STARLIT KNIGHT

弓チョコ

第1話「星海の姫」

 ああ、水が欲しい……!



 流れる川、静かな湖、降り注ぐ雨。水はこの世界にあまねく生き物を支えてくれている。飲み水に始まり生活用水に神聖なる儀式。

 いくらあっても使い足りない。人間は一生の内どれだけの水を使うのだろうか。そしてそんな人間がこの世界にどれだけ存在するというのか。

「これは余りにも……不公平ではないかね」

 静寂の円卓をどんと拳で叩き、その老いた男は憤慨を示した。

 『黄道審判』――この円卓を囲むのは大陸の今後を決める12の王達。

 黒い髭を蓄えた老いた男は続ける。

「『死の海』に囲まれたこのヴェルトラオム大陸には、88の国があり、10億の人間がいる。家畜を含めればその約3倍である。しかし、しかしだ」

 男は拳を挙げ、円卓を囲むひとりの男を指差した。

「であるのに、アクアリウスはなんと自国だけで大陸の凡そ1割の清き水源を独占している!」

「……!」

 会場が少しざわついた。

 ややあって、指を差された金髪蒼眼の男が挙手した。

「それは私達『星海の民』が――」



「アニータ!お散歩へ行ってくるわ!」

 遠くから声を挙げ、元気に手を振るのは金髪蒼眼の少女。

 見渡すと草原が広がり、その奥には森が見える。その反対側には屋敷がありその先は街がある。

「ステラ様!お昼までには帰ってきてくださいましね!」

 アニータはこの屋敷に仕える世話役だった。

「それと、森の方には行っては行けませんよ!」

「分かってるってー!」

 いつものようにステラを見送ってから、アニータは空を見た。そこには雲ひとつない青空が広がっていた。



 ステラは現在10歳だ。まだまだ好奇心の塊のような少女で、男子顔負けのお転婆だった。その日は街へは行かず、森へ入ろうとひとりで計画していた。

「ちょっとくらいなら大丈夫よね」

 前に街で聞いたのだ。この森の奥には綺麗な泉があり、そこの水を飲めば願いが叶うと。

 素直で純粋なステラはそれを鵜呑みにした。こんな彼女にも願い事があったのだ。

 それは半年前、父に連れられたパーティでの出来事。

 父と話していた彼は父の後ろに隠れるステラと眼が合うとにっこりと返し、名を呼んで頭を撫でてくれた。

 その真っ赤な瞳に、優しげな表情に、艶やかな黒髪に、ステラは惹かれた。

 彼の名はシンと言った。どこか遠い国の王子様だと言う。

 それ以来、ステラはシンにぞっこんなのだ。

「わあ……」

 ステラは森に入るのは初めてだった。都で生まれてこの街に来るまで、河と草原しか見たことが無かったのだ。

 自分より、屋敷よりもうんと背の高い木々、昼間なのに余り陽が差さず涼しい空気。視界一杯の緑。

 ステラは感動していた。

「泉はもっと奥かしら」

 ステラは好奇心のままどんどん森の深くへ進んでいった。因みにもうシン王子の事は頭に無い。



「全く!なんなんだあの小僧め!」

 黒髭の老人は会議後、廊下で歯噛みしながら壁を殴り付けた。

 怒りの矛先は勿論アクアリウスの代表者だ。

「神聖なる『黄道審判』の場であんなことを言えば、今に諸外国に攻め込まれるぞ!たかだか人口700万程度の国、兵力も知れている!」

「もう遅いかも知らんな」

「!」

 不意に後ろから声がしたことで我に返った黒髭の老人は慌てて姿勢を正して咳払いをする。

「こ!これはこれは、ヘルクレスの王!……して、何が遅いと?」

 後ろに居たのは『星海の民』と同じく金髪だが、瞳は黒である人物。

「すぐに分かる。そして……すぐに、世界の水は正しく再分配されるだろう」

「……?」

 ヘルクレス王は不気味な笑みを浮かべながらその場を去っていった。



 私達星海の民は世界の水を管理するために生まれてきた――


 ステラは7年前、初めて実の父と面会した時、最初にその言葉を聞いた。

 それから年に1度父と会う機会が設けられたが、その都度世界の水がどうとか、この国の成り立ちとか、ステラにとって面白くない話であったため彼女は父が余り好きでは無かった。

「…………」

 ただ、水の話は嫌いだったが、水は好きだった。

 透き通った水の煌めき、流れる水の動き、気温差で立ち上る蒸気。

 年間を通して日差しが強く、雨も滅多に降らないこの大陸では水は何にも勝る必需品なのだ。

 ステラはそんな難しい事は分からないが、水は見ていて心が安らぐ。それは『星海の民』にとってごく普通の感情だった。

「……きれい」

 森の泉は、街を流れる水路や人工の池より遥かに澄み切っており、まるでそこに水など無いかのように底まではっきりと視認出来た。そこを泳ぐ魚は宙を浮いているようにも見えた。

 泉全体が、日光に照らされ輝いていた。

「おーい、誰か居るのか?」

「!」

 声のした方角を見ると、1本の大きな樹があった。

「誰?」

「名乗る程のモンじゃない。すまんが泉の水を飲ませてくれないか?疲れて動けないんだ」

「???」

 ステラは訳も分からぬまま、泉の水を両手で掬い、樹の根元に掛けた。

「これで良い?」

「何が?」

「え?」

 ステラは吃驚した。樹に近付いてみると声はそこからではなく、樹の裏側からしていたのだ。

「わっ……。こんにちは」

 裏には少年が座っていた。歳はステラよりいくつか上だろうか、13、4歳くらいの少年だ。

「ん?……もしかして、この樹を俺だと思ったのか?」

「……う」

「ぷっ!ハハハハハ!面白いなお前!」

「……!」

 大笑いする少年に、顔がみるみる赤くなるステラ。

「もう知らないっ」

「あー、分かった、悪かった悪かった。……疲れて動けないんだよ、水を頼む」

「……むー。……でも、コップ持ってないよ」

「いいよなんでも」

 ステラはもう一度、掌で泉の水を掬い、少年の元へと戻ってきた。

「はい」

「あー」

 それをそのまま飲ませる。だが10歳女児の手は小さい。運んでいる途中でもいくらか零れただろう。少年はその量では満足出来なかった。

「もう一杯」

「えー」



 何往復かしたところで、少年は落ち着いたらしい。ステラも少年に興味が出てきたので、まだ立てはしない少年の正面にあった樹の根に座った。

 ステラは改めて少年を観察してみた。

 金髪で深紅眼、そこまでは特に変わった所はないが、その服装を見て小さい首を傾げた。

 アクアリウスの一般的な服装は大きく別けて2通りある。直射日光を防ぐ為に顔と手首以外を隠す厚着と、風通しを良くし少しでも涼しくするために袖と丈の短い服だ。ステラは後者寄りの、動きやすい服装だった。

「へんな服」

 が、そのどちらも、布、綿の衣であるのに変わらない。

 しかし、目の前の少年が着ている服は見た目からして布ではなかった。

 身体にぴったりと密着していて、弾力がある。先ほど溢した水が染み込まず表面に留まっている。

 ステラが見た事の無い服だった。

「服じゃないよ」

「じゃあ、なんなの?」

「これはな……」

 少年が少し得意気な表情になった。

 その時。

「追い付いたぞ!ラガー!こっちだ!」

「!」

 男の声がした。大人の男性だ。男性はふたりを見付けるなり誰かを呼び、近付いてきた。

「隠れてろ」

「え」

 少年はステラに促す。ステラは分からぬまま樹の裏に隠れた。

 少年に近付く男はふたり。どちらも軍服を着た大男だった。

「ようアルファ。それの着け心地はどうだ?」

「泉まであとほんの少しじゃないか、惜しかったなぁ」

 ふたりは少年を嘲りながら、その腰から警棒のような木の剣を抜いた。



 森の泉の水を飲めば、願いが叶う。

「さあアルファ。命乞いの時間だ」

「早くそれを返して、五体投地しろ。そうしたら許してやる」

 軍服を着た大男が木剣を少年へ向ける。向けられた少年は座ったまま動かない。

「返す理由が無い。これは俺のものだ」

「……!このガキィ!」

 大男のひとりが少年を殴り付けた。

「レイピア卿の養子だかなんだか知らんが、嘗めるのもいい加減にしろよ!マジで斬るぞ!」

「大人しく渡せ。でないと力づくでやるぞ」

 頬を殴られ口を切ったのか、血が流れる。その口元はにやついていた。

「!?」

「お前ら、俺がもう動けないと思ってるだろ」

「!!」

起動フリューエント

 瞬間、少年は何かに引っ張られるようにありえない体勢で立ち上がり、大男のひとりの木剣を持つ手首に手刀を切った。

 それは余りに速く、大男達の眼には捉えられなかった。

 勿論樹の陰で覗くステラの蒼眼にも。

「――!!ぐぁぁっ!」

「な!?」

 痛みに気付いた時には木剣を手離していた。その木剣は少年に握られている。

「ぶっ!」

 続いて少年は剣を失った大男を蹴り飛ばす。体格差は親子程あるが、大男は勢い良く10m程吹き飛び、動かなくなった。気絶だ。

「まだ動けたか!起動フリューエント!」

 残ったひとりが少年に斬りかかる。少年はそれを受け太刀する。これも、体格の差をものともせず互角に鍔迫り合う。

「泉の水も飲まず、何故まだ動ける!?」

「さあな!」

「……くっ!」

 いや、互角では無かった。力比べは少年が押していた。大男は分が悪いと察し、飛び退いて距離を取った。

 剣が離れ、行き場を失った少年の剣は近くの樹へ斬り込まれた。

 本来なら、普通の剣なら樹に刺さると抜くのに時間がかかり、一気に不利になる。しかし、少年の剣は振り抜かれた。

 先ほどまで自分の座っていた大木を、一太刀で切り崩したのだ。いや、木剣であるから、めきめきと折り倒したのだ。それを見た大男は少しばかり危機感を覚える。

「……!やはりアレは既存のものとは出力が……」

「きゃあぁぁぁぁ!!」

「!」

 突然大木から響いた叫び声。甲高い、女児の声だ。その主は勿論。

「あ……やべっ」

 ステラである。彼女はしゃがみこみ頭を抱えて、木屑を被ったもののなんとか無傷でやりすごした。

「誰だ!?こんなところに子供!?」

 大男に見付かってしまったが。

「おい!大丈夫か!?」

「大丈夫じゃないわよ!ばか!」

「と、取り合えず、どっか逃げてろ!ここは危ない!」

「あなたのせいで危ないのよ!」

 斬り倒された樹から顔を覗かせるステラ。それを確認した大男。

「!!!」

 彼は眼を見開いて硬直した。

「す、す、す……」

「す?」

 少年は首を傾げる。

「ステラ姫!?」



 泉の水を飲めば願いが叶う。勿論これは迷信だ。子供騙しの噂に過ぎない。

 しかし、この泉に湧く水には、普通の水とは違う、人体に及ぼす作用があった。

 と言っても大層なものではない。少し代謝を上げ、傷の治りが早くなる程度だ。昔は怪我や病気の人間に飲ませ、薬代わりにしていたという。

 時に、『星海の民』がこの地に降り立って、約200年。

 彼ら民族には、ある不思議な力があった。

 とは言うものの、水を操るというような超常的なものではない。

 身体、主に口内や掌から分泌される成分が、特定の水と反応を起こすというものだ。

 この少年、名をアルファと言う。

 この少女、名をステラと言う。

 このふたりが、数分前にした行為は、後にこの国の命運を決める極めて重大な行為であった事は、今はまだ誰も知らない。

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