第2話

 いざ街に出ると、いつも歩いているはずの道が全く違う風景に見える。それもそうだろう、未だかつて女性を物色する為に街中を歩いたことなんてなかったのだから。店中から顔を出してこっちを見ているあの二人の視線も、妙に腹が立つ。

 好きな女性なんて考えたこともなかった。屋敷に女性なんておらず、武学に励む弟と自分の二人がいるのみ。使用人を雇う金があるなら書物か、施しをするかに費やしてきたからだ。このまま戻って二人に頭を下げてこようかと、そう考えた時だった。

「あの、すみません…何か恵んでいただけないでしょうか」

 自分の脇に立っていたのは、自分よりも一回りも小さい少女だ。痩せた体に、ボロボロの衣服。別に珍しい光景ではなかった。特に施しをよく行う人として有名な張バクには毎日の様に見る光景だ。廃れた政治、各地では賊が蔓延って、流民や戦争孤児などは全国各地に溢れている。

「定期的に家の蔵を開けてみんなに平等に提供している。誰かを贔屓にしたりすると他の人達が気を悪くするのだ、だから申し訳ない。明後日の朝に屋敷の前に来てくれれば、それなりのものを提供しよう」

 酷な話だが、どうしようもなかった。贔屓をすると、他の人間もこぞってやってくる。そうなると際限というのが無くなってしまい自らを滅ぼす。昔、袁紹と曹操に口を酸っぱくして、そう注意されたのだ。

「六日前程、家族は皆、宦官に処刑されました。賄賂を拒んだためです。父は執金吾(首都の治安を維持する職)を勤め、生活には困っていませんでした」

 少女は小さく父親の名を告げる。突然明かされた名前は、理由が不明な「反逆罪」として処罰されていた人物として、確かに知っている名であった。

 受け答えからしても普通の流民ではなく、しっかりとした教育を受けてきた者のそれである。どうやって逃げ出したのか、きっと両親が尽力したのだろう。物乞いなどするような身分の少女ではない、つまり、恥を忍んでの懇願であった。

「お願いします、数日物を口にしてないのです。それに私は罪人の身、名乗る事も出来ません。義の人である張バク様とお見受けしてのお願いです、私に、新しい名前と少しの食べ物を、どうか」

 声は震えていた。幸い周囲に目立ってはいない。親に救われた命を危険に晒す秘密をここまで打ち明けたのだ。気づけば張バクは、笑顔で少女の手を握っていた。

「君に紹介したい人がいる、二人とも私の親友であり兄弟なのだ」

「え?そんな、やめ」

 少女の本気の抵抗は弱く、部屋で書物を読んでばかりの張バクでも楽に引けるほどだ。

 張バクは少女を連れて袁紹と曹操の前に連れて来た。二人とも同じような顔をしている、これは駄目な人間を見る目だ。

「兄弟、これで文句はないだろ?私はこの娘が気に入った、屋敷に住まわせようと思う」

 二人だけではなく少女もまた驚いている。張バクが手元に女を置くと言うのだ、曹操も言い返す言葉が見つからなかったらしい。

「これからよろしく、『僑(きょう)』。今日は二人の驕りだ、何でも頼んでくれ」

 それが自分の新しい名前だと少女が気づくまで少し時間がかかった。そんな中で張バクは機嫌良く席に座り、酒と料理を頼んだ。


「もしかして、それは奥方様ですか?」

「そうだ、懐かしいな」

 昔を思い出し、鼻の奥がツンと痛くなる。ひとつ大きく息を吐くと、気休め程度には楽になった気がした。もうあのような日々は戻ってこない。知らせでは「僑」も既にこの世にはいないらしい。

 そんな張バクの心中を察したのか、黄嘉はうつむき、主人の次の言葉を待つ。

「それじゃあ、次はこの人間について聞いてみたい。お前は『董卓(とうたく)』を如何に思う」

 明らかに黄嘉の表情が変わった。

 数年前、帝を操り、何もかもを自らの欲のままに動かし、残虐な行いを続けて都を火の海にした悪魔の名前がその董卓である。黄嘉の父や母も、董卓に殺された。商人であった黄嘉の父母の金や家財を奪う為に、脅されもせず突然殺されたのだ。

「皮を剥ぎ、肉を犬に食わせてやりたい。何度殺しても、殺したりなかった存在です」

「たしかに奴はこの世の害悪の象徴だった。しかし、董卓とて最初からそうであったわけではない。こうなる前の董卓は、私が心から尊敬していた『英雄』だったのだ。特にお前には知っていてほしい、董卓が、いかなる人物であったか」

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