第3話
卯月の夜の高田馬場駅周辺は、異様な雰囲気が漂っている。新歓という名の飲み会を周辺の大学に通う学生が企画して、今からデモを行うと言っても不思議ではない程に若者で溢れ返っていた。その多くは近くの有名大学の学生ではあるが、ちらほらお仲間の顔もそこにはあった。
この景色を見るのは四回目。活気が漲り、若さで全てを乗り越えられると言わんばかりの雰囲気が広がっている。この雰囲気への抗体は付いていると思っていたが、いざ、この場所にいると特殊な賑わいに慣れないままであることを突きつけられる。
集合場所であるロータリーの広場には、学生が作り出している賑わいに嫌悪感を抱いているとハッキリと分かる仏頂面のジーターが立っていた。
「久し振り、元気だったか? ジーター」
「おう、元気だ。和樹も元気そうだな」
「今年も春が来たね。この景色を見ると実感するよ」
「そうだな。でもやっぱりさ、四月の馬場の賑わいは特殊で、マジで嫌になるわ」
ジーターは言った。ジーターと言っても外国人でもなければ、ハーフでもない純粋な日本人。本名は横山純一。
野球をこよなく愛し、日本のプロ野球だけではなく、メジャーリーグの知識も豊富な男で、ニューヨークヤンキースに所属していたデレク・ジーターを崇拝している野球バカ。入学当初の自己紹介の場面で、ジーターと呼ばれるようになった。僕らの中では伝説のシーンだ。ジーターは自分の紹介を名前と出身地だけに留め、その後は、いかにジーターが素晴らしい選手であるかを持ち時間だった三分の五倍以上もの時間を費やして熱弁した。
ジーターは野球に限らず、あらゆる方面の知識が豊かであり、グループの中では常識人。場面に応じてはピエロを演じることグループの影の柱。ただ、短気な性格と風俗狂いが玉に瑕だった。それでもそれら全てを含め彼の持ち味だった。普段から下ネタを会話にぶち込んでくるのに、プロではない女性に対しての免疫は僕と同等クラスに乏しいという純粋さを兼ね備えている不思議な男だ。
「オレも何かサークルに入ってたら、誰かとヤレたかな?」
通常運転だと言わんばかりに、あっけらかんと下ネタを会話にぶっ込んでくる。出会った頃は戸惑っていたが、今では戸惑うことなく笑うことができる。付き合いの長さから生まれる関係性や習慣に影響されて、いつかの僕と比べると変わったんだな、と感慨深い気持ちになった。
「知らないよ。ってか、ヤル前にちゃんと付き合えよな。後々面倒だぞ」
女性と関係を持つ以前に誰かと付き合った経験のない僕は、世間に蔓延っている情報を口にした。
「だよな。でも卒業までには素人童貞は卒業したいとは思ってる」
四年生になろうともジーターはジーターだった。相変わらずの口ぶりや立ち振る舞いは、強いチームにいるクローザーのような安定感があった。
三年生の終わりにやってきた春休みの間、僕達はグループで集まる機会はなかった。長期休暇の際は、それぞれの時間を過ごすのが僕らの定番になっていた。
僕は就職活動の準備や写真館でのアルバイトで猛殺されるという、それぞれの個性が表れる時間の過ごし方をしていた。でも春休みの過ごし方については、インスタグラムやフェイス・ブックといったSNSを通して近況はおおまかには知っていた。
こうしてグループで集まって会うのは、およそ二ヵ月振りだった。本当ならオリエンテーションで全員と顔を合わせるはずだったが、翔平は寝坊、ジーターは極めてジーターらしい理由で教室に姿を現すことは無かった。
区切りの飲み会には全員参加。それがリーダーである翔平の掲げるルールだった。別に罰則がある訳でもない翔平のわがままじみたルールに僕達は文句を言うことなく従っていた。
誠治やジーターがどう思っているのかは知らないけれど、僕は潔さを感じるわがままに好意的だったし、区切りの日に友人と酒を飲めることを嬉しいと思っていた。別に区切りじゃなくても自分の居場所を再認識させてくれる飲み会は、僕にとって恐らく誰よりも重要なイベントだった。
ジーターとお互いの春休みについての報告をしていると、ポケットの中に忍ばせていたスマートフォンが震え始めた。僕は、ポケットからソレを取り出し、明るく光るディスプレイを見た。誠治からの電話だった。ジーターに着信相手を伝え、電話に出た。
「もしもし」
「もう着いてる?」
「うん。ジーターも一緒だよ。どこにいんの?」
電話の向こう側が騒がしい。僕達のいるロータリーも充分騒がしかったが、その喧騒とは異なる賑やかさだった。奥の方では男の大きな笑い声が聞こえ、ピンポン、とファミレスなどに置いてある呼び出しボタンの音が時より聞こえた。
「ゴメン、連絡し忘れちゃって。ちょっと前まで翔平達とカラオケに居たんだけど、先に飲みたいなって話になって、先に始めちゃってるよ。店はいつものとこ」
誠治の声の後、翔平のうるさい声が耳に届く。相変わらず元気そうではあったが、いつもの翔平よりも声の抑揚が大きい。もう一時間くらいは飲んでいるのだろう。
「分かった。そしたらジーターと一緒に今から向かうよ」
誠治から座っている席番を教えてもらい、電話を切った。
「アイツら先に飲んでるってさ」
僕はジーターに電話のやり取りを簡潔に要約して伝えた。ジーターは舌打ちをして、ホント自由人だよな、と毒づいた。僕は同意して、店のある場所へと歩を進め始めた。ジーターも僕の横に並び歩き始める。新歓の待ち合わせで盛り上がり、まるで自分たちの所有地だと言わんばかりの態度を貫く学生の声が、次第に遠くなっていった。
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