第47話 二千二百二十円ぴったり

 二週間なんて、あっという間です。

 もう一泊くらい延ばそうかと企んではいたし、おじいちゃんとおばあちゃんにも「夏休み中いたらどうや」と言われました。


 でも、お父さんとお母さんはそれを見透かしていたように、それまでしてこなかった連絡を二週間ぴったりで寄越してきました。

 私もよくわかってはいるけども、畳にごろごろしていても別れの時間が過ぎるだけです。

 みぃちゃんとのだらだらした毎日から、夏期講習の後期までに戻らなければいけません。


 散歩でもしようと私が少し外に出ようとすると、みぃちゃんは玄関のフェンスまでついて来ました。「どこに行くの?」と心配になったみたいに。

 ここはいいな。時間がゆっくり流れている。


 庭にはおばあちゃんの育てたトマトがぷるんと生っていて、ひまわりも鮮やかに伸びています。

 みぃちゃんがちょっとした隙にフェンスを抜けるのに成功したときは、大抵しばらくうろうろして、この庭に戻ってきてポーチュラカの中に隠れています。


 ご近所を探し回って心配したこともあったっけ。

 おじいちゃんの家から逃げ出したときは、本当に泣きそうになりました。

 どこかで迷ったんじゃないか、危ない目にあっていないか、このまま戻って来れないんじゃないかと、心臓がもやもやして張り裂けそうで、ただひたすら無事を願っていると、ひょっこり現れたりしました。

 家出した私が言うのもなんだけど、本当に心配させないでって思う。


 家に戻ってリュックサックに荷物をまとめていると、みぃちゃんがすり寄ってきます。


 そうして、和室にぽつんと置かれた机に、ちょこんと手を乗せます。

 私が昨日までみたいに、夏休みの宿題を広げるのを待っているみたいです。


 みぃちゃんは消しゴムを取っては落として遊んでいました。

 消しゴムを取り上げると、次はペンを転がしています。

「みぃちゃんも宿題するの?」

「にー」


 私は顔を近づけて、鼻と鼻を合わせました。

「ごめんね、みぃちゃん」

「にー」

「帰らなきゃいけないの」

「にー」


 みぃちゃんはわかっているのかどうなのか、膝に乗ろうとしてきました。

 不思議なことに私が帰る前は、みぃちゃんの雰囲気も違うように見えて、ひょっとしてこの子は何もかもを分かっているんじゃないかと思えたりもします。

 私はみぃちゃんを膝に包みながら荷物をまとめました。


 新しいリュックサックに荷物を詰めていると、みぃちゃんはずっとその様子を見ています。

 初めてここに来たときのことを思い出しているのかもしれない。

 リュックサックにちょっとだけの荷物で冒険に出たときのことを。

 「また一緒に冒険をするの?」とみぃちゃんはくりんとした目で見詰めてきます。


 ああ、やっぱり帰りたくないな。


 それとも、またみぃちゃんをつれて、どこか遠くに行ってしまおうか。

「いやいや、そんなばかな」


 おばあちゃんがみぃちゃんを抱っこして、私はフェンスを閉めます。

 フェンス越しに伸ばしてくる小さな手を握って、もう一度顔を近づけました。

「みぃちゃん、すぐ帰ってくるからね」

「にー」

「いい子にしてるんだよ」

「にー」


 宿題、着替え、その他もろもろを詰めたこのリュックサックの中身が、みぃちゃんに替わっていればいいのにと思いながら、来た経路を逆に、田舎から家に向かいました。 


 ガタゴトと揺れる電車の中で、玄米茶を出しました。

 それと、ヨガのチラシも。

 そして私は思わず含み笑いをしてしまいました。


「これでみぃちゃんに会う口実ができる」


 家に着きました。

 頃合を見計らってお父さんにチラシを見せました。

「おじいちゃんが通ってるんだって」

「ほう」

「私も健康のために、月一で通おうと思うんだ」

「ほう」


 お父さんはあまり興味なさそうな生返事で、テレビのメジャーリーグの試合を観ています。

「お父さんも一緒にやってみる?」

「ほう」


 私はチラシをお父さんの顔に貼り付けました。

 お父さんは面倒臭そうに、私の手を握ってチラシを戻します。

「みぃちゃんに会いたいんだろ、行けばいいじゃないか」


 私はすんなり話が通って意外だったので「いいの?」と訊き返しました。

「学校も塾も休みの日だけな」


 私は目を大きく開いて、ソファーからぴょんと跳び下りました。

「お母さん!」


 お母さんはパソコンを見ながら、イヤホンを片方だけ外しました。

「どうぞお好きに」


 またもや信じられない返事で、私は訊き返しました。

「好きにしていいの?」

「したくないの?」

「したい」

「ならすれば。いま良い所だから静かにしてて」


 お父さんが「いま良い所」という言葉を不思議がって振り向いてきたので、私は「仕事が順調に進んでる所」と教えました。


「塾も頑張ったんでしょ。田舎に行きたいために」

 お母さんもちょっと面倒臭そうに言うところが、夫婦だなと思いました。

「うん。じゃないと夏期講習を抜けさせてくれないんだもん」

「成績をキープすること」

「うん。はい」

「勝手に家出でもされるよりまし」

「はい。ごめんなさい」

「おじいちゃんの家に行っても、宿題も終わらせること」

「はい。ごめんなさい」

「あと、太らせない」

「おじいちゃんとおばあちゃんに言っとく」


 なんだかんだで、お母さんもみぃちゃんファンです。

 私はヨガのチラシで、にやけた顔を覆ってスキップで部屋に戻りました。


 壁のコルクボードにヨガのチラシを張ります。みぃちゃんの写真プリントの隣りです。

 一回の料金は、二千二百二十円ぴったりです。


「私のためにあるようなものだ!」

 私は猫のぬいぐるみを抱きしめました。


 数字の二は、私のラッキーナンバーです。

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