百も承知の上
『私はその頃にはもう生きてないかもしれないけどさ』
アオがそう言ったのは、人間と吸血鬼とが共生できる世の中になるには、これまでの人間の歴史も鑑み、まだ数百年の時間が必要かもしれないと思ったからだった。
そんなアオに対して、ミハエルは、
「そうだね……」
と穏やかに応える。
ここで、
『そんなことないよ』
と応えることの無責任さを知っているからだ。そして、アオが厳しい現実を受け止められると思えばこその言葉だった。
根拠のない希望的観測を伝えることは必ずしも<優しさ>ではない。
現実を受け止められない相手に包み隠さず事実を突き付けるのはさすがに乱暴かもしれなくても、今のアオは現実と向き合うことができるのだから、そんな彼女に根拠のない希望的観測を伝えるのはむしろ侮辱と言えるだろう。
しかし同時に、
「だけど、可能性がないわけじゃないんだね。人間と吸血鬼が共存できる」
との言葉には、
「ないことはないよ」
ときっぱりと応える。
するとアオは、寂しそうではありながら、
「そっか……それならいいよ」
呟きながら微笑んだ。
この世の中は、決して幸せなことばかりではない。都合のいいことばかりでもない。
むしろ、苦しいこと、辛いこと、悲しいこと、嫌なことで満ち満ちている。残酷な現実が当たり前のように転がっている。
けれど、それでも、そんな<不幸の大渦>の中にも、幸せは確かに息づいているのだ。要はそれを掴み取れるかどうかの問題である。
そしてアオとミハエルは、確かにそれを掴み取った。無駄に争いを生まず、諍いを起こさず、確固とした信念の下、自らそれを作り上げたのだ。
無論、これから何一つ災いが降りかからずただ平穏なだけの毎日が続くという保証は何一つない。何一つ波風が立たない人生など恐らく存在しないだろう。
そんなことは百も承知の上で、二人は一緒にいるのだ。二人で自分達の人生を作っていくために。
何も考えずにただただ自分達の幸せが続くことを期待しているだけなら、予期せぬことが起こった時には脆くも崩れ去ることもあるだろう。
しかし二人は分かっている。自分達の幸せが大きな波乱の中にあるということを。その大波に揺られている状態こそが普通だと分かっているから、それが目の前に現れたとしても狼狽えない。
不幸と幸せが常に隣り合わせに存在することを承知していて、その上で自分なりの確かな幸せを確立している者は強い。少々のことでは壊れないからだ。
他人に何か言われたくらいでは揺らぐこともない。
元より他人の戯言など、虫の鳴き声のようなものでしかないのだから。
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