第10話 遅刻の旧友さん

 






「―――ハルさんっ!」


三時間目と四時間目の間。

十分しかない僅かな休憩時間に、息を切らせた訪問者が教室の入り口でそう声を上げた。

誰の知り合いなんだろう?

俺は野次馬の一員となり、その訪問者を一目見ようと首を伸ばす。

すると驚いたことにばったり目が合った。

一瞬の静寂。

その後、ぱっと表情を輝かせた訪問者はなんの迷いもなく、ずんずんとこちらへ向かってくる。


「おかえりハルさん!こっちに帰ってきてくれてたんだな!」


「え、えーっと……」


「ん?あれ?……ハルさん、まさか忘れてたりしないよな?」


「そ、そりゃそうよ!」


「そうだよな!俺を忘れるわけないよな!」


いや俺とかじゃなくて、出来れば名乗って欲しいんっすけど……。

そんなこちらの思惑を他所に、知り合いらしき彼は屈託のない笑顔を見せた。


はてはて、この人は誰だろう?

彼は面識があるような言動をしているのだけど、俺の方はさっぱり見当がつかなかった。

こんな格好いい人、こっちの知り合いにいたかな?

頭を捻ってみるがどうにも思い出せなかった。

何となく見覚えがあるような、でもやっぱりないような……。


「―――はっ!」


記憶の海を彷徨っていたその時、一つの可能性に思い至った。

もしかするとオレオレ詐欺の類かもしれない……!

思えばこの人、さっきから不自然なまでに俺としか名乗ってない。

これは典型的なオレオレ詐欺の手法。

まさか電話だけでは飽き足らず、実際に顔を合わせるバージョンも編み出されていたというのか。

こんなことならもっと防災無線に耳を傾けておくべきだった……!


「……ハルさん」


「あ、はい」


教室に入って来てから、今に至るまで輝かんばかりの笑顔をたたえていた彼の表情が曇った。

あ、あぁ……これは非常に申し訳ない。

オレオレ詐欺がどうのこうのと現実逃避をしていたが、普通に考えれば俺だけが彼の事を忘れてしまっているだけだろう。

なんだろう。

なかなかこう……胸にくるものがあった。

彼が俺との再会をすごく嬉しそうにしていただけに、こちらの罪悪感もひとしおである。


「俺の名前は?」


「……藤井君、とか……あ、いや佐藤君だったり……?」


その瞬間、彼は崩れ落ちた。

それがもう、がっくりとかそんなレベルじゃなくてズシャァ……って感じだった。

表現を難しくすると砂の入った風船が割れたみたいだった。


「完全に忘れてるじゃねぇか……俺だよ、那須(なす)だよ……」


「あ、あぁー那須君かぁ!なるほど、ねぇ……」


「それでもわからんのかいっ!中学時代を思い出せよぉ!」


肩を掴まれて、激しく前後に揺らされる。

もう視界がブレることブレること。

俺としても吐き気を催すより先に思い出してあげたいところなんだけど、如何せんここ三年くらいは覚えることが多くってね……。

転校してから二年くらいは、毎日真っ白に燃え尽きてた気がする。

それすらも記憶が曖昧なのだから、転校以前のことはもう正直うっすらとしか覚えていないのだ。


「で、では!まずお名前をお願いします!」


「えっ?」


予想外の反応だったのだろう。

彼は俺を揺らす手をぴたりと止めた。

ふぅ、危なかった。

もう少しで朝の鮭を放流しちゃうとこだったよ。


「こほん。ですから、お名前をどうぞ」


「な、那須(なす)陽一(よういち)です」


「……那須君ね。当時所属していた部活は?」


「部活?えっと、テニス部です……」


「なるほど。その部活ではどの様な成績でしたか?」


「個人で地方大会出場程度、です」


「ほぉそれはそれは。……学問の成績はどうでした?」


「悪い方ではなかったかと思います」


「そうですか、両立は大変だったでしょう。最後に私とはどのようなご関係で?」


「よ、良き友人同士。親友であったと考えております」


俺はなるほどなるほどと、在りもしないメモ用紙にペンを走らせる。


「分かりました。では、この度の面談は以上で終わりです。結果はおってお知らせいたしますのでお待ち下さい。お出口はあちらです」


「あ、ありがとうございました……」


すごすごと教室から去っていった彼を見送ってから、俺は薄れた記憶を辿った。

テニスが上手で勉強も出来る、かなりの器量よしで俺とは良き友人。

これだけの情報から導き出された彼の正体は―――


「んーわからんのぉ……」


やっぱり思い出せなかった。

取り合えず、結果を郵送する準備だけはしておかないとね。


「って、なに帰らせてんだーっ!」


走って戻ってきた彼は、勢いそのままに俺の肩を切れよく叩いた。

小気味のいい音が短く鳴る。

その振動で記憶の底に沈んでいた、懐かしい思い出が浮かび上がった。


「あっ……あぁー!もしかしていっちゃんか!あのいっちゃんなのか!」


「あのいっちゃんが、どのいっちゃんを指しているのかわからんが……多分それで合ってる!」


「そうかそうか、やっぱりか!面影に見覚えがあったんだけど、まさかこのいっちゃんだったとはなぁ……」


「こっちは忘れたことなんかないのに、ハルさんひでぇよ……他の奴だったら間違いなく泣くだろうし、自殺まで考えるぞ」


安堵の表情で深い溜息を吐くいっちゃんは、幼さを色濃く残していた昔と違って随分と大人の顔付になっていた。

士別れて三日なれば刮目して相待すべし、とは正にこのこと。

それが三年もの月日が積み重なったのだ。

その変化は著しくて当然。

ぱっと見てわからないのも仕方がないだろう。

うん、そうことにしとこ。


「いやぁ、ごめんごめん。それにしても随分変わったなぁ、あの頃とはまるで別人みたいだよ。あのいっちゃんがここまでとはなぁ」


「な、なあハルさん?多分合ってるって言ったけど、それ本当にこの陽一で合ってるよな……?」


「…………」


「なんか言えよぉ!」


そう言われてはこちらとしても自信が揺らぐ。

俺が知っているいっちゃんは中学二年生の姿で、それからは時が止まってしまっている。

あの頃は顔に幼さが残っていたし、身体の線も細かった。

可愛らしいとまだギリギリ言える年頃だったのだ。

しかし、このいっちゃんはどうだ?

顔にはまだ当時の面影が残っているような気がしなくもない。

だがその身体は前と比べて大きく、そして屈強になっており、幼さが抜けた顔と相まって精悍な男へと成長していた。

可愛らしいなんて言葉は似つかわしくない。

それは幼い頃、それこそ小学生の頃から彼を知っていた俺にとって、本当に別人になってしまったようだった。


「それにしても、いっちゃんもこの学校だったんだ。いやー俺、まだ分からないことが多くってさ、いっちゃんがいるって分かったら安心したわぁーははっ!」


「露骨な話題転換は確証ない証拠だろぉぉぉ!?」


「ち、違うし。あるし、確証ありまくりだし」


「目を逸らしていうなよ!俺だよハルさん!俺おれ!」


「カフェオーレ」


「真面目に聞けぇぇぇぇ!」


悲愴感が漂ういっちゃん、と思われる彼はまた俺の肩を揺らし始めた。

や、止められよ。

ごめん、ごめんって謝るから止めてくりゃれぇ……。

せっかく胃袋に入れた若い秋鮭が、時鮭が出てきちゃう……う、おえっ。


「い、っちゃん。てぇ、が硬いけどぉ、まだ強制ぃ、されて、るの?」


俺はがくがくと揺らされながらそう言った。

いっちゃんがぴたりと動きを止める。


「ハルさん、まさか本当に俺のこと思い出して……」


「ふ、ふふっ……いっちゃん、俺は思い出したってそう言ったはずだぜ?」


俺はにやりと笑った。

イメージとしては、クールで鯔背(いなせ)なナイスガイだ。

まあ思い出したなんて多分一言もいってないし、いっちゃんの手のこともたった今思い出したばかりなのだが、恰好付けて言った手前、訂正しにくいので黙っておく。


「は、ハルさーんっ!」


「ぬおっ!?やめられ、ちょっ……やめーい!」


感極まりましたと言わんばかりに両手を広げて迫りくるいっちゃん。

その腕に抱かれてたまるかと両手を突き出し、つっかえ棒の要領で遠ざける俺。

こんな公衆の面前で男に抱き着かれでもすれば、新たな汚名を着せられるに決まっている。

そうはさせぬ、そうはさせぬぞ!


押されては押し返す一進一退の攻防。

いっちゃんと俺の激戦に、周囲のクラスメイト達もなんだなんだと注目し始めた。

野次馬の数はみるみる内に膨れ上がり、次第に俺達の攻防を煽り始める。

やれ退くな、やれ尻を上げろ、やれ三番手に着けろ、やれそこで叩けだの言いたい放題だ。

クラスメイト達には俺達がどういった風に見えているんだろうか。

まさか競馬じゃないよね?


「いっちゃん、いっちゃん。ここって他にも同じ中学の人っている?」


「あぁ結構いるぞ。ここが一番近くて通いやすいからな」


周りが盛り上がり過ぎて止めるタイミングを見失った俺達は、観客の声援を背に熱戦を演じながら小声で言葉を交わす。

よっぽど真剣に将来を考えている人以外、考える事は似たり寄ったりか。

俺は小さく笑った。

かく言う俺も、昔はその理由でここを志望校にしていた一人だったからだ。


「そっか、それなら久しぶりに会いたいな。……俺のこと覚えてくれていればだけど」


「俺と同じ顔馴染みは、ハルさんが帰って来たって知ればすぐに飛んで来るさ」


「そうかな?」


「そうだとも、絶対だ」


いっちゃんは自信に満ちた表情で言い切った。

本当かなぁ?

俺は懐疑的だった。

ありがたいことにいっちゃんは俺のことを覚えていてくれたみたいだけど、仲良くしてくれていた皆がそうとは限らない。

たとえ覚えていたとしても、わざわざ俺に話しかけてくれるとは思えなかった。

何しろ俺達が言葉を交し合ったのは、もう三年も前のことなのだから。


「ちなみに、あの人もこの高校にいるぞ」


「……あの人?」


「ほら、ハルさんの隣にいつもいたあの人だよ」


「俺の隣にぃ……?」


謎かけのようにぼかして言ういっちゃんは、俺の反応に意地悪く笑った。

当ててみろって顔だった。


はて、そんな人がいただろうか。

……いや、いたな。

いっちゃんを思い出した時、芋づる式に他の記憶も蘇ったお陰で今は分かる。

俺にはいっちゃんの他にも、三人の仲のいい友達がいた。

あの別れの日まではいつもその皆と話をしたり、遊んだり、ご飯を食べたりしていたもんだ。


あれ?

でもいっちゃんの言い方からすると、複数じゃなくて一人だよな。

じゃあその三人の内、誰か一人のことなんだろうか?

いや、それでも言い方から考えるとおかしい。


ならその三人よりも、特別な人が俺の隣にいたってこと?

引き上げた記憶の数々を洗い出す。

俺の隣には誰がいた?

記憶の海を見渡してみる。

けど真っ白と表現することも不可能な程、俺の隣には何も浮かばなかった。

人ひとり分の不自然な空白だけがそこに存在している。


「もしかして、ハルさん……」


「い、いや違うよ?顔を見れば分かる……かもしれない」


自信のない俺の呟きは尻つぼみに小さくなる。

いっちゃんは呆れを混ぜた苦笑を浮かべたかと思うと、すぐに難しい表情をした。


「あの人、ハルさんが転校してかなり落ち込んでたぞ。いや、そんなもんじゃないな……危ないくらいだった」


「えー俺が転校したからって、そんなことになる人なんていたかぁ?」


疑わしい。

実に疑わしい。

それでも一応思い返してみるが、悲しいことに誰一人として候補に残らなかった。

いっちゃんも他の三人も悲しんではくれただろうけど、そこまでは流石にいかないだろう。


「―――たに決まっているだろ」


「ん?なんか言った?」


「……いや、何でもない。それよりあの人の話だ。名前も覚えてないか?名字は―――」


あの人とやらの名前を言いかけたいっちゃんを阻むように、電子音のチャイムが鳴った。

あら、もうそんな時間か。

時計を見る。

確かに長針が授業開始の時刻を指していた。


「うわっ遅刻する!すまんハルさん、この話はまた昼休みに!」


「あいよー、ご武運をー」


俺の返答を聞く前に、いっちゃんは脱兎の如く教室を飛び出して行った。

なんともまぁ、悪いタイミングで時間切れとなってしまったもんだ。

一体、俺の隣にいたらしいあの人とはどんな人物なのか。

かなり気になるが、どうにも自分だけでは思い出せそうになかった。

まったく、これじゃあ授業に集中できないじゃないか。


「おーし、授業始めるぞー」


いっちゃんが出ていった扉から、入れ替わるようにして先生が姿を現した。

こりゃ旧交を温めるのは放課後になるかもなぁ。

俺は教科書を机の中から引っ張り出しながら、廊下をひた走っている旧友が直面するだろう事態に憐憫の情を禁じ得なかった。





 

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