第45話 ただいまみぃちゃん

 私は手紙を取り出しました。


 ずっとずっと大切にしている手紙です。


 十四歳になって、お菓子の空き箱の中にはたくさんのものが増えていって、最近では友だちと行った水族館とか映画のチケットとかもあります。持っていても仕方のないものかもしれないけど、何か取っておきたくなるから。

 カランとなって、プリキュワのマジカルハートクリスタルが転がりました。なつかしい。


 その下のほうに、その手紙はありました。


 手紙を読むたびに、あの時のことが思い浮かんできて、本当に色んな人に迷惑かけたな、気に掛けてもらっていたんだなと、ちょっと恥ずかしくもなります。


 あのときのリュックサックはもうボロボロだけど、新しいリュックサックに新しい財布を入れて、履きなれたスニーカーを履きました。


「本当に大丈夫?」

「しつこいなあ」

「降りる駅を間違わないでよ」

「大丈夫。歩いても行かないし、家出もしない」

 お母さんは私をまだ子供扱いしているな。


「お義父さんとお義母さんにお土産は?」

「持ったよ」

「子供じゃないんだから、礼儀正しくするんだぞ」

「子供じゃないからわかってるよ」

 お父さんも心配性だな。しょっちゅう遊びに行くのに。


 でも一人で行くのは初めてか。あの時はみぃちゃんも一緒だったから。


 私は夏休みのしばらくを、おじいちゃんの家で過ごすことに決めました。

 落ち着いて勉強したいから、というのはやっぱり見え見えだったけど、結局はおじいちゃんとおばあちゃんにも説得してもらいました。


「これでみぃちゃんと好きなだけ遊べる!」


 スマートフォンには、おじいちゃんから送られてきたみぃちゃんの写真、学校の友達との写真、修学旅行の写真、またみぃちゃんの写真、みぃちゃんの写真、みぃちゃんの写真。


 さかのぼっていく毎に、みぃちゃんは小さくなっていく。

 今はあの子猫の可愛らしさも、すっかり貫禄のあるデブ猫です。


 おじいちゃんとおばあちゃんが交互にごはんをあげるから、両方からこっそりもらっているちゃっかりものです。


 電車に乗って田舎行きの出発を待つけど、相変わらず本数は少なくて、古びた電車の中で写真を眺めていると、ようやく電車が動き出しました。


 都会の電車よりもガタガタと揺れて、ゆっくり動き出します。

 天井には扇風機が回っていて、私以外の乗客はぽつりぽつりといった程度です。

 大体は旅行カバンを引いていて、帰省なんだろうか、のんびりとお弁当を広げたりもしています。


 ビルをどんどん離れて行って、景色の色が豊かになっていきます。


 海が見えました。

 キラキラと太陽に反射して、あの時と全く変わりません。

 もし今の身長だったら、あの海沿いの国道のコンクリートの壁からでも海が見えるだろうな。

 ウニみたいな消波ブロックに、白波が立っています。


「ああ、それでか」


 ひとりで納得しました。

 美術部で油彩を勧められたけど、水彩から離れられませんでした。

 このキラキラした、絵の具を溶かした水でぶちまけたくなるような景色が頭から離れられないんだ。


 電車の窓からでも広がる海を眺めて、よくこんな距離を歩き続けたものだと、きっと今だったら途中で諦めて引き返すかもしれないなと思うと、何だかおかしくなりました。


 国道を走る大きなトラックの眩しさに目を細めました。


 電車は揺れながら何駅も、止まっては進み、地元の高校生がわらわらと乗っては降りていきます。


 幾つかのトンネルに入っては出て、緑に囲まれた線路は木々の枝にぶつかるようにすれすれを走って行きます。


 私とみぃちゃんが歩いたのはこの中のどの山なんだろう。


 地図帳に、あの時の道を思い出しながら線を引いて行ったこともあって、今となったら最初から持っていた二千二百二十円で電車に乗ればすぐに着いたのになと、またおかしくなってしまいます。


 ガタンガタンと最後の揺れで、終着駅みたいです。


 ここからバスに乗ります。

 あの時の山のバスとは違うけど、やっぱり今でもバスに乗ると、みぃちゃんが走り回ってカーテンにしがみついたのを思い出します。


 私はカバンから玄米茶を出して飲み干しました。


 バスは畑を通っていきます。

 乗車口が開くたびに土の匂いが入ってきて、あの昼寝をした草の感触が気持ちよかったなと、ちょっと硬いシートに座り直しました。


 ちょっとだけわくわくしながら降車ボタンを押しました。

 あれ、中学生って子供料金だっけ。


「中学生って、子供料金ですか?」

 白い手袋の運転手さんに尋ねました。

「うーんと、大人ですね」


 じゃらじゃらとお金を入れてバスを降りました。

「ありがとうございました」


 ここからは歩きです。もう少しだ。


 お店もない、高い建物もない、木で囲まれた家を過ぎていきます。


 いつの間にかコンビニが建っています。

 集落の近くだとおじいさんおばあさんたちは助かるだろうな。


 それでも特に変わっていない集落に入ると、道端にはおばあさんが立っていました。

「こんにちは、ハシビロさん」

「はい、こんにちは」

 おばあさんは相変わらずほとんど動かずに立っていて、ただよく見ると皺の中に笑顔が見えます。


 少し歩くと近所のおじいさんやおばあさんがお喋りしていました。

「こんにちは」

「おや、お帰り」

「おっきくなったねえ」


 ここは何もない町で、おじいさんとおばあさんばかりだけど、ゆっくりと時間が過ぎていきます。


 遠くの木がさわさわと揺れて、トラクターの音が聞こえて、車一台ぶんが通れるくらいの道路に、セミの鳴き声が浸っています。


 佐々木さんの家を通りすぎて、よく見慣れた瓦屋根に着きました。


 道路からは、ブロック塀の隙間に、大きな目がくりんと見えました。

 窓に手をついて、立ち上がっています。


 大きなお腹になったなあ、と早足になりました。


「ただいま!」

 玄関を開けると、ドタドタとした足音が、みぃちゃん用フェンスに突っ込みました。

「みぃちゃん!」

「にー!」


 みぃちゃんが外に出ないように、おじいちゃんが作ったフェンスによじ登ろうとしているデブ猫を抱き上げて、おでこをくっつけました。


「ただいまみぃちゃん」

「にー」


 みぃちゃんは、私の前では子供みたいになります。

 わたしも、みぃちゃんといるときは子供みたいになれます。

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