第4話 飛び出し注意
「きりーつ、礼っ」
今日の学校は昼前にお開きとなった。
俺は手荷物をまとめ、そそくさと教室を後にする。
活気に沸くクラスメイト達はそんな俺に微塵の反応も見せることなく、なんとも侘しい一日目の終わりとなった。
しょ、初日だし、こんなもんだろ。
微かな疎外感を覚えながらも、一人黙々と足を動かす。
騒がしい教室に比べてまだ静かな廊下には、ぱたぱたという足音が響いていた。
徐々に足の回転が速くなっていく。
先へ先へと心も体も急いていた。
下駄箱で靴に履き替え、玄関を出る頃にはほとんど駆け足のようになっていた。
「ふふ、ふ……ふふっ……」
相変わらず俺の口からは、笑みがこぼれっぱなしだった。
教室ではある程度取り繕えていたと思うのだけど、一人になるともうどうにも駄目だった。
鏡を見なくても分かるくらいに、頬が緩んでいる。
帰り際に声を掛けて貰えなかったのは、もしかするとこの表情が露呈していた所為かもしれない。
でも抑え切れない。
本当に嬉しい時は、誰だってこんなもんだろう。
目を見開いて固まるとか、身体が言うことを聞かなくなるとかさ。
「あれ?駐輪場は……こっちか」
あぁ、転校したんだな。
まだどこかお客様気分だった俺は、以前と違う風景にようやくそんな実感が沸いてきた。
向こうにいる友人達も、始業式を終えて学校から帰っている頃だろうか。
今日は早上がりだし、皆で楽しく寄り道とかやっているのかも。
あの通りのたこ焼き屋とか、よく行った茶屋のおしることかを買い食いしてるのかもしれない。
少し前までその輪にいた俺の事なんか、始めからいなかったみたいに。
「……帰ろ帰ろ!」
さっき感じた疎外感も手伝って、折角薄れていきてた寂しさが少しだけぶり返した。
頭を振って、止まってしまっていた歩みを進ませる。
またいつか遊びに行けばいいだけだ。
多分、これからもあの地には何度も足を運ぶ事になるのだろうから。
その時にこの寂しさを冗談半分でぶつけてやればいい。
それで皆の笑いが取れれば、土産話としては上等だろう。
駐輪場に着くと、そこにはまだ数人しか居なかった。
なかなかの好記録なんじゃないか、これ。
謎の笑みが顔に浮かぶ。
人より先んずると言うのは、なかなかに気持ちいいものだな!
……まぁ、誰にも引き留められないからこそ生まれた、虚し過ぎる記録なんだけど。
かごに鞄を突っ込み、自転車を取り出す。
取り合えず、鞄を置きに家へ帰ろう。
それで、帰りが遅くなる事を書置きしておけば、辰巳伯父さん達ともし晩御飯を食べることになっても文句は言われまい。
そうだ、帰りに茶菓子を買って帰ろう。
手ぶらじゃ失礼だしな。
一番近いのは、虎屋(とらや)かな。
「よっしゃ行くか!」
俺は自転車に跨がった。
気分が高揚していくのが分かる。
この学校は高台にある。
近くを流れる大きな川が氾濫した際、住民の避難所として活用出来るよう高い位置に作られたそうだ。
治水工事が進んで、俺が産まれてからは一度しか氾濫していないらしいけど、それはとても賢明な判断だと思う。
備えあれば憂いなし。
災害に対しては、過剰なくらいで丁度いいと俺は思っている。
でもその利点の反面、悪い部分もある。
細々した欠点は転校したばかりの俺にはまだ分からないけど、今日だけで分かった大きな欠点が一つ。
この学校の生徒は、登校する度にその坂を上らなければならないというところだ。
まだ涼しい風が吹いている今はいいけど、夏になればきっと地獄だろう。
猛暑日にこの坂を上がるなんて、想像しただけで汗が出そうだ。
しかし、その欠点にも反面がある。
行きは上りだ。
緩やかながら長い坂。
じゃあ、その反対は?
そう、帰りは長く緩い下り道だ。
「風に……なるぜっ!」
俺は勢いよくペダルを踏み込んだ。
本当に帰っていいのかと、若干不安を覚えるくらい人が居ない校庭を突っ切る。
そろそろ校門を抜けて、長い坂道がお目見えするといった時、
「―――っ!?」
突如、眼前に人影が飛び出してきた。
咄嗟にハンドルをきってブレーキをかける。
駄目だ。
これじゃ間に合わない。
ペダルを全力で下へ蹴る。
ふわりと身体が宙に舞った。
コマ送りの世界。
自転車が刻一刻と人影に近付く。
両足を素早く地面へ突き立て、片手はフレームを掴んだ。
内側へ巻き込むようにして思い切り引く。
車体と俺の筋線維が不気味に軋む。
鈍い風切り音。
そして、自転車が鳴らす金属音がそれに続いた。
「…………」
後輪に手応えはなかった。
悲鳴も呻き声も聞こえない。
ならば、自転車はぶつかっていない……と思う。
「お、おけ、おけが……おけつまづきゃるな?」
意味不明だった。
こいつ、なに言ってんだ?
いや、俺が言ったんだけどさ。
でも、そんな事が分からなくなるくらい俺は動転していた。
激しく脈打つこの心臓がその何よりの証拠だ。
大丈夫、大丈夫だ。
多分当たってないんだから、そんなに慌てる必要はない。
そう自分に言い聞かせ、乱れた精神を落ち着かせながら恐る恐る振り返る。
「……あれ?」
そこに立っていたのは、記憶に新しい―――
「昨日の人?」
あの公園で助けた、美しい女の子だった。
昨日と変わらぬ艶やかな髪を風に靡かせ、昨日とは違う強い意志が宿った瞳で彼女は俺を見詰めていた。
なんでこの子がここにいるんだろう。
漠然とした疑問が、今の状況を押しのけて頭に過った。
見れば彼女、この学校の制服を着ている。
ってことは、もしかして同じ学校なのか。
「えっと、自転車当たってないですか?それで、怪我したりとかは……?」
気になる部分も多いけど、まずは両手を広げ、肩で息をする彼女に無事かどうかを聞いておく。
まるで昨日の俺みたいに、息も絶え絶えといった様子の彼女は無言で頷いた。
「そうですか。……あぁよかったぁー」
今になって伝う冷や汗を拭って、胸を撫で下ろす。
あともう少し判断が遅ければ俺は兎も角、彼女の方は無事とはいかなかっただろう。
直撃はせずとも掠るだけで、彼女のきめ細やかな白い肌は傷付いてしまっていたはずだ。
本当に彼女の身体も心も傷付けずに済んでよかった。
そこで昨日の彼女を思い出した俺は、こっそりと様子を伺った。
息が切れている所為で紅潮しているけど顔色は悪くない。
目の下にうっ血も見られない。
ふむん。
こうして学校にも来れているようだし、精神状態は悪くないみたいだ。
いや、悪くないどころか、今日の彼女は生気に満ち溢れていた。
諦観や悲痛に苛まれていた昨日とはまるで別人だ。
纏う雰囲気が全然違う。
彼女の周りだけがスポットライトを浴びているみたいに、その全てが色鮮やかに映る。
俺を見詰め続ける大きな瞳は、その光を沢山取り込んできらきらと輝いていた。
流石、瑞樹姉さん。
あの状態の彼女をたった一晩でここまで持ち直させるとは。
その手腕、見事という他にない。
「じゃあお互い無事のようなので、このまま解散ということに……」
そう言って俺は、あらぬ方向に向いていた自転車を動かす。
この様子ならば俺が積極的に干渉する必要はなさそうだ。
何もしてないけど、これで晴れてお役御免だな。
そう思うと、身体の芯に圧し掛かっていたわだかまりが溶けていく。
まぁ元気になった姿も見れた。
俺としてはこれで満足だ。
役立たずはさっさと退散しよう。
見返りが欲しいわけでもないし、あの場面に出くわした俺は今の彼女にとって気分のいい存在ではないだろう。
「おっと、すいませんね」
自転車の行く先と彼女が避けた先が、偶然にも鉢合わせになった。
俺は一言詫びをいれてから、自転車の向きを変える。
「むっ?」
だが、方向転換した先でも彼女は目の前に立っていた。
あぁ偶にあるよな、これ。
互いに避けようとしてるのに、なんでか同じ方向に避けちゃうやつだ。
俺は何とも言えない居心地の悪さを感じながら、もう一度自転車の前輪を浮かせる。
さっきと比べて、ほぼ真横へ向けた。
最短距離は諦めて、彼女を迂回していく作戦だ。
どうだどうだ、これなら絶対に鉢合わせないだろう。
「あ、あれぇ……?」
万全を期したつもりだったんだけど、それでも彼女は目の前にいた。
と言うか、俺の方向転換に張り付くようにして付いてきている気がする。
これって偶然?
いやいや、こんな偶然ある?
ないだろ、普通。
じゃ、じゃあなして付いてくる?
戸惑いながらももう一回、自転車の向きを変えてみる。
案の定、阻まれた。
ずっと下ろされていない彼女の両手は、こうしてみると俺の行く手を阻むようだった。
「う、ぐぅ……」
嫌がらのような事をされて、なんだか少し悲しかった。
俺、この子に何かしたかな……?
思い返すが決定的なものはない。
もしかして、あの羽交い絞めがいけなかったのかもしれない。
あの時は必死だったから何も考えず腕を回したけど、触っちゃいけないところへ手を伸ばしてしまっていたのかも。
よくよく思い返せば、服とかの硬さの奥にすごい柔らかな感触があったような……。
「あの、何かご用向きでしょうか……?」
理由はどうあれ、こちらに非がありそうなので俺は低姿勢で問いかける。
何故かこっちを見たままおろおろとしていた彼女は、返事の代わりに瞳を閉じて大きく深呼吸をした。
次に彼女の瞳が俺を捉えた時、その表情は何かを決心したようなものへと変わっていた。
決意の炎を宿した眼差しが、一寸の狂いなく俺だけを射抜く。
「わ、私を―――好きに使って下さいっ!」
「えっ?」
俺は呆然と聞き返した。
彼女が叫ぶように言ったので、その言葉が聞こえなかったわけじゃない。
あれで聞こえないなら、今すぐ耳鼻科に行った方がいい。
そうじゃなく、俺が聞き返したのは言葉の意味が理解出来なかったからだ。
ワタシオス、キニツカッ、テクダサイ?
わたし雄、木に柄、手管祭?
うーん、これはわからんなぁ。
暗号みたいだな、がははっ!
「ハ―――お、追崎(おいざき)さんの為ならなんだってします!だから、どうか私を使ってくださいっ!」
「え、えぇ……」
現実逃避はあっさりと打ち破らた。
ぐいぐいと迫ってくる彼女に対して俺が出来るのは、ただ口から困惑の声を垂れ流すのみだった。
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