(1)

「ただいま」

「あ、おかえりー」

こちらを一度見た後、再び慌しく手を動かし始めた。大きな鞄に服や化粧品を詰めている。旅行でもするのだろうか。

「おばあちゃんが入院することになってね、あっちに泊まってその準備とか手伝うことにしたのよ。おじいちゃんも一人になっちゃうから何日か泊まることになりそうだけど、あんたも来る?」

「え、年末父さんと二人?」

「そうなるけど……お父さんも夜遅いし、殆ど家にいないし……あんた一人で大丈夫?」

「まぁ婆ちゃん家まで一人で行けない距離じゃないし、行きたくなったら行くかも」

「そう? じゃあもう先に行っちゃうけど……今日はそれ温めて食べてね」

返事をする前にコートを羽織り、今俺が入ってきたばかりのドアから出て行くと、一気に静かになった。

おばあちゃんにはしばらく会っていないけど、もう結構な年のはずだ。小さい頃はよく遊びに行ってたような気がするけど、ここ数年は全然顔を合わせていない。

ガス台の上に置いてあるシチューを確認していると、ポケットの辺りが震えた。その画面には和田からの着信を表示している。

「あ、忘れてた」

慌ててボタンを押した。

「どうだった?」

「……っう……グス……ズッ」

数秒無言が続いた後に聞こえたのは、鼻を啜る音だ。それで察した。

「ま、まぁ良い思い出になったじゃん、な? だからクリスマスはまた……」

「……いよっしゃあああああああ!」

「は?」

「やった! アドレスゲットぉ!」

こいつの目的はそれだったっけ……。思わず言葉を失うと、明るい声が返ってきた。

「ん? 何だよー喜んでくれないのかよぉ」

「いや、てっきり告白したのかと……」

「こ、こくはっ……! そんな! これだけでも凄いだろ、かなり頑張ったんだぞ! これから仲良くなって誘うんだ。いきなり誘ってもびっくりするだろうが」

「……まぁ言われてみれば確かにそうだな……じゃ頑張れよ」

「何か急に他人事だな。ま、いいや。なーんかいける気がするんだよねー。はは、いやー悪いなぁ、お前も早く誰か見つけろよ! アハハハ! それじゃあな!」

一方的に切られた電話を見つめる。再び静寂が部屋に訪れた。

「……っ!」

いきなり大きな音がしたので振り返ると、鍋が沸騰していた。急いで火を消しに行く。少しぐらい大丈夫なはずなのに、心臓がどくどくと早くなっている。何だか胸騒ぎがするのは気のせいだろうか。一人になったことで、心細くなったのかもしれない。

そんな不安を駆り立てるかのように、外は雨が降り始めていた。


深夜、バイブ音が鳴り響いた。時刻は五時半だ。ギリギリに学校に着けばいいと思っているタイプなので、起きるにはまだ全然早い。出てみると、母からだった。

お婆ちゃんの容体が急に変わったらしく、もしかしたらと言われたので、万が一の為に向かうことにした。ちょうど今日は終業式で明日からは冬休みになるから、授業的にはあまり問題ない。とりあえず起き上がって電車の時刻を検索する。後で学校にも連絡しないと……。

朝のホームは静かだった。もう少し後になれば、ここも満員になるのだろう。ガラガラの座席に座ると、暖房が効いているのか、その暖かさに眠気が襲ってくる。うとうとしながら風景を眺めていた。それでもいつの間にか寝ていたらしい。何気なく携帯を開くと、メールが届いていた。

《佐々木:今日休みなんだ? 珍しいね。何かあった? 時間あったら冬休みに会おうよ》

《和田:お前が休むとか初めてじゃないかー? 去年のこととかは知らんけどさー……昨日のこと相談したかったのにー。ま、普段休まないお前が休むならそれなりの理由なんだろうな。あ、ちなみに俺今日誘うつもりだから、そっちからパワーを送っててくれよな!》

あれから結構経っていたみたいだ。今の状態を説明して、いつ戻れるか分からないけど冬休みには会おうという約束と、和田の方には頑張れと付け足して送っておいた。

母の地図を確認しながら街を歩く。駅へ向かう学生や、スーツ姿の人とすれ違った。彼らに変な風に思われてないだろうか。

家には今誰もいないらしいので、そのまま病院に向かう。道は分かりやすくて、思っていたより早く着いた。母が入り口で待っていて、病室に連れて行かれる。これから手術が控えているらしい。

ベッドの横に座り、目の閉じられた顔を見つめた。こうしてちゃんと見たのはいつぶりだろう。そっと手を握った。しわしわだけど柔らかい手は暖かく、不意に涙が出そうになったので堪える。また来るねと告げて部屋を出た。

爺さんの車で、母と共に家に帰る。途中で寄ったコンビニで買った弁当なんかを母が食べているのは、珍しい光景だった。隣で俺もおにぎりのフィルムを剥がしながら、部屋を見渡す。もっと古い感じかと思っていたけど、結構綺麗にしていた。お茶を啜りながら、八十五年も生きたならもう立派だよなぁと隣で答える爺さんは、思ったよりもしっかりしていた。それでもやっぱりどこか寂しそうだ。

適当に飯を済ませてから、泊まる部屋に荷物を置きに行くと言って、家の中を見回る。だんだんと記憶の片隅から蘇ってきた。その時とはあまり変わってないように見える。でも全体的に物は減っていた。昔は一緒に住んでいたらしいけど、そこまでは覚えていない。


二階を観察していると、一つ気になる部屋があった。一番端っこの部屋だ。そこの扉が開いていて、廊下へ光が漏れている。誘われるように戸を開けると、まるでここだけ時が止まっているような錯覚に陥った。何かを思い出せそうだと押入れを開ける。中からはその頃書いたであろう絵や俺の写真、おもちゃなどがそのまま残してあった。

「うわぁ、これへったくそだな……」

思わず笑ってしまった。何の絵を書いたんだろう? やけにカラフルで、クレヨンが折れてしまいそうな程力強い線もある。実際折っていたのかもしれない。しかし自分でも分からないとは……。動物なのか物なのかも検討つかない。そして絵に関しては今でも相変わらずだ。

「これは幼稚園のアルバムか、こんなところにあったんだ。あ、このロボット! 懐かしい。よく遊んだなぁこいつで。名前はなんだっけ……」

奥に腕を潜り込ませていると、何かに当たった。それを取り出すと、ポロンッと甲高い音が響く。オルゴールだ。ピアノの形をしているそれを回してみると、まだ動くらしい。綺麗だけどどこか切ない旋律は、聞き覚えがないけど胸が締め付けられる気分になった。

今度はいくつかあった箱を取り出す。上のを開けてみると、中にはテディベアが入っていた。ボロボロで、何回も縫ったであろう跡があるクマ。目のボタンは一つ取れかけている。

随分古ぼけているけど、手に取ってみるとすぐに馴染んだ。大きさも柔らかさも匂いも、自分にちょうどいいように作られたような、不思議な手触りだ。

「こういうのって捨てられないんだよなぁ……」

そのままテディベアを腕に抱いていると、ポケットが震えた。

《和田:あーあ……彼女もクリスマスは彼氏といたいってさ。もうどうしようかな俺……カッコ悪いけどさ、最初はチケットのこと話さなかったのよ。で、フラれたから言ってみても全然なびかねーの。かんっぺきに脈なしだよなぁ。ハナから俺にはそんな可能性なんてなかったんだなぁ……今年は大人しく過ごすことにするわ……。ごめんな、せっかく応援してくれたのに……じゃーまた落ち着いたら話そうな……》

「ダメ、だったか」

あいつの悲痛が聞こえてくるようだ。相当へこんでるらしい。まぁ当たって砕けろって奴? 当たれただけでも良かったじゃないか。だよなと、クマに相槌を打たせた。

ところでチケットはどうするんだろう。使わなかったらかなり勿体無いし、かといって俺はこんな状況で遊園地なんか行っても落ち着かないだろう。そう考えていると二通目が来た。

《佐々木:そうだったんだね、お大事に。それはそうと、今年は和田と二人で過ごすことになりそうだよ……。ま、僕は最初から無理だと思ってたけどね。仕方ないから二人で下見に行ってくることにする。今度は絶対一緒に行こう。じゃ時間できたら連絡ちょうだい。ちょっと早いけどメリークリスマス!》

「こいつ……」

二人あったら沢山話を聞こう。そう決めて、散らかした思い出を片付けた。

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