ダブルクロス・ノベルス・フロイライン

キリ公もしくはキーリ

オープニング・1

「ぬわぁぁぁぁぁぁ!?」

絶叫。爆発的な勢いで膨れ上がった赤炎が声の主を含めた、周囲のすべてを飲み込んで吹き飛ばしていく。


 東京近郊S県S市。深夜3時、いつもどおりの平穏に包まれているはずであった平凡なベッドタウンは、突如発生した轟音と閃光によってその静寂を打ち破られつつあった。多くの住人が安眠からの覚醒を余儀なくされ、まだ活動していた一部の者は立ち上る黒煙とそれを照らす炎を不安そうに見上げている。


 その炎――『異常』の発生源は街の外れ、この時間では残っている者も居ない工場や建築会社の資材置き場が立ち並ぶ一角。ずいぶん前に閉鎖され、今は看板すらかかっていない小さな廃工場であった。錆びたフェンスで囲われた荒れ果てた敷地に、吹けば飛ぶようなオンボロの建屋。無人のはずのその中で、炎に照らされ対峙する人影3つ。1人と2人に分かれているが、いずれもこのロケーションにふさわしい人物とは言いがたい。


 1人は成人男性。薄汚れた建物に釣り合わぬ仕立ての良いスーツ――少なくとも数分前まではそうだった――を身にまとい、髪をオールバックになでつけた長身の男。リムレスフレームの眼鏡の奥には怜悧な光を湛える瞳が隠されていたが、今はその眼を驚愕と動揺で見開いている。先の爆発に巻き込まれたのだろう、白煙を吹き上げ片膝をつく格好でなんとか体を支えていた。


 その男と向かい合う2人は、男以上にこの場所にふさわしくない、ティーンエイジャーと思しき少女2名。こんな時間に起きている時点で眉を顰められるのは間違いなく、ましてや人気のない街外れをうろつき、薄暗い廃工場に入り込んでいると来れば……問答無用で補導されても文句は言えないだろう。


 少女の1人は赤みがかった茶髪を後ろで一本おさげにまとめ、良く言えば大人しそうな――有り体に言えば気弱そうな――顔立ちをした小柄な娘。身につけた制服が市内でも有名なお嬢様学校のものであることも含め、この場にもっとも似つかわしくない人物と言えた。スカートが汚れるのも構わず、放心したような表情で床にへたり込み荒い息をついているが、服の両袖が焦げて焼け崩れたように失われているのが奇異ではある。


 へたり込んだ少女をかばう格好でスーツの男を見下ろしているのが、不敵な笑みを浮かべた娘。鋭く細められた目にかかる髪は金髪だが、そのわざとらしい輝きから染めたものであると知れた。先の少女よりわずかに年上と思しいが、同じ制服を身につけているとは思えない程、身にまとう雰囲気は正反対で荒々しい。獰猛に犬歯をむき出して笑うその金髪の少女が口を開く。


「決まりだぜ、“ディアボロス”さんよ。今のをもっかい受けられるだけの余力はもうねーだろ」

「クソッ、UGNの犬風情が調子に乗りおって……」


 男が呻く。彼は未だを失ってはいなかったが、その苦渋に満ちた口調が少女の指摘が正鵠を射ていることを暗に示していた。


「今退くってんならアタシも追わない。この爆発の事後処理あとしまつの方で忙しくなるしな。だが――」


 ざんばら髪を逆立て、金髪の少女が一段、声を低くする。


「この状況でもまだヤる気ってんなら……こっちも形振り構っちゃ居られねぇぞ」

「……この借りはいずれ返すぞ、UGNのエージェント!」

「“聖女の黄金マリーゴールド”様だっつの。覚えとけよ!」


 凄む少女に対し、“ディアボロス“と呼ばれたスーツの男が吐き捨てるように返して立ち上がる。少女が身構えるが、男はそのまま身を翻すと一目散にその場から走り去って行く。それを見送り、戻ってくる気配がない事を確認してから、やっと金髪の少女は息を吐いて茶髪の少女の方を振り返った。


「やれやれ、なんとかなったな。アンタもよくやったぜ、『雨鈴由乃』さん?」

「あ、あの……塩崎、先輩……」

「聴きてぇことは山ほどあるだろうが、そいつは後回しにしてくれ。アタシらもさっさと此処から出るぞ。立てるか?」

「う、うん……」


 差し伸べられる手に、へたりこんだままの少女も手を伸ばし――


***


 それが、おおよそ一ヶ月前の出来事。


(あれからがホントに大変だったなぁ……)


 雨鈴由乃は船の欄干にもたれて嘆息を漏らした。あの廃工場での夜からつい先日まで、隠蔽工作だ転校手続きだ基礎訓練だと、次から次へやるべき事がもたらされ、息をつく暇もなかったのだ。そして何より……知らされた『それまでの雨鈴由乃の世界をひっくり返す真実』を飲み込み、受け入れるまでに、それだけの時間が必要だった。


(レネゲイド……オーヴァード……UGN……FH……)


 人間を異能の力を振るう超人に変化させ、いずれ理性を侵食し本物の怪物にしてしまうウィルスが20年前に世界中へばら撒かれた。世界中で密かに発症者は増え続け、それに伴う事件・事故が深刻化したため、真実を知る一部の者がそうした驚異から人類を守る為に秘密結社を結成。ウィルスの存在を世間から隠しながら、同様に結成された超人による人類支配を目論む悪の組織と暗闘を繰り広げている。

――などと言われて簡単に信じる者は居ないだろう。よくある娯楽小説の筋立てと言われれば納得もできようが、現実にそんな事があるとは。


「でも自分で目の当たりにしちゃったら、信じるしかないもん……」


 口をとがらせ、独りごちる。あの夜を知り、何より自分がその『超人オーヴァード』に成り果ててしまったとなれば。そんな自分の体と付き合っていく為、彼女はあの日助けに来てくれた金髪の少女――数週間前に転校してきたばかりだった不思議な雰囲気の先輩――の手を取り、人類を守る秘密結社UGNの門を叩いた。そして目覚めた能力により今まで通りの日常を送ることが難しくなった為、彼らの指示でこの船に乗り新天地を目指している。


「……どうしよう、まだあんまり実感がわかない」


 改めて振り返ってみても、あまりに現実感の乏しい経緯に由乃は頭を抱える。この船の着いた先で、自分はこれから高校卒業までを過ごすのだという。生まれた街から一度も出たことの無かった少女にとって、それだけで大冒険に匹敵する覚悟が必要であることは間違いなかった。与えられた客室を出てわざわざ甲板に来たのも、1人で篭っていると不安で押しつぶされそうな気持ちになるからだ。


「だめだめ、しっかりしなきゃ! パパとママにも大丈夫って言ってきたんだから……」


 ちくり、と胸を指すような痛み。最後に見た両親のが脳裏をよぎる。ひび割れた追想。例え今すぐ海に飛び込んで陸に戻ったとして、自分の帰る家は――

際限なくネガティブな想像が浮かんできそうな気がして、ふるふると頭を振って意識を切り替える。おさげの髪がそれに合わせてぶんぶんと風に泳いだ。――と、


「おぉーい!島が見えてきたぞー!」


 誰かの声。1人悶えていた由乃も顔を上げる。視界に飛び込んできたのは山の緑と、点在する建物の白。


「わぁっ……」


 島であった。大きな島。これから由乃が3年間、暮らす島。少女の顔にかかっていた陰を一時でも吹き飛ばす力を持った、雄大な景色がそこには有った。


「でかいだろ。伊豆大島よりでかいんだってよ、アレ」


いつの間にか隣に立っていた金髪の少女、塩崎がニヤリと笑って声をかけてきた。


「ようこそ学園島へ。――オーヴァードアカデミアの新入生さん」


昨日と同じ今日。 今日と同じ明日。

世界は繰り返し時を刻み、変わらないように見えた。

だが、世界は大きく変貌していた。


ダブルクロス・ノベルス・フロイライン

「明日へのスタートライン」


 ダブルクロス―――それは裏切りを意味する言葉

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