一番の読者

「私は、他の<作り手>がどのような姿勢で望もうとも関知せん。


金の為だろうとも、名声の為だろうとも、ただのしがらみであろうともな。


何をモチベーションにし、何を目的に作品作りをしようが、それは作り手側の自由だ。<大人の事情>で仕方なくだろうと別に構わんと思う。


そしてそのようにして作られたものの中に、私にとって得難い<出逢い>があればそれでいいのだ。


それは、私の作品が万が一アニメ化された場合も同じだ。


一度他人の手に委ねたのであれば、それがどのように料理されようと構わん。


何故ならば、私の手を経ずに作られたものは、たとえ私の作品のタイトルを冠していようとも<私の作品>ではないからだ。あくまで<他の人の作品>なのだ。そして私は、<他の人の作品>を貶そうとは思わん。


私に、他人の作品をどうこう言えるだけの才覚がないことは、私が一番理解している。


自らが作品作りをしているからこそな。


だが同時に、私にとっては、私の作品こそが面白い。他人の評価など知ったことか。私は自分にとって面白いと思うものこそを作りたいのだ。


マイノリティ体質の私が面白いと思うものは、多数の評価を受けることはないだろう。商業デビュー作が話題になったのは何かの間違いだったと今でも思っている。


だがあれは、それでも私にとっては面白かった。あれを書けたことを誇りに思う。


<ラノベ論>を振りかざす連中からクソほど叩かれようとも、そんなことは知ったことじゃない。


私は、<私の作品の一番の読者>である私自身の為に書いているのだ。私が面白いと思うものを面白いと思ってくれる読者が他にもいてくれたのなら僥倖だ。


それを<自己満足>と呼ぶなら呼べばいい。


けどな、すべての読者、すべての視聴者を同時に完璧に満足させるようなものを作ることが不可能である以上、


『読者の為』


『視聴者の為』


とどれほど唱えてみようとも、それすら<自己満足>にすぎんのだ。


世の中で評価の高い、ラノベ、マンガ、アニメを見ても、万人が万人、全員が『好きだ』『面白い』と評する作品など一つとしてないだろう?


加えて、<人気作家>と呼ばれる方々の作る作品すべてが大ヒットとなる訳でないことからも、それは明白だ。


発表された当初は人気が出ず、後年になって評価されたりすることもある。


『読者の為』『視聴者の為』と言って作ったにも関わらずだ。


この現実がある限り、『読者の為』『視聴者の為』などという<お題目>すら、自己満足を脚色する為の詭弁にすぎんということだな」


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