陰の勇者ご一行~あるいは魔王暗殺隊~
キリキ
第1話 日陰の生活
世界はいきなり崩壊する。
いつだってそう。
前触れがあったとしても、自分には無関係と思ってスルーが愚か者の習性。
遠くで生じた地割れが、まさか自宅の下まで届き、生活基盤を丸ごとぶっ壊されるなんてことは想像したくもないわけだ。
私もその辺は凡百の人と同じである。
他人の不幸など興味ない。明日は我が身と思わない。
だからある日、なぜか有象無象の魔物どもが大国レベルの組織立った徒党を組んで、王を立て、何やら自分たちを《上位種》とか名乗り出し、世界を原初の姿に戻すため、人間を皆殺しにするという意味不明な宣言をしても、どうぞお好きにやってくれって気分だった。
弱肉強食、自然淘汰。
そりゃ敵が目の前に現れた時には、最期の抵抗くらいするけれど。
死ぬ時は死んで、それまでは好き勝手に生きよう。
人生、所詮そんなもんだと思ってた。
無駄に天井の高い豪華な部屋に、ろくに知らん老若男女と共に呼び出された、その時までは。
「――はい。では魔王を暗殺してきてください」
私たちを集めた若作りの神官野郎が、ちょっとお使い頼むみたいに言ってきた。
ふざけやがって。
こうして私の閉じた静かな世界は、下衆のたった一言にぶち壊されたのだ。
**
時は数時間前に遡る。
王都の魔法使いたちが通う名門アストルム学園で、私は普段通り、早朝から研究室に籠っていた。
学園を卒業したのは、もう二年前。
同級生たちは習得した魔法を活かし、優秀な者は王宮の軍団へ、そうでもない者は野に下り、民間の魔物退治屋やら、大陸の未開の地を探索する冒険者だのになったり、あるいは、あまり魔法が関係ない平和な職に就いた者もいる。
一方の私は、学園に然るべき対価を支払い、魔法研究の名のもとにいまだモラトリアムを続けていた。
いわば間借りの研究員だ。
別に実家が裕福だとか貴族だとかいう、都合の良い背景はない。
たまに授業の手伝いをしたり、外で小金を稼いだりして、その日その日を凌いで生きている。
生徒の時に入れてもらっていた寮からは追い出され、他に家を借りる金もないので、割り当ててもらった研究室、というか資料室に基本は泊まり込み。
研究のためだとか言っておくと、まあ大概は見逃してもらえるものだ。
花も恥じらう十八歳、だが女としては終わっていると陰で囁かれるものの、それを言ってる奴らは私の人生に関わりのない連中なので気にしない。
時の流れは平等ではない。人それぞれだ。
少なくとも自分では、この怠惰な生活を気に入っている。
ま、最高とまでは言わないが。毎日食うには困っているからね。
でも例えば、かつての同級生の、クラリスという女のような人生だけは絶対にご免だ。
余計な机や古い資料が乱雑に詰め込まれた部屋の隅で、本の山の上にあぐらをかき、窓辺に紅茶を置いて、私はある新聞記事を読む。
暇な生徒が時々作る壁新聞だ。発行日は三日前の日付け。
今朝はじめて気がつき、なんとなく一枚剥がして持って来た。
そこには、クラリス・マリン一級魔法士が《栄誉ある魔王討伐隊》に選ばれたことが大々的に報じられていた。
あれは半年前の冬のこと。
海を挟んで隣にあった小国が、一夜にして壊滅した。
そしてそこを拠点とし、王を名乗る魔物が、世界に宣戦布告をしたのである。
このイムニア王国も辺境はすでに魔物に占拠されつつある。
数千年の長き眠りから目覚め、魔力をふんだんに溜め込んだ魔王とその幹部連中が、雑魚魔物どもをまとめ上げて率いているそうだ。
彼らは彼らなりの理屈や信念があるらしいが、やってることは単なる殺戮、侵略。芸のない事だ。
要は、世界の支配者が人間から魔物に変わろうとしているだけの話。
しかし、そう易々と滅びを受け入れる人間様ではない。
じゃなきゃ、ここまで繁栄することはなかっただろう。
実は古き良きこのイムニア王国には、預言者という国王に次ぐ地位の者がいて、国の大事の時には必ずこの預言者を通じてご神託を賜る習わしがあった。
魔王討伐の策を神に賜ったのが、五日前のこと。
聡明なる偉大な神様は、魔王を倒し得る英雄の名を四人、挙げたという。
その一人が、魔法学園を首席で卒業し、王宮の魔法士団に入隊したクラリスだったというわけだ。
まあ納得。妥当な人事だ。
彼女はとても優秀で強力な魔法使いだから。別に神じゃなくとも思いつく。
彼女は魔力の高さも素晴らしいが、称えるべきは魔法の精度。
特に治癒魔法でそれは存分に発揮される。
本来、他人の体に術をかけるという行為は大変な危険を伴い、下手をすれば治療しようとしたがために殺してしまうことさえあるのだが、優れた魔力操作のセンスを持つ彼女は瞬く間に傷を治す。
それはとても貴重なる才能だ。
――と、詳細は記事に書かれている。
まったくと言っていいほど彼女と交流のなかった私に、この記事を上回る情報は何もない。
私、友達いないので。
まだ生徒だった頃から、教室の隅で一人の世界に浸っている人間だったため、同級生の誰のこともさして記憶に残ってない。
よって私のことを覚えている人間も少ないだろう。
クラリスのように否応なく注目を集めてしまう者もいれば、何も悪いことをしてなくとも陰になってしまう者もいる。
才能に対する称賛と嫉妬に囲まれた栄光の日々か、誰にも認められず世間の片隅に暗く生きる安穏の日々か、どちらに憧れるかはよりけりだろうが、もし選べるとしても私はやはり後者となる。
明日の飯にもありつけるかわからない人生だけど。
魔王退治なんかに行かされるよりは、ずっとマシだろう。
がんばれクラリス。期待してるよ。
もしうまくいかなかったとしても気にするな。生きるか死ぬかは結局のところ、自己責任だ。
あんたを恨んだりはしないさ。少なくとも私はね。
――完全に他人事で、ぬるい紅茶を啜っていた時だ。
資料室の扉が、ノックもなしに開けられた。
「アビ・ニゲル、いますか?」
知らない声と、知らない顔。
胡散臭い笑みを浮かべたその男のことを、おそらく私は生涯忘れないだろう。
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