第20話 いっておいで

主様ぬしさまは鬼じゃないから命の証明の星などないでしょう?」


さりげなく笑って「そうだね。」と主様ぬしさまが答えた。


「意味などないではないですか。」


「探さなければわかるまい。」


「探さなくてもわかりますよ」


軽い言い争いは座ったままから始まり、沈黙的に終わった。主様ぬしさまがゆっくり口を開け、鈴蘭すずらんの声が空へ響くように音を奏でた。


「世界が誕生した時に、空は黒だった。君は信じるかい?」


また矛盾、この人は矛盾が好きなんだな。


「世界が誕生した時に、空は白だったと聞いていますが?」


「誰から?」主様ぬしさまは誇らしくしている。


「母上から。」私も負けじと誇らしく笑う。


「鬼がヒトになる時、命の証明の星は流れる。その星はどこへ消えていくのか考えたことは?」


「ないです。」



考えたことはない、そんな純粋で素直な言葉を言えるのならば私の心は花びらのように軽いのだろう。だけれど、本当に考えたこともなかったのだ。小鬼の頃ここを出た時から命の証明が流れる行く先など、天の方へと登っていく想像しか浮かばないのだから。


「天の方へ、などはどうでしょう。」


呼吸が静かだ、肺の中で抜けていく空気の音が風の流れに乗って月まで消えてゆく。やはり、天の方へと行くのは確かだ、そうでないのならば空気は下へとしか行けないのだから。


「どうだろうね、僕もよくわからない。」


「ならばなぜ私にそのような疑問を?答えがわからないのならば、聞かない方がいいでしょう?」

  人間ならば、感じ方は違うのだろうか。人間ならば、考え方も感情という波への疑問をたやすく乗り越えられるのだろうか。有限の命は、無限よりはるかに儚く脆く愛しいのだ。上の天へ登る、下の地獄へ落ちるか、人間はそのようしか考えていないように見えるから。むしろ、いつか自分の心の華が散ってその華びらの行く先を知るのが怖くて考えていないだけなのかもしれない。私は考えたことがないだけで、自分の心が上へ登るか下へ落ちるかなど重要視していなかった。終わらない命に、終わりを考えるのが馬鹿馬鹿しいと思っているからである。


だけれどこの世界には矛盾も存在するし、否定も、肯定も存在する。いつか終わる命は一つのきっかけで終わらなくなるかもしれないし、終わらない命も否定一つで流れてしまう。たとえそれが偉大なる天界のヒトと邪神なる鬼人の間の鬼仔であっても否定一つで無限が絶たれる。恐ろしいと考えるべきなのか快楽だと思うべきなのか、議論の余地もある問題だ。


「聞かなくても、知りたいと思えば聞くべき理由ができる。僕はそれを『別に大したことでもないのになぜ知りたがる』と心中思って怒るが、僕もたまには人間的思いを明らかにしてしまうのだよ。僕も、一応人間ではあるしね。半分だけれど。」

 まっすぐな目を天空に広がる黒紺色した花畑を見つめる、かすかな白い華たちを見つけようとしているように。まっすぐな目はまるで主様ぬしさま彼自身をその天空に浮かび上がらせて、花畑を駆け巡るために必死で誘おうとしているようだ。それほど、あの空に思いがあるのだろうか。それほど、あの空の向こうにいる人食いの親友の人間が恋しいのだろうか。


  「空の向こうには、誰かが待っているとしたら?」

咄嗟に私はそう口を開いた。


主様ぬしさまは夢から覚めたかのように瞬きをし、声の調節をするように喉を鳴らし、形色不安定な手で赤とは違う豹の黄金色の目を抑えた。


今から思うと、小鬼のころ私が見ていた恐ろしく強く不安定な精神を保っていた主様ぬしさまは幻で、本当の彼はいつも恐怖や他人のする仕草を観察し、見極めて行動をしていた。それがたとえ子供の鬼が相手だろうと、心の中に固く閉ざしてあった扉を彼は鍵をかけた。軽いが臆病で、怖がりでも恐ろしく、狂気を身にまとっても心の戸の中はいつも何かを壊さないようにしている。


「もし空の向こうに誰かが流れてくるのかを待っているとしたらそいつは馬鹿だろう。鬼の生きた証明など流れついても迷惑しかなさそうだからね。」深刻な軽い台詞を口の外へ溢れ出した。


「ひどいですね、私たちの生きた証明は結構な価値だと思いますが。」


「個人的にだよ、だって君も想像してごらんよ。もし巫廻麗刄ふみつばの生きた証明が何も知らない空の向こうに待っている人間の元へ流れ着いたら、迷惑だろう?」主様ぬしさまは笑いながら人差し指を空へ向けた。


「どうして?」首をかしげ、私は主様ぬしさまの薄白い肌をした人差し指が向けた空を見つめる。


「狂っているように妹の事ばっかり心配するような兄鬼の奴の記録が何も知らぬ人間の所へ流れてもきっと『妹の所へ返せー』と証明の星が爆発するだろうよ。迷惑しかなさそうだ。」人差し指を縦下振る主様ぬしさまは清々した表情でふと笑い、ため息をついた。


「私の兄も言われっぱなしですね。そこまでひどいとは思いませんが。」と言おうとした時に主様ぬしさまは口を開いた。


「君はいつ人界へ戻るんだい?」


私はただ主様ぬしさまを見つめ、聞いたものを確認しようとした。すると、もう一度


「また聞くよ、君はいつ人界に戻るんだ?」


主様ぬしさまの眼球から放たれた視線は冷たいというよりも、冷めすぎて義眼に見えるほどだった。黄金と赤の別々の色であっても、私からの視界に映った主様の目は全部灰色に染まっていて、まるで一気に違う世界に飛び込んできたような心情だった。


兄様あにじゃの精神状態がおかしい限り、私はここを離れたくないのです。兄様あにじゃの様子はおかしすぎるし、私は心配する事しかできないと思うけれど、妹鬼として私がここに存在するのだとしたら、私はここにいなければいけないのだと思うのです。」


主様ぬしさまの呼吸は無に等しく、まるで人形が自分で動いているようにも見えた。


「君がここにいても、巫廻麗刄ふみつばは変わらない、治らない。彼は君が人界で安否し続ける事実だけで心配をするからね。君が否定されない限り、君は存在し続ける。だけれど巫廻麗刄ふみつばは違う、ここにいるだけでも死ねるのかもしれない。彼は加虐かぎゃくの鬼神、人間も鬼も互いを傷つける事をやめた時に死ぬ。」


「それが何の関係性があるので?」


巫廻麗刄ふみつばはまだ見ぬ過去で傷がついた。まだ見ぬ過去は彼の代する名を否定仕掛けているのだよ。それゆえに巫廻麗刄ふみつばは知らぬ時に彼が一番大事にしていた人間と賭けをしてしまっていた。それに人間が賭けを破れ、代償を支払った。今では傷が大きすぎて死と生きの境だ、巫廻麗刄ふみつばは自分を憎んでいるし、到底自分の勇気であの人間に会いに行く事は不可能なのかもしれない。だけれど、奴を治す事ができるのは奴だ。君がここにいても、なんの変わりもない。僕だって、本当はこんなところにいても何の役にも立てないんだ。」


「じゃぁ、なんでここにいるので?」


「君をここから追い払うためだ。あの阿呆にこれ以上心配掛けさせる対象を増やしたくない、だからもし君がここではなく人界にいても構わないとするならば、是非ともここを出て行って欲しいと思っただけ。」冷えた色をした肌は主様ぬしさま自身を灰色に染め上げて、外も空気も全て凍らせるような色に染めた。黒白の景色、灰色の花々。


真っ黒な空。


私は黙った。主様ぬしさまは、親のいない、孤児に見えた。何もかも灰色に染まって、何もかも信用ができない。私の眼球からは鮮やかな色が花を咲いていたが、視線の話をするのならば話は別。全てが冷たい色で映されていた。




もう一度言おう、と主様ぬしさまが口を開く。


「僕が彼の過ちを口に出すことはこれからはない。」

知っています。


「人間を鬼に変わらせることで一緒に愛だの恋愛だの家族になるだの子作りだのできるから別に構わない。知ったものか、僕には関係ないからね。」

それも存じております。


「人を鬼にすることは鬼の法にもふれることはない。鬼の方面では新しい鬼を作り出すことになるから大歓迎なのかもしれない。」

私的にはどうとも思いませんが。


「だけれど覚えておくように、人間という判断をする生き物を鬼という委ねの生き物に変えることは異界が許しても天界は絶対に許さない。」


「絶対にだ。」


主様ぬしさまは呪縛を解くように気を抜いた。すぐに色は視線に戻った。だけれど怖かった、恐ろしいと思わされた。


「…私は人界に戻りますね。」


「そう思わせたのは僕かい?」


「まぁ、そうですが。でも、私も言ったはずです。私は妹鬼いもうとおにとして心配する事しかできないと。」


「そうか、そうだね、君も賢くなった。」ため息をついているのだと思えば、主様ぬしさまは笑顔だった


「あなたもよく朝言ったことを覚えていますね。」


「僕はいわゆる全知全能さ、受け持った能力も最強…なのかもしれない。」誇らしく胸を張った主様ぬしさまは、子供に見えた。子供らしくて、彼自身子供に見えた気がした。だけれど、その子供像はなんとなく喜ばしいものには見えなかった。


「全知全能なら、これからの私が通る道筋の占いをしてくださいな。」


「占いと全知全能は違うよ、正しくは予知だ。といってもそれは占いと一緒か。」主様ぬしさまは肩をすくめ手のひらで頭を笑いながら抱えた。


「大吉か、凶か。はたまた他の吉、中吉、小吉、末吉なのか。」私は指で御籤みくじの順列をたどる。


主様ぬしさまはまず空を見上げてまた左に顔をふり、赤と黄金の目で私の顔を見る。見極めているような表情で何かを探ろうとしている。探り当ててすごいだろうと探り当てる。子供ならそうするだろう。主様ぬしさまは、昔の自分が思っている『大人』よりも『子供』の方に近い存在だと思う、私はそう思う。


主様ぬしさまは見続けた、何かを見送るような表情に顔を変え、そのあとはため息をつかず瞬きをした。


「僕は君の運勢を決められるほど、すごいヒトでも、人食いでも、神主でもない。たとえ混ざり合っていてもそうだ。樹珠じゅじゅちゃん、君は僕が見極めた合格者だ。何年も前に僕はそう予言した、実際そうだった。君は素晴らしい鬼神となって帰ってきた、ここを出て行った時小鬼の君が大人の鬼として自分の兄を心配し言葉を守り帰ってきた。僕が君を久しぶりに見た時、驚きはしなかった。だから樹珠じゅじゅちゃん、君もこれから起こりうるだろう喜びも、悲劇も、惨劇も、咲き誇る梅の花が散ったとしても驚かないことを誓え。」


「誓います。」


「僕は御神籤おみくじの判決を探るものではないし、見届けるものでもない。見つめるものだ。だから樹珠じゅじゅちゃん。どうか、君は僕みたいになって欲しくはない。巫廻麗刄ふみつばの阿呆は僕たちに任せ、あいつが自分で自分の問題を解決したら君も帰っておいで、自分が見極めた自分の大吉の持ち主を連れて帰っておいで。たとえ其奴そやつが壊れていても、絶対に其奴は僕が直してあげるから。」





            「いっておいで。」

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