廃校調査は果たして何度目?
*****
昼休みに柳から聞いた“異変”の内容はこうだ。
二日ほど前から、あの廃校舎で不規則にピアノの音が鳴る。
それだけなら珍しくもない、この村ではよくある怪奇現象のひとつでしかない。
さらに言うなら、“学校の怪談”の典型だ。誰もいないのに音楽室からピアノの音がする。その正体はコンクール直前に事故死した生徒の霊だとか、卒業式を間近にしていたのに突然死した優しい音楽の先生だとか、そういうのがだいたいのオチになる。
本当、取るに足らない――――お決まりの噂話だ。
そんな事をボヤきながら、いつもの帰り路に着いていると……咲耶の顔が、曇った。
「……おかしいね、それ」
「おかしい?」
「うん。だって――――旧・
「え……どういう、事だ?」
「統廃合に伴って、あそこにあった備品のいくつかは神居村小学校に移されたはずだよ。今の神居小の体育館にあるのがそれさ。賞状やトロフィーの類は今も神居北にあるけどね」
「使えそうなめぼしい備品は移動されたって事か? 理科室の器具とかも?」
「うん。全部じゃないけどね。今も神居北には管理が入っているから、比較的キレイなはずだよ。出入りも届け出れば自由。あそこは確かに廃校だけど“廃墟”じゃあないよ。あそこ出身のお爺ちゃんお婆ちゃんが少なくないからね。たまに浸りに行ってるみたいだ」
「……そっか。二十年前まで使われてたんだもんな」
二十年前。
俺も咲耶も生まれていない頃だが、この村に過ごして来た人々にはつい最近の事なんだろう。
自分が通っていた人もいれば、息子や孫が通っていた人もいるはずだ。
そんな、思い出の場所がもう使われなくなってしまう。
思い出話を、共有できなくなる。
廊下についた傷の由来も、机に彫ったメッセージも、話題にできなくなる。
それは、きっと――――哀しくなくとも、寂しいはずだ。
だが、それとは別に……不可解な点が、増える。
ピアノが無いというならば、その場所で鳴るピアノは何から聴こえる?
しかも柳から詳しく聞けば、曲目もまちまちだったという話だ。
“幻想即興曲”の時もあれば、“運命”の時もある。更には、とても曲とは言えないような、ただ
それらが鳴り出すのは夜の事で、保守管理の人が校舎に入った瞬間、音は消えた。
電気をつけっぱなしにしておけば、音は鳴らなかった。
だが電気を消して後にすれば、ピアノの音が嘲笑うように聞こえて――――とうとう堪忍袋の緒が切れ、音楽室まで歩いて行って怒鳴りつけても何も変わらなかったそうだ。
「これは、調べに入るべきだよね。どうしようかな……ボクも行こうか?」
「いや、咲耶。俺と柳でいい」
「え、そう……?」
あの仕組まれたような三つのガムには、どうも裏を感じた。
というのも、柳が八塩さんにあれを食わせようとするとは思えないし、咲耶にもそうだ。
となれば、あいつは俺を狙い撃ちして誘う理由が何かあったのかもしれない。
……どうやって俺にあれを引かせようとしたのかは分からないけれど。流石にそれはもはや読みとかいう次元の問題じゃない。
悔しいが、イカサマと呼ぶにはあまりに神がかっていた。
八塩さんと咲耶がグルになっていれば話は別だが八塩さんがそこまで器用と思えはしないし、咲耶も俺のあの悶絶を見て尚、ネタバラシをする気配もないから違うんだろう。
「だからって、あれは酷いよ……二限目の授業まで、ずっと口の中気にしてなかったかい?」
「ああ、正直今もちょっと違和感が……。でもまぁ、いいんだ。
そう言うと、咲耶はいたずらっぽく笑って、“これだから男の子は……”とでも言いたげに目配せした。
悪戯には、悪戯で返す。正直、俺もそういうのは――――嫌いじゃ、ない。
「分かった、男の子ふたりに甘えちゃおうかな。それじゃ……せめて、コレ、持っていってくれるかな」
「……“身代わり”か。ありがとな、咲耶」
咲耶がくれたのは、“身代わり守り”だった。
彼女の鞄にびっしりとついた御守りの塊の中にあったものから、ひとつを手に取り、ふっ、と
これは単なるゲン担ぎなんかじゃない。
咲耶の作った御守りには本当に、その通りの“加護”が宿るのだ。
俺は、何度も助けられた。
“交通安全”祈願の御守りが、首なしライダーを減速させるのを見た。
高速で走るてけてけを、ターボババァを、コマ落としのように停滞させるのもだ。
――――――“花子さん”との約束を反故にしに行った時も、身代わり守りに助けられた。
「それにしても、暑いね。石川さんとこ寄っていこうよ」
思い出して少し沈みかけたのを察してなのか、駄菓子屋へ誘って咲耶がそんな提案をした。
九月の下旬に差し掛かっているのに、日差しは未だにきついし、日もまだ沈まない。
全然、夏の終わる気配がない。
増えていくトンボだけが暦の上の秋を演出しているようで。
俺は、ひとまず……よく冷えたコーラを思い浮かべて、少し早足になった咲耶の後へ、続いた。
*****
そして、午後六時よりちょっと早くに日は沈み、キッカリ七時頃に奴は来た。
今にも止まりそうな古いカブの排気音がポンポンと表から聴こえてきて――ガラッ、と戸を開ける音が続く。
出迎えて玄関に出ると、柳が首に手ぬぐいを巻きつけ、頬に泥を跳ねさせたままでぬっと立っていた。
「もう行くのか? 準備なら出来てるぜ、柳」
制服から着替え、適当なパーカーのポケットに“幽霊刀”の柄。
手持ちのマグライト、そしてスマートフォン、以上が俺の装備品だ。
この村は圏外だから使えないが、時計、ライト、カメラ、ボイスレコーダー、その他の機能は十分に役立つツールになる。カメラ越しに覗く事で“見える”時もあるのが、地味に便利だった。
「いや、待った。……悪いがよ、茶、飲ませてくれ。一服させてくれ、ナナ」
「は……? まぁ、分かった。上がれよ柳。居間でくつろいでろ」
「悪ィな。邪魔するぜ」
珍しく、どこかくたびれた様子で柳はゴツゴツした登山靴を脱いで上がり込む。
柳が茶の間へ入ったのを尻目に俺は台所に行き、準備をしてから数分遅れて、“茶”を二杯盆に載せて向かう。
「ほらよ、柳。お茶」
「あぁ、ありがてぇ…………って、何だオイ。これ」
「見ての通りだ」
汗を浮かべ、疲れ果てた柳に出した茶は――――熱々に煮立てた、梅昆布茶だ。
ちなみに、今日の最高気温は三十度に届かない程度だ。
「……ホットかよ。まさかこういう仕返しか、やるじゃねぇかオイ、ナナ」
「うるせぇ、飲め柳。本当なら七味ぐらい入れてやるトコだ。……っちっ」
「……で、何でお前まで同じの飲んでんだ?」
ちゃぶ台の向こうで渋面をする柳に、してやったりと笑ってやった直後――――すすり込もうとした茶が唇に触れ、思わず声が漏れた。
――――確かにそう言えば、そうだ。
――――なんで……俺まで熱い梅昆布茶をすする必要があった?
「うっせぇ。テメーにだけ出したらただの悪意だろ。冷めねぇうちに飲め。さっさと出掛けて片付けるぞ、柳」
「……お前って、そういう奴だよなぁ」
熱さを堪えながら、冷ましながら飲んでいくと……柳に出した湯のみからも、中身が減っていく。
意趣返しをしたかったはずなのに、結局こうなるのは、どうも要領が悪い気がする。
そんな自分の下手さに半ば呆れ、驚きながらしょっぱいうえに熱い季節外れの茶をすすっていると、おもむろに柳が口を開く。
「……お前ん家、フロついてなかったんだよな」
「ああ、無いよ。何、くれんの?」
「いいよ」
「はぁ……。え、何? 今、何て言った!?」
「だから、お前ん家にフロつけてやるってよ」
そう、この家――――住みやすいには住みやすいが、風呂がないんだ。
比較的近くに銭湯があるし、温水器自体はついているから髪も洗えない事もないが、流石に不便だ。
特に夏場は毎日毎日ベタベタで帰ってくるから、安いと言っても毎日銭湯に通うわけにもいかない。
お湯で体を拭くのがせいぜいで、貧乏苦学生そのものの気分が、侘しくて仕方なかったのが辛い。
「つっても、親父が発注ミスって届いたシャワールームだけどな。台所の隅でいいな? 次の日曜に工事しに来るから、家にいろ。……まぁ、いなくても別に構わねェんだが」
「え……いや、ありがたいんだけどさ、何でそんな? 高いだろ、それ? ガムの事気にしてんのか? そこまでのモンじゃ……」
「違う、違う。まぁ、俺とサワ、んで両方の親父達からの礼みたいなもんだ」
「礼……?」
「……お喋りもいいが、やる事済ませてこようや。忘れモンすんなよ。茶、ご馳走サン。おかげで随分温まったぜ」
そう言って立ち上がる柳を追いかけて、俺も外へ出る。
もうとっぷりと日が暮れて、田園の道はもう闇に閉ざされていた。
玄関先に止まっていた古びたカブは、とても――――男二人を乗せて走れるようには見えず、少し怪しい。
それでも柳は半ヘルを俺に差し出して、自分もかぶり、シートにまたがる。
……こんな夜道で堂々の
「……安全運転しろよ、柳」
「誰だと思ってんだ。ほら、乗れ。さっさと済ましてメシにすんぞ」
後ろの荷台にまたがると――――またも怪しい音とともに、それは動き出す。
闇の中に過ぎ去る家々の灯りと、尻から伝わる振動だけが、“移動”を物語ってくれた。
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