折り合う為に努力を

「刑罰をいくら厳しくしても凶悪事件に対する抑止効果はあまり期待できないことは、今よりずっと刑罰が厳しかったはずの昔の方が殺人が多かったという事実が物語ってるよ。


これを言うと、『昔は生きる為には仕方ないってこともあっただろ?』って反論する人がいるみたいだけど、それこそが<答>だよね。<殺さなければいけない理由>を減らすことが殺人を減らすことになるというのを裏付ける。


中世から近代、現代に掛けては、社会的な<殺さなければいけない理由>を減らすことがまず優先されてきた。社会制度を整え、食料を確保し、生きやすい環境を整えることで<生きる為に人を殺す>というのを減らしてきたし、それが功を奏してきた。


だけどそれも、現代の日本じゃほぼ達成されてしまってるよね。安全な水、食料、整備されたインフラ、社会保障制度、どれをとっても、正直、『これ以上を望むなんてむしろ贅沢だ』と言われるくらいには。実際、今以上の社会保障制度の充実には反対する人も少なくないみたいだし。


これを見る限り、<社会環境における人を殺さなければいけない理由>を減らすことはもう頭打ちと言っていいんじゃないかな。


となると今度は、<個々人の内心における人を殺さなければいけない理由>を減らすことが求められると思うんだ。精神的に追い詰められて結果として殺人に至るような事例について。


こう言うと今度は、『そんなことできる筈がない!』と反論する人がいると思うけど、でもね、中世の人達が現代のような社会環境が実現されるなんて可能なことだと思ってたのかな? 『そんな夢みたいな世界、絶対に作れる筈がない!』って思ってる人も少なくなかったんじゃないかな。


でも、現実にそれは実現できてしまった。だったら、今は不可能に思えることだってできるかもしれないよね?


こう言うと今度はまた、『人を殺すような奴を甘やかすのか!』って反応する人がいると思うんだけど、でも、殺人を減らすためにする努力を怠るのは、それこそが<甘え>じゃないかな。必要な努力は続けるべきだと僕は思うんだけど。


それにその手の反応をする人って、多くが、『何で自分は助けてもらえないのにあいつばっかり!』って感じのやっかみが多い気がする。むしろそれ以外の理由が見当たらない。加害者を作らず、結果として被害者も出さないように努力することの何に反対しなくちゃいけないの?


僕達吸血鬼は、人間と折り合う為に努力をしてきた。


人間は、同じ人間と折り合う為の努力をしないの?」


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