第38話 日本に帰れない

「隕石か……、分からん」


 大門は座り直し、色あざやかな懐石料理に箸を運んだ。


「北朝鮮との関りは?」と山野。


 隕石の落下は、女子高生の拉致の前日だった。その落下予測は、どこの天文台もしていない。メディアは隕石だと報道しているが、調査の結果、隕石は発見されていない。


 先後関係からみて、山野が北朝鮮との関係を疑っているのは当然と言えた。彼は、もしかしたら交渉の切り札ができるかもしれない。そう期待していた。


「分からんが、常識的に考えて、ないだろ」

「ミサイルの可能性は?」

「ない。防衛省も米軍も否定してたじゃないか。レーダーには何も映ってなかったし、裏も取った」

「ステルス性の新兵器という可能性は……」


 大門は、ピンク色に焼いた鯛を箸でつまんで口に運んだ。山野は粉の胃薬を水で飲んでから、茶碗蒸しに手をつけた。


「ゼロじゃあないが、落下地点には直径五メートルのクレーターがあるのに、何の痕跡も残されていなかった。最新の戦闘機だって落ちたらスクラップだ。なのに、ネジひとつ落ちてやしない」

「落ちた後で、移動したとか、誰かが移動させたとか?」

「ない。山奥の森林で、周囲で見つかったのは人間の足跡だけだ。ヘリを使ったとしたら、すぐに分かる」

「じゃあ、北朝鮮の関与はないんですね」

「分からんと言ってるだろ」


 大門は片手で茶を飲みながら、革のカバンの中から黒いファイルを取り出した。


「当日、あの近辺および近隣の町での不審者だ」


 山野は料理の膳ごしに、それを受け取って開いた。中を見ると、束になった防犯カメラの写真や、ぶ厚いレポートが入っていた。


「ものすごい量ですね。ん? なんだか、奇妙な服装をした人物がたくさん写っていますが……」

「近くでコミケが開催されていた」

「コミケ?」

「コスプレ大会の市場みたいなもんだよ」

「千人は越えていそうですね。やはり、こんなに多いと調査は無理ですかね」


 山野がそう言うと、大門は身を乗り出して、山野が手に持つファイルの後ろの方から、クリップでひとまとめにした写真とレポートを取り出した。山野はその写真を手に取りまじまじと見つめた。


「ハリウッドスターみたいな渋い男前ですね。それから少女と男の子……。彼らがどうしたんですか?」

「落下の一週間後、この男が三柱町の喫茶店とスーパーに現れている」


 山野の眉が動いた。


「拉致現場じゃないですか。犯人は現場に戻ると言いますが……」

「犯人は工作船で逃走しているだろ」

「あ、いや、協力者という意味で……。彼らは何をしていたんですか?」

「被害者の高校の男子生徒と一緒に行動していた」


 山野は目つきを鋭くして、スーパーの防犯カメラの映像を見た。


 それは大野秀樹と黒服のカザルスたちがショッピングカートを押している写真だった。


「これはまた、かなり買い込んでますね。高校生と、男性が二人、女性がひとり、ここには子供はいませんね。彼は何者です?」

「分からん。各国の犯罪者や諜報員の記録にも、どこにもない」


 他にも、カザルスたちが、駅の改札やプラットホーム、レストラン、ハローワークなどで撮影された写真があった。


「三柱町の喫茶店の写真はありませんか?」

「ない」

「そこでは何してたんです」

「女性店主の話だと、話し合いの後、変身したらしい」

「客席で着替えですか」

「いや、変身だと言っている。女性店主の目がハートになっていたらしいから、信憑性は低いが……」

「何かあったんですね」


 大門はズズッと茶をすすった。


「その次の日には、三柱町の漁船が島根県沖で消失した」

「消失とは?」

「海保の巡視船の目の前で消えたんだよ」

「はは、最新のレーダーを持っているのに、船をロストするなんて考えられませんよ」

「ま、そうだよな。俺もそう思う。それに、その巡視船は〈あしたか〉だ。」

「あの工作船を追跡した……。もしかして、〈あしたか〉が何らかの陰謀に関わっているとか」

「んな訳あるか。そんならアホな報告などしないで黙っていればいい。それに、あの船長は誰よりも仕事に誠実だ。それから、乗船していた男子が、このコスプレ写真の子と同じだと乗組員の証言があった」

「大門さん、いったい何が起きているんです」

「だから、まだ分からんと言っているだろう」


 山野が身体を乗り出した。


「まだ、とは?」

「彼らと一緒にいた高校生を調査している。一人はスイスに行ったと学校に届け出ているが、出国記録はない。もう一人は、そのまま学校に通っている。彼の銀行口座には、国内外から定期的な入金が確認された。ただの高校生とは思えん」

「捕まえますか?」

「こいつは泳がせる。もう一人は秘密裡に捜索中だ。誰にも口外するなよ」

「無論です」

「秘書にもだぞ」

「えっ? ああ、も、もちろんですよ」


 山野は、茶を飲みながら、写真――カザルスやエラリー、マリオ、秀樹――の顔をじっくりと見つめた。その後ろには、学校の集合写真がはさまっており、翔一が丸で囲まれていた。




北朝鮮。平壌。


 武井友香子は拉致されてから、シン友香ウヒャンと改名させられた。彼女は、十数年ほど暮らすと、同じように韓国から拉致されてきた男性と強引に結婚させられた。


 幸いだったのは、相手が、やさしい穏やかな人間だったことだ。彼は、友香子に同情し、ここでの生活を一緒に乗りこえようと言った。初めは無理やり結婚させられたことに納得がいかなかった友香子だったが、十年ほど暮らすうちに、彼に対する愛情を感じるようになった。


 そして誕生したのが英女ヨンニョだ。最近では、友香子の夫は、どこかの秘密施設に単身赴任させられて、会う機会はほとんどない。彼女は寂しさを感じつつ、娘や他の日本人仲間と助け合って暮らしていた。



 労働党庁舎では、友香子の消息について誰も知らなかったが、シンウヒャンと言えば、誰かしら答えられたかもしれない。翔一たちは、すずが、彼女を「友香子さん」と呼んだことで、この女性が武井の娘であることを知った。


 翔一は、これは神様のイタズラなのか、偶然なのかと不思議に思った。剛士は「超ラッキーじゃねえか」と素直に喜んだ。


 翔一は友香子に、彼女の父親の権造も平壌に来ていることを伝え、彼女を車に乗せて労働党庁舎へ連れて行こうとした。


 友香子は、はじめは半信半疑だったが、すずの「翔くんなら、ぜったいに大丈夫だから!」との強い勧めに説得され、彼らについて行くことにした。


 英女が「自分も行く」と強引に車に乗り込んで来ると、友香子は、少しだけ迷ったが、孫を父親に会わせたい思いが勝り、それを許した。


 SUVは五人乗りだった。


 友香子と英女が乗ることは想定外だったので、剛士が助手席に座り、翔一が後部座席に、すずと、すこし気の強い美少女、英女に挟まれ、女性三人の中に男ひとり、ギュウギュウ詰めになって座った。


 車中、翔一は顔を赤らめ、緊張して固まっていた。


 労働党の中年の役人は、ひとり、後ろの荷室に体育座りさせられ、「なんでこの私が……」と、庁舎に到着するまで、ずっとブツブツ言っていた。




 貴賓室は、建物の素朴な外観とうって変わって、西洋の豪華な調度品で飾られた部屋だった。


 テーブルには、ワインやブランデーなどの酒瓶や、お菓子やケーキ、酒の肴などがずらりと並んでいる。奥には仮眠用のベッドが運び込まれ、その周囲には加湿器だとか、アロマの蝋燭、くまのぬいぐるみなどが飾られた。


 カザルスたちは、この部屋で休んでいたが、夕方、翔一たちが戻ってくると、この部屋を完全に立入禁止とした。


 その部屋で武井権造と友香子は再会した。ふたりとも、年をとり変わり果てた、それでいて一目で分かる、最愛の肉親のすがたを見て、言葉をうしなった。


 お互いによろよろと歩み寄り、手と手をとり合った。


 四十年の記憶がよみがえる。


 友香子の誕生、幼稚園、ランドセル、家族旅行、中学入学式……。


 ふたりは記憶と現実のはざまで、わなわなと震え、静かにお互いを見つめた。


 武井が、言葉を詰まらせながら、友香子の母親、芳江が五年前に死んだことを伝えると、彼女は取り乱して泣き叫んだ。


 武井は、ためらいつつ、彼女の背中に手をかける。英女は、つねに冷静だった母の、初めて見せた姿におどろいた。


 落ち着いた後、友香子は娘の英女を武井に紹介した。武井は彼女の顔に、妻のおもかげを認め、深く感動した。


 今まで生きてきて良かった、本当に良かったと、武井は心から喜んだ。


 英女は武井に「はじめまして、よろしくね、お爺ちゃん」とドライに挨拶した。



 すずは、ここまで救出しに来てくれた、みんなに心から感謝し、たちまち信頼関係を築く。


 その後、カザルス、エラリー、マリオ――船は完全に透明化して、マリオも権造と一緒にこの場に来ていた――、翔一、剛士、すず、武井、友香子、英女が、豪華な椅子に思い思いに座り、日本へ帰還するため、話し合いをしていた時だった。


 翔一が計画について説明していると、すずは、突然、すくっと立ち上がって言った。


「わたし……、日本に帰れない」


 翔一も剛士も、唖然とした表情で、すずを見つめた。

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