定食屋

夕食は、会社のすぐ近くにある定食屋で済ませることにした。それがいつものパターンだった。


同僚はもっとおしゃれなカフェなどでの軽食で済ませたりもするが、彼女は、食事をとるとなればできればガッツリと食べたい、それもなるべく定食系でと考えるタイプだったのである。


「イポンスキー・ルィブネ・ビルゥダ(日本の魚料理)か……」


不審極まりない黒マントを脱いで、今の時期には少々寒そうにも見える半袖半ズボンという格好になったエンディミオンは気配を消すのをやめ、普通にさくらの向かいに座った。


で、彼女が店主に、


「いつものお願いします。この子にも」


と頼んで出てきた<塩サバ定食>を前に、彼は呟いたのだった。


「ごめん、魚、嫌いだった?」


戸惑ったようにも見えた彼の様子に、さくらはついそんな風に尋ねてしまう。


「いや、そういう訳ではないが……」


と言いながらエンディミオンが箸を鷲掴みにした。それで、さくらも察した。


「そっか、箸は使い慣れてないもんね」


そしてすぐ、


「ごめんなさい、フォークとナイフってありますか?」


店主の妻で接客係の中年女性に尋ねると、


「外国のお子さんだね。ホームステイとか?」


などと話し掛けながら、ナイフとフォークを持ってきてくれた。基本的には常備していないものの、念の為に用意されていたものだった。外国の旅行客などもたまに来るが、わざわざ定食屋を選んでくるような観光客は敢えて<箸>を使ってみたいという者が殆どなので、言われないと出さないようにしていたらしい。


「ええ、そんな感じです」


毎日のようにここで食事にするのですっかり顔馴染みだったこともあり、さくらも気安くそう受け答えしていた。


女性の方もあまり突っ込んだことは聞いてこない。こういう商売をしていると<訳あり>の人間を見かけることも少なくないので、深入りはしないように心掛けているのだそうだ。


ナイフとフォークを渡されると、エンディミオンは、それで<塩サバ定食>を食べ始めた。箸を使うのが当然の日本人からすると、逆に器用に見えてしまう。


「ふん…塩味の強い料理だな。少し、キャビアを思い出す」


「ああ、キャビアってしょっぱいもんね。って、そう言えばアゼルバイジャンってカスピ海の近くだったっけ? チョウザメで有名な」


「そうだ。よく知ってるな」


「まあね。仕事柄、カスピ海とかの有名な場所なんかはフィクションにも割と登場するから時々調べたりもするんだ。カスピ海を舞台にした小説もうちの出版社から出てたこともあるんだよ。と言っても、内容はハチャメチャな異能バトルものだったから、あんまりカスピ海には関係ない感じだったけどね」


「…お前の言ってることは時々分からん……」


などとやり取りをしながらも、意外なほどに穏やかな食事になったのだった。


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