(2)
階段の終わりは、細い廊下だった。白い扉には金色のドアノブが付いている。
それを開けると、壁の半分ほどはありそうな窓の横のカーテンが大きく揺れた。部屋の中はベッドとピアノ、少しのオモチャしか置いていない。あまり広くない場所だ。ここも今までと同じように、壁も床も白一色だった。
窓の前に一人の少女が座っていた。金色の髪の毛が風に靡く。ゆっくりとこちらに振り返った。透き通るような青い目がこちらを捉える。初めは表情の無かった顔に、驚きと涙が浮かび始めた。
白いワンピースを揺らして少女は立ち上がる。
「……お兄……さ、ま……?」
ハッとした様子で、隣にいた彼が口を押さえた。
「喋った……」
少女と目が合う。頭の中に、一気に映像が流れ込んだ。
小川で二人はボートを漕いでいる。キラキラと反射する水が眩しいことも、少女の笑顔がそれよりも美しく、愛おしいことも知っていた。
お兄様っ! お兄様!
なんだいアリス?
あのお話またして!
いいよ、君は本当にあのお話が好きだね。
この少年は俺に似ているけど違う。でもこんな夢をあの頃に見ていた気がするんだ。それと夢じゃないこと……。
私がパパ役をするわ!
えー君は女の子なのに?
女の子がやっちゃいけない?
そんなことないけど……。
じゃあ決定ね。
うん……ねぇロディー達はどうするの?
子供たちでいいでしょ。
えーまたー?
じゃあママが決めていいわよ。
ぼくママじゃないよ!
もう、じゃあ……今日はロディー達は無し。
無しなの?
そう、秘密なの。
ないしょ?
そうそう……私がないしょでママをやってあげるから、今日はあなたがパパよ。
え? いいの?
いいわよ。でも……みんなにはしーっだからね!
そうか、彼女だったか。アリスだったのか……急にいなくなってしまった女の子は。
抱きついてくる彼女を振りほどくことなんてできなかった。俺はこの子を……。
でも最後の役目を果たさなきゃいけない。皆の思いが預けられているから。もう会えないと察したのに送り出してくれた親友の手を、裏切るわけにはいかない。
「私ずっと一人で待ってたのよ! 寂しかった……けど、お兄様にやっと会えた」
「……アリス、そろそろ疲れただろ」
「疲れてなんていないわよ……ねぇ、遊びましょうお兄様! ほら、見て。ここにはおもちゃがたくさんあるの! 私はこのお人形で……」
「アリス、もう寝る時間だよ。俺もちょっと疲れちゃったな……アリスよく見て。俺は、本当のお兄ちゃんじゃない」
「……何を言っているの? お兄様は私のお兄様じゃない! お兄さまはちょっと変だけど、そんなこと言う人じゃないわ!」
彼女の頭をそっと撫でた。ああ、こうすることをずっと誰かが望んでいたんだ。
「こっちにおいで……綺麗だね」
窓の側に近づくと、風が二人の髪を揺らした。戸惑っている少女の横でポケットに手を入れる。時計を出して、蓋を開いた。
「……お兄さま……それは、なに」
「よく見てアリス……もう寝る時間なんだよ」
「い、いや……」
――カチリと針が動いた。
「おやすみ」
「……い、いやあぁぁぁぁぁぁぁあ!」
彼女の様々な姿が重なっていく。よく見ると一つ一つ別の時代になっていた。幼い少女が成長して老いていく。白衣を着た大人の女性が、幼い頃と同じ姿になった。走馬灯のような景色と同時に、幼い頃の彼女と遊んだ日々が頭を駆け巡る。
目の前に残ったのは白い砂だった。窓を大きく開けると、その砂が光りながら空へ舞っていった。
「さようなら……お嬢様」
後ろを振り向くと、彼は眩しそうに目を細めてから、安堵したように微笑んだ。
「ありがとうごさいました。あの子の……アリスの一番大事な方」
深々とお辞儀する姿を見ていたら、眠くなってきた。日の光に包まれながら目を閉じる。体が柔らかい暖かさに包まれていた。
……ああそうか、俺が求めていたものはこれか。ずっと探していたものは……アリス、君だったんだ。
おやすみ……アリス。
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