癒し

アオとミハエルがそうやってあたたかで穏やかなひとときを過ごしている時、さくらとエンディミオンがどうしているかと言うと、こちらは仕事の真っ最中だった。


いつものように編集部で仕事をしているさくらの様子を、エンディミオンは部屋の隅に陣取って眺めている。


時折、上司が高圧的な態度で彼女を叱責したりすると、彼は途端に不穏な目でその上司を睨み付けたりもした。


するとさくらは、それを察して彼に向かって小さく首を振る。しかしまたそれで上司が、


「話を聞いてるのかね!?」


と激高する。


「……すまん…」


またアオのところで原稿の打ち合わせのために編集部を出た時、エンディミオンがそう声を掛けてきた。さっき、自分が不穏な気配を発したことでさくらが気を逸らし、それで余計に上司を怒らせてしまったことを詫びているのだ。


「いいよ、慣れてるし」


さくらは、敢えて視線は向けずに少し微笑みながら返した。


ただそれは、『慣れている』というのも確かにあるものの、実はそれ以上に、エンディミオンがそうやって気遣ってくれたことが嬉しくて気持ちが癒されたというのもあった。


この世には嫌なことというのは当たり前にある。本来なら、アニメの出来云々で惑わされてなどいられないほどに。


アニメの出来を気にしていられるというのは、本当であればそれだけ恵まれた境遇にあるということなのだろう。


エンディミオンがかつて手を掛けたという子供は、アニメどころかまともに映るテレビを見たことさえなかったのだから。


その子供らの父親がタクシー運転手として真面目に働いたとしても、一日に二十時間近く働き詰めに働いても、新品のテレビ一つ買えないような環境だった。


無論、だからといって誘拐や強盗が正当化されるわけではない。ただ、そういう社会は現に存在するということだ。


加えて、エンディミオンはダンピールという、正式に今の人間社会で認められた訳ではない存在だ。


人間からは<怪物との相の子>と蔑まれ、吸血鬼からも見下される存在だった。


人間ではないから<人権>もなく、守られることも救われることもない。


そんな彼が、たかが上司に叱責されただけの自分を気遣ってくれる。その事実が泣きたいくらい嬉しかった。


だから癒された。


「今日の夕食は何にする?」


柔らかい表情で問い掛けるさくらに、エンディミオンは、


「肉だ。ステーキがいい。血が滴りそうなやつ」


と応えた。


「ステーキか~…」


そう呟きつつさくらは自身の懐具合と相談して、


「焼肉で妥協してもらえないかな…? お肉買って帰って、家で焼き肉しよう?」


現実的な提案をする。


するとエンディミオンも、


「ふん…まあそれで手を打っといてやる」


と、ニヤリと笑ったのだった。


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