃあ!」

「アップルソード・スプラーッシュ!!」


 アップルレッドの必殺技が炸裂し、ジャスミンバニーとトロリンは空に吹き飛ばされる。「また来るわよぉぉ!」という声と共に、キラリンと効果音が鳴って女幹部と怪獣は消えた。「正義は必ず勝つ!」とアップルレッドが剣を掲げる。


「バスケットが勝った!」

「平和が戻ったぁ!」


 子どもたちは大喜びだ。海の家に避難しながら戦闘を見守っていた大人たちも、正義の味方の勝利に歓声をあげた。


 その後、トロリンの涙シロップのかき氷がよく売れ、海の家は大繁盛。「よろず屋」としてバイトをしていた果物戦隊の五人も「いい汗かいたね」と笑い合った――ところで、エンディングテーマが流れ始める。

 戦闘員サウザンズがパチパチと拍手を始めたところで、私は手を挙げる。それを合図にスクリーンの映像が止まった。……なんで赤峰あかみね林檎りんごの笑顔で止めるかしら。憎らしいわね、もう。




「上映会は終わり。今から反省会を始めるわよ!」


 私は白いマイクを持ってスクリーンの前に立ち、指を鳴らして照明をつけさせる。スポットライトが当たるのは気持ち良い。

 ここは悪の組織東部地区の基地内にある上映ホール。映画館のような大きな部屋に、怪人や怪獣がひしめき合っている。東部地区で活動する戦闘員だ。北部地区や西部地区で働いている戦闘員や非番の戦闘員もいるので、今集まっている人数で「千人」とは言い難いけれど、すべて合わせてサウザンズ、と呼んでいる。まぁ、ちょっとだけ盛っているってこと。

 今日はヒーローチャンネルの《果物戦隊バスケットの活躍日誌》という番組の第三十六話をサウザンズと一緒にリアルタイムで視聴した。三週間前、私とトロリンがビーチで暴れた際の映像に編集が加えられ、ドラマに仕立てられて全国放送されているのだ。

 青スライム怪獣トロリンはホールの一番前の席に座り、隣の吸血鬼に「よく頑張ったね」と労われているところだ。


「まずは今回頑張ってくれたトロリンに盛大な拍手を!」


 再度、サウザンズから温かい拍手がトロリンに贈られる。一メートルほどのサイズの彼は、特等席で嬉しそうにぷるぷると震えた。


「ではまず、良かったところ!」と私がマイクをサウザンズに向けると、様々な声が聞こえてくる。


「バニー様が美しかった!」


 でしょでしょ!


「バニー様のスタイルの良さが際立っていた!」


 この日のためにトレーニングルームに通いつめたもの! 筋肉バカのケンタウロスをトレーナーに指名して、ね!


「バニー様の水着が良かった!」


 ねー、あれ可愛かったよね! 衣装部も頑張ってくれたし、また着てみたいわぁ!


「バニー様の素足に踏まれたい!」


 いつもブーツだもんね、素足はレアだもんね!


 あぁー、気持ちいい!

 ヒーローチャンネルの視聴を上映ホールで行なう意義はここにある。褒め称えてほしいのよ、私を。頑張った私を。美しい私を。

 他の幹部が視聴を義務付けていなくても、私は違う。私はこの快感を得るために今この場に立っている。


「じゃあ、ダメだったところは?」と尋ねると、サウザンズは途端に口数が少なくなる。上司を前に改善点を挙げるのは難しいものだ。しかし、ダメ出しが全く出ないわけではない。


「バニー様の胸の揺れがちゃんときれいに映っていなかった」


 ヒーローチャンネルの撮影カメラを載せた無人航空機じゃ、私の美貌を捉えきれなかったのよね。もっといいカメラ使ってくれないかしら。


「せっかく濡れたのに映ったのは一瞬だけだった」


 あれも、ちゃんとカメラが追ってくれたら良かったのにね。ちょっとセクシーな演出とかできたのにね。カメラワークの改善をお願いしたいわよね。


「アップルレッドをもっと痛めつけたほうが良かった」


 ま、あれ以上やったら、ちんちくりんごちゃん死ぬからね。本気で死ぬからね。子どもの前でヒーローは殺せないからね。お蔵入りになるからね。


「アップルレッドのセリフが酷かった」


 いつものことよね。彼女がまともなセリフを口にしたことなんてあった? ないわよ。まともな行動もしてくれないから、敵対組織としては本当に困るのよね。


「アップルレッド以外が空気だった」


 だよね。もうちょい頑張るべきだよね、彼ら。やる気あるのかしら?


「……また負けた」


 それやめて。それやめよう。反省会がお通夜になるから。私も悲しくなるから。よし、やめよう!


「いいえ、勝っているわ!」


 私は高らかに勝利を宣言する。


「トロリンの涙で海の家が大繁盛したのよ? バスケットたちが三日間どれだけ頑張ってもちっとも客が来なかった海の家よ? これはトロリンの涙が、バスケットたちの努力を上回ったってことよね? じゃあトロリンの勝ちってことじゃない!」

「バニー様、ボク、勝ったの?」

「ええ、トロリンの勝ちよ!」


 トーローリン、トーローリン、とトロリンコールが巻き起こる。サウザンズの大合唱だ。当のトロリンは涙をボロボロ零している。その涙を、甘いもの好きの戦闘員が舐めている。見慣れた光景だ。まぁいつも通りカオスだ。

 サウザンズには次も頑張ってもらわなければならないので、上司として、部下たちの士気を上げるためならどんなことでもやらなければならない。


 私はジャスミンバニー。

 悪の組織の幹部リーダーズの一員。


 このあと、ボスに報告書を上げないといけないんだけど、「試合に負けて勝負に勝った」と書いてもいいものか、迷うわよね。

 中間管理職も楽じゃないのよ。




▼▽▼ 問題(1) ▼▽▼

現在の「おにぎり侍」は何代目か。

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