潜伏

『お前を守ってやる』


エンディミオンはそう言ったが、今の日本で、しかも権力などを持っている訳でもないさくらが命を狙われるようなことは、はっきり言ってそうそうあることではなかった。


彼女が扱うラノベなどであれば、ここでエンディミオンを活躍させる為に、突然、殺人鬼などが現れて彼女の命を狙ったりするのだろうが、そんなことも現実ではタイミングよく起こったりはしない。ただただ平穏なだけである。


せいぜいが、先程の痴漢や、ストーカーがいたりするくらいだろうが、今の時点では、彼女はストーカー被害などにも遭っていなかった。


だから何事もなく会社に着き、さくらはそのまま仕事に就く。


エンディミオンはただ、気配を消したまま彼女の仕事ぶりを見守っただけだった。


途中、少々イヤミな話し方をする上司にネチネチと小言を並べられ、困ったような顔をした彼女を見て、


『…チッ…!』


と舌打ちしたくらいだ。


結局、その後も何かが起こるでもなく、日が暮れてしまった。


途中、オフィスの隅で、エンディミオンはうずくまったまま仮眠をとっていた。とは言え、さくらに何かあればすぐに対応できるように、熟睡はしていない。彼女が「あ…っ!」などと声を上げればハッと目を覚まして例の金属製の定規を手にして身構えたりもする。


その様子を見ていて、さくらは、


『なんか、申し訳ないな……』


という気分にもなっていた。何人もの吸血鬼や眷属や人間を殺してきたという者がそこに潜んでいるというのに、むしろ痛々しささえ覚えてしまう。


『やっぱり根は真面目な人なんだ……』


とも思った。


彼の境遇が、彼を残忍なハンターに育て上げてしまったのだろう。


戦争で戦場に立った兵士が状況に過剰適応してしまったようなものなのかもしれない。


それが自分の役目だからと、心を殺して冷酷に振る舞うような……


無論、だからといって幼い子供まで殺したことは許していいとは思わない。それについては強い非難を免れないとは思う。でも、彼はたまたま命を落とさなかっただけで、彼が殺したという幼い子供と何も変わらないとも言える気がした。


そうだ、彼が殺したという子供達も、もし生き延びていたら彼のようになっていたのかもしれない。


その意味では、ほんの紙一重の違いだったのだろう。彼と、彼が殺した子供達とは……


夕食時、仕事はまだ続くので取り敢えず食事を済ませてまた仕事に戻ることになるが、エンディミオンの前を通り過ぎる時、耳がいい彼にしか聞こえない程度の小声で、


「食事に行きますか?」


と尋ねた。


すると彼は、マントを脱ぎながら立ち上がり、黙って彼女について行ったのだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る