第5話

「ねぇ、和樹。今でも茜のこと好き?」

 とても鋭い牽制球だった。けれど僕は美沙が何かを切り出すタイミングを計っていたことに気付いていた。ゆっくりと帰塁できる余裕を持っていた僕は、右手で掛けていたメガネの淵を触る。目の前のガラス板が上下に揺れた。

 美沙と彼女は入学当初から親交のある友人だった。互いの個性を尊重できる関係性であり、何でも話せる親友とお互いが言っているほど仲が良い。一年生の頃は、そんな理由もあって誠治と共に僕の恋愛相談に乗ってくれていた。

「なんでそんなこと聞くの?」

 うん、好きだよ。と素直に言えない自分の弱さは情けないな、と自嘲した。

「ちょっとね、気になったから。それに和樹、彼女作らないしさ。まだ好きなのかなって思っただけだよ」

「コイツに彼女ができるとか、ありえねぇー」

 翔平は間髪入れずに横槍を入れてくる。美沙よりも鋭い牽制球、いや牽制球ではなく、クイックモーションで投球をしたと表現をした方がよい。僕は翔平のクイックに為す術なく、走り出すどころか動くことすらできなかった。

「うるせーよ」と言って翔平の頭を叩く。普段より少しだけ力を入れたのは精一杯の抵抗だった。走る気が無いのがバレバレなのに少しだけリードを広げて、見せかけの挑発をするつまらないランナーと今の僕の姿は被った。

「彼女ができないとは思わないけど……。彼女欲しいとか思ったりするの?」

 世間で言われる草食系、あるいは絶食系男子にでも見えているのだろうか。僕自身、そういう枠組みで自分の存在を定義したことはなかった。仮に四択式アンケート調査法でも行えば、そうした部類に属してしまうのだろうか。どうでも良かったけれど、誰が決めたか分からないような枠組みにねじ込もうとする風潮には嫌悪感がある。個性を大事にするゆとりという名の教育方針はどこに行った、とでも国会議員に文句の一つでも言いたい気持ちになってしまう。

「一応、思ってるけどね。簡単じゃないよ。僕みたいな奴は、特に」

 卑下している訳でも不貞腐れて諦めている訳でもない。冷静な評価だった。一応という枕詞にもしかしたら僕の本心が隠れている気がした。

彼女は欲しい。でも何となく付き合う相手を求めている訳でもなければ、身体の関係を欲している訳でもなかった。単純に好きな人が彼女になって欲しい。そんなマンガや小説のように綺麗に作られた幻像にすがりたいと思う節が無意識の中にあるのだろう。なんだか童貞根性とでも呼べそうな保守的な考え方が僕にはあるのかもしれない。特に女性相手には。

「じゃあさ、具体的にはどういう人がタイプ?」

 美沙は強気なインコース攻めを始めた。いつの間にか、それぞれで盛り上がっていた会話が収まり、僕に視線が集まっていた。どうして他人の恋愛話に人は興味を持つのだろう。まるで昼間の芸能ワイドショーみたいな雰囲気だ。

「タイプねぇ……」

 僕は好きなタイプについて考え始めた。

「オレは黒髪で胸の大きい子がいいな。あと一歩下がってくれるような……」

 僕が作り出した間延びした沈黙を壊すように、ジーターは自分の好みを口にして間を繋ぎ始めた。胸の大きいというワードに気分を害したのか、美沙はジーターを睨んだ。翔平は爆笑し、薫子さんは苦笑いをしている。

「ジーターみたいに具体的なことを挙げていけばいいんじゃないか?」

 タバコを吸っていた誠治は何も言わない僕を助けるように冷静にアドバイスの言葉を口にした。

「ジーター君みたいに、こだわりあったりするかな? 例えば、髪の毛の色とか?」

薫子さんも誠治のアドバイスに乗っかり、具体的な質問をし始めた。こういうオープン・ド・クエッションのインタビュー形式であれば、何とか答えることができる気がした。でもそこに辿り着く答えは有益ではないことも分かっていた。

「別に髪の色は特にこだわりはないかな」

「それじゃ、年齢は?」

 美沙は楽しげではあったが真剣な目はそのままだった。

「あんまり考えたことないな」

「そしたら顔の種類とか?」

「顔の種類?」

「例えばキツネ顔か、タヌキ顔とかでしょ?」

 質問の意味を理解していないのが露骨に分かる間抜けな顔をしていたのだろう。僕の顔を見て、意味が通じていないことを悟った薫子さんが助け舟を出してくれた。この気遣いを自然にできる彼女と付き合っている翔平が少し羨ましくなった。僕は一瞬だけ目線をずらし、翔平の顔を覗いた。翔平はこの話に飽きたのか、興味がないのか、斜向かいに座っていたジーターとスマートフォンのゲームアプリの話で盛り上がり始めている。

「あぁ、そういうこと。それならタヌキ顔かな」

 こんな質問、いや尋問が続くことを僕は全く予想していなかった。何故、こんなにも僕の恋愛についての問いを続けるのかを理解でないまま、飛んでくる質問に機械的に答え続けた。心配されているのか、ネタにされているのかは定かではないが、この雰囲気に邪な感情が顔を出すことは無かった。その手の話や情報に乏しかったことが原因かもしれない。でもそんなことよりも僕は、みんなにいかに助けられていたのかを痛感する。同時にこれまで受動的な態度で生きていることを突きつけられた。

「なるほどね」

 尋問から多くの情報を確認した誠治は呟き、薫子さんと美沙は神妙な表情で頷いた。翔平とジーターもいつの間にか話に戻っており、僕が差し出した情報で何かを確信していたと言わんばかりの表情をしていた。

「なるほどって何?」

 一人だけ置いて答えに辿り着けず取り残された僕は、少し腹立たしい心情を抑えて、全員に向けて問いを投げ掛けた。

「まぁ、そういうことだよ」と答えた誠治や翔平たちはうっすらと笑みを浮かべている。僕以外のメンバーは何かしらの答えを掴んでいる。恐らくそういうことなのだろう。五人が確信した答えを僕は掴むことはできなかった。

「写真、撮っておこうぜ」

 翔平が急に話題を変えた。僕は誠治の質問に深追いをせず、横に置いてあったカバンを漁り、高校生の頃から愛用している小型のフィルムカメラを取り出した。

 飲み会や遊びに行った時は、必ず写真を残す。いつの間にか出来上がった僕らの習わしの一つだった。スマートフォンのカメラ機能でも充分過ぎる写真が残せることは分かっている。それにLINEで写真を送った方が楽なことも承知しているが、写真が趣味であった僕にはそれが受け入れられなかった。

立体のシャッターボタンを押してこその写真であり、カメラの良さだという信念のもと、みんなが集まる瞬間を切り取り残し続けてきた。データではなく写真としてみんなに渡すくらいに僕はアナログな人間でカメラが好きだった。

 いつからかシャッターを切ることが僕の役目だという使命感すら持ち合わせており、僕の居場所、僕にしかできない大切な役目だと思い込んでいる一面が僕には確かにあった。

「んじゃ、翔平と薫子さん、向こう側に行ってくれ」

 誠治たちがいる側の壁に全員を集めてから、ファインダーを覗く。小さな正方形に収まるみんなの姿は、いつだって僕の心に響く。いつまでもこんな時間が続けばいいのにと、淡い想いを秘めながら一番良い瞬間を切り取るように人差し指でシャッターを切った。

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