箱庭レクイエム

琴月

オーバーチュア

爛々と輝く赤い月にみつめられる。

吐いた息は凍えてしまい、冷たい空気は動かない。ヒュッと短い呼吸音ですら、どこからも聞こえない。私が音を発するのを許さないみたいに。

粟立つ肌。駆け出そうとした足は、脈打つ長い木の根に捕らわれる。ざわざわと嘲笑う色付いた葉。枝と枝が絡み合って道を塞いでしまう。隠れることはできるかもしれないが、逃げることはできない。


まさにハロウィン仕様の夜。


とりあえず、その場に座ってみた。遠くに見える人影。助かった。声が出せないので、目を凝らしてアピールする。幸いこちら側に向かってきているので、一安心。



ふくらはぎ近くまである真っ赤な頭巾の内側には、いくつもの継ぎ接ぎのポケットが見え隠れする。さすがにその中身までは見えはしないが、歩くたびガチャガチャと無機質な金属音が鳴る。

嫌な想像が掻き立てられる。例えば、殺されてしまうとか。普段ならそんなことは思わない。でも、今日は違う。魔女が空を飛んでいても、後ろから悪魔に襲われても、不思議ではない。現に今、目の前に赤ずきんが鼻歌まじりで近づいてきているし。

安心したのは間違いだったのかもしれない。



胸元の大きなリボンがひらひらと風でなびく。七分丈のシャツとジャボ。たくさんのフリルが、揺れる葉を鬱陶しげにはらう。胸ポケットから銀色の細い鎖。その先には、目を引く首輪。赤いベストに同じく銀色に光り輝くハート型のボタンが四つ。

薄暗い中でも赤ずきんの姿がはっきりわかるのは、カボチャの形をしたランタンが淡く光っているから。枝に引っ掛けられていたり、木の下に置かれていたり。

元々そこにあったわけではなさそうだ。そうだとしたら、私の近くに一つもないのは可笑しい。魔法を使っているとしたら、赤ずきんではなく魔女と表現した方が良いのか。



ちょっと待て。何故私はこんなに冷静でいられる。非現実的すぎて頭が馬鹿になってしまったのか。

そもそもどうして私はここにいる。曖昧な記憶。どこかに脳を落としてきてしまったよう。



ぐちゃり

かぼちゃのランタンがハイヒールに潰された。森の中を歩くのに適さない格好。それなのに安定していて転びそうもない。

赤ずきんはすぐそこまで迫っていた。


「おかしくれなきゃイタズラしちゃうぞっ」


舌っ足らずな幼い声。大人っぽい綺麗めの顔とのギャップ。絵本の中から飛び出してきたみたいに完成されている姿。

視線は赤ずきんに向けたまま、ポケットに手を突っ込む。小さめのころんとした何かに触れる。たぶん包み紙に包まれた一口サイズのチョコレートかキャンディ。

確認しないまま、赤ずきんに差し出す。恐怖心は、ない。



ばんっ

破裂音と猟銃。ぎらりと潜む金色。赤ずきんに夢中になって気が付かなかった。


狼、だ。


手触りが良さそうなふわふわの尻尾にふわふわの獣耳。フードがついたロングコート。その内側に取り付けられた怪しい液体の入った試験管。黒いシャツの袖は二つに折られ、手首に巻かれた銀色の鎖と手錠を露わにする。赤ずきんの首輪と対になっているのだろうか。


「じろじろみないでくれますか。穢らわしいですね」


撃たれた衝撃で投げ出された菓子が、膝まである編上げブーツで踏みつけられる。

もったいない。

いや、そんなのどうでもいい。もっと他に考えるべきことがあるはずだ。考えろ。考えるんだ。


あ。

これって菓子あげたことにならない、よな。

気が付いた時には、もう遅い。

ダークブラウンの髪の毛がふわり。赤いスカートもふわり。白いパニエがちらり。

そんなかわいらしい擬態語が似合わない凶悪な笑み。

黒い手袋が宙を裂いて。


「おかしくれないおにーさんには、イタズラしちゃう」


てっきり赤ずきんに葬られたと思っていたのだが、狼の方だったようだ。

花火のような香り。咲いたのは真っ赤な華。赤ずきんはこれを見越して、ランタンを潰したのだろうか。

目が覚めたらゾンビでした。なんて、悪夢みたいな希望を抱きながら眠りについた。

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