暗雲の中でひとり

*****


 予報通り、週明けの火曜日は荒れ模様の天気になった。


 村内の学校は短縮授業になり、下校後は学校に到着連絡後自宅待機。もしくは最寄りの避難所への退避が村役場からの放送で促された。

 隣の婆ちゃんも含めて近所の人は思い思いの場所に移ったが――――俺は、家に残る事にした。


 現在時刻は夕方四時。

 本当なら日は傾いていてもまだ明るい時間なのに、窓の外は鉛色の雲がみっしりと空を覆い、もう居間の電灯をつけなきゃならないような曇天だった。

 まだ、雨音も雷も聴こえない。

 強まっていく風がガタガタと窓を鳴らしているのは――――まるで、ケンカの前に手の関節を鳴らすような不穏さがある。


 隙間から吹き込む気の早い虎落笛もがりぶえは、正直言ってゾッとする。

 この村、この家、たった一人でいつ停電してもおかしくないような台風を今から迎える。

 そんな時に限って――――色々、いらない事ばかり思い出してくる。


 戸棚の隙間から覗く女、ベッドの下の男、窓に貼り付く枯れ細った老婆、メリーさんの電話、……色々だ。

 いくら倒せるといっても、実際そんなものを見てしまえば心臓がいくつあっても足りやしない。

 幸いにしてどれも出くわした事はないが、目撃情報だけはある。

 各家庭に配布されているファイルには、きっちりと……ご丁寧にスケッチ付きで記載されているのだ。


「くっそ……! こんな事なら、あっち行きゃ良かったな……」


 心細さを打ち消すように悪態をつき、独り言を呟き……沈黙を誤魔化したくてつけていたテレビに目をやり、チャンネルを変える。

 夕方の情報番組をふちどるように、各地の気象情報が表示されていた。

 年かさの男性リポーターが合羽かっぱを着て中継する、その外。

 降水量、風速、進路が表示され、ひっきりなしに画面上に各種注意報・警報の発令がテロップされ続ける。

 この村はどうにか正面直撃コースからは外れたものの――――暴風圏は、ご丁寧にきっちり引っかけられた。

 それによると、村役場の予想では日没から深夜あたりまでがヤマ・・だという。

 あわよくば、明日休校にでもなれば……と思ったが、すぐに打ち消される。

 休みになればなったで村のアチコチからお呼びがかかり、暴風雨の後始末に駆り出されるのが目に見えているのだ。

 倒木の撤去、倒れた物置小屋の片付け、その他と。

 どちらに転ぼうとも、明日は空かない。

 そんな憂鬱が心にまで隙間風のように吹き込んできた頃――――おもむろに電話が鳴り、飛び上がりそうなほど驚いてしまった。


「……はい、もしもし」

『私じゃ。お主、本当にそこにおるつもりか?』


 いきなり訊ねてきた電話口の相手は――――ご存知の、碧さんだ。


「ええ。……ちょ、うる、さ……! 何やってんです、碧さん?」

『何って、決まっとろ。酒盛りじゃ。どうせ今日は外に出られんのじゃ。朝まで酔うたるわい』

「あんた本当、“遊びに来た”んだな……」

『悪いか? 何、享楽にだけ耽るつもりもないわ』


 受話器の向こうが、いやに騒がしい。

 がちゃがちゃとグラスや食器の準備をする音に混じり、爺様がたの喋り声、おっかさんがたのツッコミ。

 その中に子供の走り回る音まで混じって――――まさに、今から大宴会をやるのが明白だった。

……何が“避難”だか。

 しかも、よく聞くと……ゲームの音までするぞ。

 四人同時プレイのフッ飛ばし合い対戦ゲー、それも……若干古めのタイトルの効果音だ。


「……ちょっと混ざりたくなってきました」


 …………やり込んだなぁ、懐かしい。

 

『何、今からでも遅うはないぞ?』

「でも遠慮します。……それはそうと、碧さん」

『ふむ? 何ぞや』

「十年くらい前ですかね。神居北小で会いましたよね?」

『む……そういえば、そうだったような。それがどうかしたかの』


 ようやく碧さんが捕まったのだ、この際だし訊いてしまおう。

 そう思ったのも束の間。


『おっと、すまんな。もう乾杯の準備が整った故、これにて失礼するぞ。何、積もる話はあとで清算するわい。では、また後での』

「っ! ちょっと、待……! 碧さん? 碧さん!? ふざけんな、切りやがった!」


 怒鳴りつけても、返ってくるのは虚しく長い電子音。

 ようやく何か訊けそうだと思ったのに、またこうなった!


 怒りに任せて受話器をフック向けて投げ込むと、直後に再び、大音量のベルが鳴る。

 俺はそれを引っ掴むと――――。


「今度は何ですか!? いい加減に何か教えてくれたっていいでしょう!」

『――――どうしたのだね』

「えっ……」


 今度の相手は、違った。

 落ち着きのある低い声が、さっきまでの受話器ごしの騒然とはうって変わった静寂を背景に語りかける。

 この、声は――――。


「咲耶の、お父さんですか? すみません、何でも無いんです。どうしましたか?」

『そうか。……いや、実は……小一時間ほど前になるが』


 ついこの間、一度だけ会った事のある……神居神宮の神職のひとり、咲耶の父だ。

 花子さんの一件で、俺に合わせる顔が無いと思っていたようで……でも、それは俺も同じだった。

 決行したのは俺で、そのまま村から消えてしまったのも俺で。合わす顔が無かったのは、今になって思えば俺も同じで。

 互いに色々と腹を割って話し合えて、わだかまりもしこりも今はもう無い。

 むしろ、俺の両親の話を聞かせてくれて……感謝の気持ちの方が、今は強い。

 責任感の強い、どこか頑迷な咲耶父の声に、どうにも覇気が無い。


「……どうしたんです。おっしゃってください」

『……私が絵馬掛けを養生ようじょうしていて、諸々して戻ったんだが……りょうが、いなくてね。どうだろう、そちらにお邪魔してはいないだろうか?』


 ――――どくん、と。

 心臓が冷え切った手で鷲掴みにされた、ような感覚が全身に走る。

 その時、まさしく一陣の風が――――玄関の戸と窓を、いっぺんにガタガタと揺らす。


「家、の……中には……?」

『いや。蔵まで見たが……見えない。自転車も消えていた』


 ――――また、心臓が跳ねた。


『……ああ、手紙……いや、メモがあった』

「何て……?」

『“少し、探し物をしてきます”と……何の事か分かるかね』


 ――――分からない。

 ――――確実な事は、ひとつだけ。


 咲耶は……今からいよいよ台風の本番という時に。


 この村のどこかに、行方知れずとなった。






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