第65話 必死

 翔一は、すずに「待っててください」と言うと、ドアを少し開けて通路を覗いた。


 貫通ドアは破壊されていた。警備員の足元にはドアに挟まれるようにして眉間を撃ち抜かれた兵士が横たわっていた。


 翔一はすずの車室を出ると警備に近づく。大臣たちはSPに自室に押し込められ、その扉の小さな窓からは、SPが鋭い目を光らせていた。


 無線機に報告を入れる警備員は、歩み寄る翔一と目が合った。


「怪我はありませんか」


 翔一は、はじめて見る死体にかなり動揺していたが、その素振りは見せず、彼に声をかけた。


「ええ。大丈夫です。頭を撃つ以外は無効だと聞きましたが、本当のようです。一応、射殺許可は下りましたので……」


 よく見ると、兵士の膝と腹にも銃創がある。


「あの、ミスランディア殿、今、カン副部長から、主席の行方が分からないと連絡がありましたが……」

「あ……」

「ご存知ですか」

「え、ええ。主席は大丈夫です……」


 翔一は「副部長には、今戻ると伝えてください」と言うと、急いですずの車室に戻った。そして彼女の手を取ると部屋から連れ出した。




 列車の至る所から兵士が侵入していた。乗客は大混乱し、列車の中を逃げ惑った。ある者は個室やトイレに閉じ籠る。タラップや窓から外に逃げ出す者は列車の下に隠れたり、また鉄条網を越えて道路へ逃げて行く。また暗い畑に入って行く者もいる。


 翔一とすずは通路を列車の後部へ向かって走ったが、隣の車両から、乗客が大渋滞して奥に進むことが出来ない。


 警備員は乗客たちに、危険だから外に出ないよう指示していた。翔一は彼に「出たらすぐに鍵をかけるように」と言って、すずと列車を下りた。


 すずは不安そうに翔一の手をギュッと握って線路脇を走った。バラストはジャリジャリと音をたてる。すずは、時々、石に足を取られた。


「必ず楠田さんたちを探し出しますから……」


 走りながら翔一が言うと、すずは申し訳ないような顔をして、小さな声で「うん……」と答えた。


 前後から銃声が聞こえる。時々、自動小銃の音もする。


 翔一が、もうすぐだ、あと二輌……、そう思った時、前方、車両連結部の陰から一人の兵士が現われた。翔一はすぐさま足を止めると、すずを背中の後ろに隠した。


「何が目的だ! 聞かせてくれ! 話せばわかる!」


 翔一は兵士にそう言ったが、兵士は何も答えない。ただ、歪んだ顔で、翔一と、その後ろのすずを見ると、空に向かって獣のように咆哮した。それを聞いたのか、翔一たちの背後、遠くから別の兵士が近づいて来る。


「お願いします! そこを通してください!」すずは頭を下げた。


 目の前の兵士が静かに歩み寄って来るので、翔一は思い切って、「通ります!」と言って前に進むと、兵士は両腕を広げて掴みかかって来た。


 翔一は片手で兵士の手をいなし、彼の背中を蹴り押してから走ったが、すずを連れているため、すぐに追いつかれてしまう。兵士は背後から、すずを捕まえようとしたので、翔一は咄嗟に彼女の手を引いて、身を入れ替えた。


 兵士の両手は翔一の首に向って伸びる。


「翔くん!」


 すずが叫ぶ。翔一は咄嗟に兵士の両腕を掴んで言った。 


「やめよう! 話し合いで解決しよう!」


 兵士は翔一の咽喉に噛みつこうとした。すずは兵士を翔一から引き離そうと軍服を引っ張ったが、兵士はすずを見ることなく、股関節を異様に動かして、彼女の腹を蹴り飛ばした。


「先輩!!」


 すずは数メートルは飛び、バラストに打ちつけられた。翔一は泣きそうな顔ですずを見ると、すぐに目の前の兵士を睨みつけた。


 初めて抱く殺意だった。


 彼は兵士を力の限り蹴り揚げようと思った。が、彼は気持ちをグッと抑えつけると、兵士の両腕を巻きあげ、鉄条網に向って投げ飛ばした。翔一は、すずに駆け寄る。


「先輩! 先輩!」


 翔一は跪くと、彼女の肩に触れようとした。すずの服は所々擦り切れ、血が滲んでいる。左袖は破け、その下の腕は赤く腫れあがっていた。彼女は「うっ……」と声を漏らすと、頭を動かし、顔を翔一に向けた。


「だ、大丈夫……」


 翔一は今ここで手当てしようか逡巡した時だった。すずが目を見開いた。


「翔くん!」


 翔一が「えっ」と思った時、彼の後ろには、先ほどとは別の兵士が、アーミーナイフを逆手で持ち、翔一の首に突き立てようとしていた。


 翔一は振り返る。


 彼の首すじがナイフの切っ先で抉られはじめた刹那、その兵士は、回転しながら弾け飛んだ。


 翔一は素早く立ち上がった。彼の首からは血が滲み出ていた。


「君たち! 大丈夫か!」


 大門とふたりの屈強なSPだった。SPの持つ拳銃から煙が立ち上っている。


「大臣……」


 翔一は、「どうしてここに」と思ったが、尋ねるゆとりはない。肩から血を流している兵士は、むくりと立ち上がり、また、その向こうから、翔一が投げ飛ばした兵士も不気味に歩み寄って来る。翔一は、首の血を拭ってから、頭を下げた。


「助けてくれて、ありがとうございます」

「礼はいい。国民を守るのが、俺たちの仕事だ」


 数々の修羅場をくぐり抜けて来た大門だったが、さすがに、銃で撃たれても平然と動く兵士には動揺しているようだった。


「薬物でもやっているのか……。それともサイボーグ兵士か……」

「大臣、いいですか?」SPのひとりが兵士に銃を向ける。


 二人の兵士は翔一とすずに襲いかかった。


 SPは彼らの前に立ち、兵士たちの肩を撃ち、膝を撃つが、少しの間、時間を稼ぐだけで倒すことは出来ない。兵士は再び立ち上がる。


「大臣!」


 そう言うSPに、大門は厳しい顔で言った。


「俺が責任をとる」


 そう言うや否や、二発の銃声が響く。


 兵士たちは、糸が切れたように地面に崩れ落ちた。側頭部から血を流している。SPは兵士に近づき、死亡を確認した。


 すずとの会話を聴かれたと思った翔一は、どうやって言い訳しようか考えながら、大門に「あのう……」と言ったが、大門は「今はいい」と片手を上げた。


「次は、新聞記者たちの保護だが、その前に、彼女を安全な場所に避難させ、手当せねばなるまい」


 大門は、そう言って、痛々しげに立ち上がるすずを見た。翔一は「二輌先に防弾車両があります。そこなら……」と言った。


「護衛する。行くぞ」


 大門とSPは、怪我をしたすずを囲むようにして歩いた。


(もうすぐ専用車両だ)


 翔一が思った時、彼らは、銃声がいつの間にか止んでいたのに気づいた。


「終わった……、のかな?」すずは恐る恐る言った。


 専用車両の扉の窓から、警備副部長の姿が見える。彼は、列車の外を歩いて来る翔一たちに気づくと、周囲を確認してから扉を開けた。


『ミスランディア殿!』


 彼は翔一に声をかけると、タラップを降りて翔一たちの許へ走り寄って来た。大門は「ミスランディア?」と片眉を動かす。


『列車に侵入して来た敵は撤退を始めました。現在、追跡して良いか命令待ちです。それで、主席の行方は……』

『えー……と、あの』


 目を光らせる大臣の前、翔一は、嘘をつかないように頭を働かせた。


 その時だった。


 突然、副部長は血を噴いた。見ると、肩に深々とナイフが刺さっている。彼は力なく膝をつく。


カンさん!』


 翔一は、彼の身体を支えると同時に、背筋を凍らせた。


 漂う圧倒的な威圧感。


 初めてカザルスに出会った時よりも、はるかに恐ろしい気配が、すぐ近くに感じられた。


 翔一は、ゆっくりと列車の屋根を見上げた。


 そこには月を背にして、二人の兵士が翔一たちを見下ろしていた。彼らは赤い点で飾られた白い仮面をつけていた。


「動くな!」


 SPたちが銃を向けると、兵士の一人の姿が、一瞬、蜃気楼のようにぼやけた。


 翔一は、すずの胸に向かう一条の光を見て、反射的に腕を伸ばした。認識するよりも先に身体が動く。


 掴んだのはナイフだった。すずは、へなへなとその場にへたり込む。


 翔一は、「こいつら先輩を殺す気か」と全身の毛を逆立てた。


 どさりと人が倒れる音がした。翔一は横を見ると、二人のSPが胸にナイフを立てて倒れている。大門を庇ったのだ。


「何者だ! 俺を日本の国務大臣と知っての犯行か!」


 大門は太い眉を怒らせて怒鳴ったが、仮面の兵士たちはそれには何も反応しない。ただ、翔一の力を見計らっているように首をかしげたが、兵士の一人は再び、その姿を揺らめかせた。


 翔一は腕を広げた。すずと大臣の胸の前で、左手に一本、右手に二本のナイフを掴んでいる。大門は、自分の胸の前のナイフを見て、咽喉をごくりと鳴らした。


 さらに翔一たちの前後から、六人、別の兵士が近づいてくる。


(撤退したんじゃない。ここに集まって来たんだ。でもなぜ?)


 翔一に考えている暇はなかった。兵士たちが走り寄って来る。翔一は、列車の屋根に立つ兵士からすずが見えないように立つと、走り迫る兵士にナイフを投げつけた。


 毎日、干し肉作りのため、朝から晩まで小太刀と格闘していた翔一には、ナイフの扱いはお手の物になっていた。百発百中だ。


 が、翔一は、人を傷つける事が大きらいだった。たとえ相手が、自分たちを殺そうとする悪人だとしてもだ。


 ナイフは、兵士たちの太ももや膝に突き刺さる。走る兵士のバランスが、一瞬崩れるが、動きを止める事は出来ない。


 一方、大門はSPから拳銃を借りると両手に持ち、翔一が動きを止めた兵士に向けて発砲した。二発に一発は外れるが、確実に動く兵士を減らしていった。


「人の命を背負うのは、大人に任せろ」

「すみません」


 三人にまで減った兵士たちは、大門やSPには目もくれず、翔一とすずを取り囲んだ。


 兵士は、すずに向って一斉に襲いかかった。翔一が一人を蹴り飛ばし、二人目を投げ飛ばす。三人目がすずに噛みつこうとする。翔一は手を伸ばそうとしたが、間に合わない。


「先輩!」


 翔一が叫んだ時、大門の拳銃が火を噴いた。すずの真後ろに迫っていた兵士は弾け飛んだ。大門は、さらに翔一に投げ飛ばされた兵士二人の頭にも銃弾を撃ち込んだ。


 これで地上に立つ兵士はいなくなったが、ほっとする間はなかった。


 仮面の男たちが屋根から音もなく飛び降りる。


 翔一は鳥肌を立てた。額から冷や汗がとめどなく流れ落ちて来る。


 彼らから、一瞬でも、目を離すことはできない。逸らした瞬間、すずが殺される。翔一はそう確信した。


 彼らのすぐ向こうに防弾車両の扉が見える。が、どう考えても、彼らを越えて、あそこに逃げ込めるとは思えない。走っても逃げられない。背中を見せた瞬間に殺される。


 翔一は後悔した。


 なんで、この場にすずを連れて来てしまったのか。すずの車室にいれば、怪我させることもなく、命の危険にさらす事もなかったかもしれない……。


 そう思って、唇を噛みしめた。


 背後に、すずの呼吸を感じる。翔一はすずの顔を見たかった。これが最後になるかもしれない……。


 それでも翔一は仮面の兵士から視線を外さなかった。


 翔一は懐から小太刀をゆっくりと取り出す。


「大臣……」

「なんだ」大門は弾倉の残弾数を確認していた。

「彼女を頼みます」


 大門は翔一の顔を一瞬だけ確認すると、全てを悟ったように「分かった」と言った。


 大門は、すずを立たせる。すずは「翔くんも……」と彼の背中に言った。


「君、逃げるぞ」と大門。

「だめ。翔くんを置いて行けない」


 すずはかむりを振る。


「分からんのか。ここに居たら死ぬ」

「でも、翔くん、ひとりじゃ……」

「彼なら……、大丈夫だ」

「うそだよ! 翔くん、ケンカとか大嫌いだし、とっても弱いんだよ」

「ナイフを止めるのを見ただろ。いいか、俺たちは、足手まといなんだ。彼の邪魔なんだよ。君がここを動かなかったら、彼も俺たちもみんな死ぬ」


 後ろから聞こえて来る会話を聴き、翔一は内心「邪魔じゃないけど」と微妙な気持ちになった。


「彼は、君が逃げる時間を稼ぐだけだ。一人になれば、彼だって逃げられる」


 仮面をつけた男の一人が、腰のホルスターから銃を抜こうとする。


「早く!」翔一は小太刀を構えた。

「行くぞ!」と大門はすずの手を取って引っぱった。


 すずは、泣きそうな顔で、「翔くん! 死なないで! 絶対に逃げてね! いい! 約束だよ!」と翔一の背中に声をかける。


 翔一は「はい」と小さな声で答えた。




 すずと大門が走り出すと、仮面の兵士はすずに向けて発砲した。翔一はその弾丸の軌道を小太刀で逸らせる。兵士の一人が、すずを追おうとしたが、翔一が彼の前に立ちはだかった。


「ここは死んでも通さない」


 銃を持つ兵士が屋根にジャンプをしようとしたので、翔一は礫石を拾い、思いっきり投げつけた。兵士の足に当たり、彼は空中でバランスを崩したが、難なく再び地面に着地する。


 二人の兵士は、仮面の奥から、翔一を不気味に見つめた。




 すずと大門はしばらく走った。線路は右にカーブしている。先頭車両まで見通すことは出来ない。


 大門は、数両先の列車の陰に人の気配を感じると、すずを隠そうと暗い列車の下部に彼女を押し込んだ。


 四つ這いでやっと通れる暗闇。昼間なら見えるだろう錆びだらけの台車や装置は、今ではただの漆黒の塊だった。二人は車輪の陰に身を潜めた。


 兵士がジャッジャッと音をたてて走っていく。二人はほっと息をついた時、またも何者かの気配を感じた。


 すずは息を呑み、大門は銃を構えた。




 翔一は、生きた心地がしなかった。


 二人の兵士は、一人は太いアーミーナイフ、もう一人は拳銃を持ち、間断ない攻撃を仕掛けてくる。


 まるで無数の剃刀かみそりの舞う竜巻の中にいる心地だった。恐ろしかった剛士との試合が、これに比べたら、楽しいゲームのように感じられた。


 翔一は、すずの姿が見えなくなると、自分も逃げようとしたが、とても逃げられなかった。


 ナイフの斬撃、至近距離からの発砲、凄まじい威力の蹴りや突き。翔一は必死に避けた。一瞬でも気を抜いたら即死だ。


 すべてを躱す事はできない。打撃を防いだ箇所の黒服はズタボロになり、彼の皮膚は斬られ、銃弾で焼かれていった。



 頭の奥で、カザルスの声がする。


「翔一君! 守ってばかりいたら勝てないぞ!」

「翔一! ぶちのめしなさい!」


 エラリーが拳を振っている。


「ショウイチ! そこだ! キックだ! パンチだ!」


 マリオは踊るように身体を動かしている。


 翔一の脳裏に修行中の記憶が蘇った。一瞬、目の前の兵士を小太刀で斬ろうとした。が、紙一重の所で躊躇し、手を止めた。


 自分がされて嫌なことは、やっぱり他人にしたくない。翔一はそう思った。


 彼は、後頭部に銃の気配を感じた。


 避けようと身体をひねる。


 振り返ると、仮面の兵士の持つ銃口が、翔一の眉間に密着した。


 兵士が引き金を引く。翔一には、彼の動きがスローモーションのようにはっきり見えた。


(避けられない……)


 翔一は自分の最後を悟り、すず、そして、秀樹や保志、学芸部の仲間たちを思い浮かべた。


(先輩……、すず先輩だけは無事で逃げてください……。文化祭の時の告白……、ちゃんとしとけば良かったな……)



 月夜。


 群青色に染まる畑の中にぽつりと佇む列車。


 閃光と共に銃声が響きわたった。

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