第30話 北朝鮮の最高指導者

 1910年の韓国併合から1945年日本が太平洋戦争で敗北するまで、朝鮮半島は日本の支配下にあった。その植民地支配に抵抗するレジスタンスが「抗日パルチザン」だ。そのメンバー、金月成キムウォルソンが朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を建国した。


 彼の方針は抗日。つまり朝鮮の独立。そして大戦後は、米ソに分断された南北の統一だった。


 金月成はマルクス・レーニン主義を、主体チュチェ思想、首領制へと作り変えた。それにより世襲制が確立する。首領は、金月成キムウォルソンから、息子の金正月キムジョンウォル、孫の金晶勇キムジョンウンへと引き継がれることになり、その体制の下で統一運動が継続された。



 金月成キムウォルソンの考えていた朝鮮半島の対立とは、朝鮮とアメリカの対立だった。朝鮮に中国、ソ連が後ろから補佐し、アメリカには韓国と日本が付随する。


 が、1990年代初頭に、ソ連と中国が相次いで、韓国と国交正常化をおこなってしまった。ソ連・中国・朝鮮、対、アメリカ・日本・韓国という共産主義と資本主義の対立構造が崩れてしまい、北朝鮮は前後を挟まれる形となった。


1994年に月成ウォルソンは死んだ。が、月成は死に際に、精力的にアメリカとの関係改善を図り、クリンドン米大統領との間で「米朝枠組み合意」を取りつけた。


 北朝鮮が黒鉛減速炉の開発を凍結するのと引換えに、アメリカが2003年までに軽水炉を提供し、この完成まで代替エネルギーとして年間五十万トンの原油を供給する。北朝鮮はNPT(核不拡散条約)にとどまり、核査察協定を遵守するというものだった。


 これで祖国は再び豊かになる。平和的に南北統一への道を歩める。多くの朝鮮人はそう信じた。1996年、金晶勇キムジョンウンも子供ながら、安心してスイスに留学した。


 2000年、晶勇ジョンウンは帰国した。彼が幼かったころは、祖国は豊かに見えた。少なくとも南朝鮮よりは豊かだった。月成ウォルソンのもとで明るい未来が広がっているようだった。が、朝鮮は、90年代から、農作物の不作や不況に苦しんでいた。


 さらに、アメリカの政権がクリンドンからプッシュに移ると、プッシュは、北朝鮮が「米朝枠組み合意」を遵守しているにもかかわらず、一方的にその合意を破棄した。


 それだけではない。2001年。


 9.11同時多発テロが起きた時、金正月キムジョンウォルは、すぐさまアメリカに遺憾の意を表明したが、それに対して、プッシュは北朝鮮に「悪の枢軸」というレッテルを貼り、あからさまに攻撃対象にした。


 プッシュは言った。あの国は「吐き気がする」と。そして、制裁という名の厳しい経済戦争を仕掛けられ、北朝鮮はますます疲弊していった。




 金正月キムジョンウォルは考えた。南北の統一。それを行うにはアメリカと交渉の場を持たねばならない。北朝鮮は幾度となくそれを試みた。NPTから脱退し、核の開発を続けたのは、ただアメリカを交渉の場へ持って行くためのカードに過ぎなかった。世界各国からの批判を浴びようとも、ギリギリの外交を行ってきたのには目的があったからだ。


 まずは休戦協定を和平協定に持っていく必要がある。が、アメリカの腰は重かった。正月ジョンウォル晶勇ジョンウンの目には、アメリカが、和平を望まないように映っていた。




 国務委員会・特別執務室。


 部屋には絨毯。壁には金月成キムウォルソン金正月キムジョンウォルの肖像画が飾られている。


 金晶勇キムジョンウンは、晶勇とは五十以上離れている老人と話をしていた。彼の名は金泰南キムテナム。年は九十を過ぎでいる。最高人民会議、常任委員会の委員長だ。彼は、まるで半分ぼけているように、しょっちゅう「ほほほ」と笑った。


 核実験の成功により、この年(2018年)の六月には、ようやくアメリカのサランプ大統領と首脳会談にこぎつけたが、それから交渉は停滞していた。晶勇は泰南に聞いた。


「核をすべて捨てたら、アメリカは国交正常化を進めると思いますか?」

「ほほほ。核を持って初めて交渉の場を持てたのにか」


 泰南の表情は、しわだらけで笑っているのか悲しんでいるのか分からない。晶勇は、その答えは聞くまでもなく分かっていた。核を放棄したらそこで終わりだ。アメリカは北朝鮮を再び無視する。放棄は、自分の城の堀を埋める行為と同じであり、祖国は交渉のカードを失うだけだ。


 生前、金正月キム・ジョンウォルは、晶勇ジョンウンに何度も言い聞かせていた。


「サダム・ワセインの二の舞になるな」


 イラクのワセインは2003年、プッシュ大統領に核兵器を持っていると濡れ衣を着せられた。イラクは米軍に侵略され、ワセインは死刑となった。国土は荒廃し、イラクは自国の石油利権を失った。ちなみに日本はこの戦争に「イラク特措法」を制定することで自衛隊を参加させている。



「第一委員長……」

「ジョンウンでいいですよ」


 泰南は遠くを見るようにして語った。


「んじゃ、ジョンウン。私はね、朝鮮戦争のことをつい昨日のように覚えている。私はまだ学生だった。あと少しだった。もう少しで、ドイツのように米ソに分割統治された朝鮮半島を、私たち朝鮮民族が統一するところだった。それをあの憎っくき米軍め。悲惨な戦争だった。あの戦いで二百万以上の尊き同胞の命が失われたのだ。私の多くの親友たちもそこで死んでいった……。くそっ、あいつらさえいなければ、今頃、朝鮮はひとつになっておったのだ……」


 晶勇ジョンウンは、またその話か、と思った。


「くだらんアメリカの帝国主義に、なぜ私たちは犠牲にならにゃならんのか」

「そうですね」

「ベトナムはもっとひどかった。アメリカはトンキン湾で自分の国の駆逐艦を自分で魚雷攻撃して、それを口実に大規模な軍事介入をしおった。五百万人以上が死んで、今でも枯葉剤の影響で、あの国民たちは苦しんでおる。イラクはどうだ? アフガニスタンはどうなった?……」


 この話は何回目だろうか……。晶勇は手の爪をいじりはじめた。


「聞いてるか?」

「は、はい」


 晶勇は慌てて視線を上に戻した。


「サランプ大統領はどんなやつだった?」


 泰南が聞くと、晶勇は、何回言ったっけ、と思ったが、それに大人しく答えた。


「そうですね……。嘘と笑顔で固められた人間でした」

「信用できるか?」

「私のことをロケットマンと呼んで、アメリカファーストを公言している人間ですよ。しかし、アメリカとの関係を進展させなければ、我が国の未来はありません」


 泰南はウンウンとうなずく。


「信用できませんが、南朝鮮からの米軍撤退を示唆していることを考えると……」

「甘い。アイツはプッシュと同じ資本主義の犬だ。自分の利益にならないことは何もしない。この間も、『中距離核戦力全廃条約』を一方的に破棄すると言ったばかりじゃないか」

「まあ、そうですね……」

「万が一、交渉の場で何かの合意に取りつけたとしても、奴らはいつでもそれを破棄する。我々をエネルギー不足にさせ、いわゆる『真珠湾攻撃』をさせたいんだ」

「では、いったいどうしたら良いのです」


 晶勇は聞くが、泰南は「知らん」と言った。


「私は明日にも金月成キムウォルソン将軍に会ってもおかしくない年だ。むしろ今すぐ会いたい。ああ、あの頃が懐かしい。祖国を取り戻すという夢と希望に満ちていた。早く、あの世から迎えに来てもらえんだろうか……」


 泰南はそう言って遠くを見た。


 晶勇は「そりゃ無責任だろう」と心の中で思った。彼は「そう言えば、日本から拉致した……」と話題を変えようとした。

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