037  幼馴染と言うのはそれ以上、それ以下でもないⅡ

 なら、角側を開けて☗3七銀戦法で攻めるか。いつしか、本で見たことがある。俺でも、多少は善政と指していたから、感で分かる。

「ほう、やるじゃないか。……そう来たか」

 笑いながら、じっくりと考え込む。そんな誉めなくてもまだ三手目だぞ。大事にするのにも善政が目をつぶった。

「うむ……あ、ここはだめだ。いや、そこか……」

 善政よしまさが腕を組みながら唸っている。

 なんで、こいつが棋士なることが出来たのか本当に分からん……。

 俺は溜息をつきながら、善政が考えている間、とても退屈をしていた。

「へえ、こんな序盤じょばんでも考え込むんだ……」

 夏目がのんきにそんなことを言った。そりゃあ、テニスと違って将棋は考える時間が長いから攻守ともに時間帯が違う。

「なるほど……天道君がやろうとしている戦法って、あの……」

 言いかけた冬月の口を俺は塞ぐ。

「それ以上言うな。フェアじゃなくなる」

「それをあなたが言うと説得力に欠けるわね」

 額に手を当てながらやれやれと冬月ふゆつきは呆れながら言い、読書にまた集中する。

「うるせぇ……」

 善政は持ち時間の五分を使い、8五歩と指す。

 それからは、☗6八銀、☖3四歩、☗7七銀、☖3二金とどんどん進めていく。

 開始から約五十分。

 形成は俺の方が二、三手余裕はあるだろう。

「なら、ここで『飛成覚醒ひしゃなりかくせい』。6九竜でどうだ。これで横攻めが強くなった」

「いちいち、説明するな。それに『飛成覚醒』ってなんだよ」

 将棋にそんな必殺技名なんてないだろ。ゲームのやり込みすぎかな。それともマンガやアニメの影響だろうか。今どき覚醒って中二過ぎるだろ。でも、最近の棋士は趣味の範囲が広くなってきているから珍しくもないものだ。

「ねぇ、飛車って覚醒するの?」

「いやしない、飛成で十分だ」

「そう」

 冬月は俺の耳元に小声で聞いてきた。近づいた時、彼女の髪からいい匂いがしてきた。なんなんだよ、俺を誘惑す《ゆうわく》る気かよ……。

「善政、お前は詰めが甘すぎるんだよ。よくそれでその業界で生き残ってこれたな……。よく、盤上を見てみろ」

「……。信司。俺にはこれが一番の番だと思っているからいい。それよりも次はお前の手番だ。持ち時間も後三分を切ったというところか。ま、終局を近かろうな」

 善政は口元でにやけながら、俺の方を見る。

 本当にこいつは気づいていないのだろうか……。盤上ばんじょうと俺の持ち駒をよく見ると、どう見ても俺の勝ちとなる。

 まぁ、気づかなければそれでもいい。その分、楽に指せるからだ。

 だからと言っても、俺は決して甘くはない手加減てかげんなどしたくはない。人に情けをかけるなど絶対にしたくない。

「本当にこのままだと天道君の言う通りになるのかもしれないわね。けれど、さっきの時点でもう、手遅れなのだけれどね」

 冷たい口調でそう言いながら冬月は善政に冷たい視線を向ける。

 こいつ、たまにちょくちょくと割り込んでは色々と言ってくるな。あれか、グループでコメントしている時に時々間違いを修正してくる面倒な真面目まじめな生徒だろ。いたんだよな、高校時代にそんな奴……。

「何を言っている。プロがアマチュアごときに負けるはずが無かろう」

「いや、ちゃんと見た方がいいぞ」

「……。なっ……これは……」

 俺がしっかりと持ち駒と善政の陣を指差すと、善政は見る見るうちに顔が青くなり最後には言葉を失った。

「ま、まさか。本当に……この俺が積んでいるとは……。貴様、いつの間にそんなに強くなった——。しっかりと答えろ。答えによってはお前をぶん殴ってやる」

「いい加減にしろ。俺は強くもなっていないし。お前が気を緩めたから悪手を招いたんだ。俺は悪くない。お前が悪いんだ」

「それを聞いていると、『俺は悪くない。社会が悪いんだ』に聞こえるだが……」

「うるさい!うるさい!うるさい!」

「それはごく一部の声優さんの口真似くちまねだな」

「あ、そう……」

 なんで知っているんだよ。結構、マニアックなところに突かかれたな。

「おっと、これはいかん。ええと、百八手で俺の負けだな。ありがとうございました」

「あ、ありがとうございました……」

 最後はしっかりと礼儀正しく挨拶をする善政はそこだけはやっぱプロだなと俺は関心してしまった。

 すると、すぐに駒を並べ直し始め、初期の配置にすると、悔しそうな表情で浮かべながら今にも涙が出そうであった。

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