#28 人の心の暖かさと揺らぎ

 カロリーナたちの撃退に成功し、マロは悪態を呟きながらも安堵あんどした様に息を吐く。息を飲む様に成り行きを見つめていたサミエルも、ふぅと一息吐いた。


 キャスパもはぁーと大きく息を点いた後、国王陛下に向き直り、大きく頭を下げる。


「国王陛下、皆さま、先程は緊急事態とは言え、大変失礼いたしました」


 すると国王陛下は王女の肩から手を離し、姿勢を正した。


「いや、構わん。それよりもご苦労だった。しかし、どうやらあの悪魔たちの目的は、サミエルの料理だった様だが?」


 その視線がサミエルに移ると、サミエルも頭を下げるしか無かった。王族相手にこの不始末、どう片を付けたものか。


「申し訳ありません、国王陛下。悪魔のうちのひとりが私の知り合いで、毎晩食事を作っているのですが、今夜は遠慮願ったんです。ですが……」


 サミエルが言い淀むと、国王陛下は「はっはっは」と鷹揚おうように笑う。


「確かにサミエルの料理は何としてでも食べたくなるよの。良い良い。結果として結界は破られなかったのだし、皆も無事だ。ん? 無事だろうか? キャスパよ、念の為確認を頼む」


「畏まりました」


「申し訳ありませんカピ。ボクがもっとしっかりしていれば、あの悪魔をおとなしくさせられたと思うのですカピ……」


 マロもサミエルの横で項垂うなだれてしまう。しかしそれにも国王陛下は「良い良い」と笑った。


「大事にならなかったのだから構わぬ。サミエルもマロも頭を上げよ」


「しかし」


 サミエルが言葉を絞り出すと、国王陛下は「ふむ」と少し考え、「うむ」と手を打つ。


「ならこうしよう。サミエルは今日作った料理のレシピを仔細しさいに城の料理人に教える事。そしてマロは王都の結界の強化を手伝う事。それで手打ちにしようでは無いか」


「そんな事で構わないんですか?」


「そんな事となど。大事な事だぞ。私たちはサミエルの料理をいつでも食べられる訳では無い。なら料理人は違えどせめて同じ作り方のものを食べる事が最善。当然城抱えの料理人も大変優秀だ。全く同じとまでは行かないまでも、肉薄にくはくするであろう」


 それはそうだろう。調味料の違いは大きいと思うが、この城の料理人、特にカーシーは料理の能力者だ。サミエルのレシピで作れば、近いものが作れると思う。


 サミエルにとって、調味料はユリンの作るものが最上だ。だがこの城で使われている調味料も一級品ばかりだった。充分だろう。


「温情、感謝します」


「ありがとうございますカピ」


 サミエルとマロが揃って頭を下げると、国王陛下は「うむうむ」と幾度と頷いた。


「ねぇお父さま、サミエルさんとマロくんにこのお城に入っていただいたら良いのでは無いかしら?」


 ブレアから離れた王女が、国王陛下の元に駆け寄って来る。国王陛下はそんな王女の頭をそっと撫でながら、ゆっくりと首を振った。


「マリーアンジェ、サミエルとマロは旅をしているのだ。それを邪魔してはいけないのだぞ」


「でも私、毎日サミエルさんのお料理が食べられたらと思っているわ。お父さまもそうでしょう?」


「そうであるな。だが、それはサミエルたちの為にならぬ。ふたりはひと所にとどまる様なうつわでは無いのだ」


 そんな良いものでは無いが、確かにサミエルは今の暮らしが気に入っている。旅をして、様々な人たちと関わり、いろいろな食材に触れて、美味しいご飯を作る。そして喜んでくれる人を見るのが嬉しいのだ。


 例えば食堂などを開いても、そういう経験は出来るだろう。だが今の様な多彩な出来事は味わえない。それはとても貴重な事だと思うのだ。


 王女は国王陛下にたしなめられ、唇を尖らせながらも「そうなのね……」と眸を伏せた。


「解ったわ。もう我儘わがままは言わないわ。ごめんなさい」


「良し良し、マリーアンジェは良い子であるな」


 国王陛下は微笑んで、王女の頭を優しく撫でた。




 国王陛下たちの食事はどうにか無事に終え、空いた皿を引くメイドふたりとキャスパとともに、サミエルはマロを抱えて厨房へと戻る。


 するとカーシーとデーヴ、ルイジが顔を突き合わせて何やら話し込んでいた。


「どうしました?」


「ああ、サミエルさん」


 カーシーが不安げな表情で応えると、ルイジはまた不快気な表情を浮かべて向こうに行ってしまった。すっかりと嫌われてしまったものだ。


「さっきの大きな音は何だったんでしょうかなぁ。城が揺れたかと思いましたわ」


 ああ、それもそうだ。ここは王座の間と食堂のある最上階のひとつ下。ここも相当響いただろう。


「実は結界を破ろうとする悪魔が来て。でももう大丈夫っす。ブレアさんとマロが退けましたんで。でも、その原因が俺で。俺の料理が目当てだったみたいで。本当にお騒がせしちまってすいません」


 サミエルが言い頭を下げると、サミエルの腕の中でマロがおろおろと眼をしばたかせる。


「違うのですカピ。ボクがもっとしっかりしていたら良かったのですカピ。本当にごめんなさいカピ」


「マロはいつでも良くやってくれていたって。俺がもっとがつっと言っておけばさ」


「違いますカピ。ボクが」


 ふたりがそう互いをいたわり合うと、カーシーが「まぁまぁ」と両手を揺らした。


「詳細は判りませんが、ともあれもう大丈夫なんですな? なら良かったですわ」


「そうですね」


 デーヴもそう言って頷く。


「ルイジ、もう大丈夫だそうだぞ」


 デーブにそう言われたルイジは、話は聞こえていただろうに、サミエルたちが余程気に入らないのか、また「けっ」と悪態を吐いた。


 そんなルイジにカーシーもデーヴも「やれやれ」と苦笑して溜め息を吐いた。


「相変わらずで済まんですなぁ」


「いえいえ」


 あまり良い気がする訳でも無いが、もう慣れた。サミエルは小さく笑みを浮かべた。


「さて、国王陛下方のお食事は終わったのですかの」


「はい」


「煮込みハンバーグもお喜びいただけたんでしょうねぇ」


 デーブの確信に満ちた台詞に、サミエルは「お陰さまで」と頷いた。


「では、そうですね、時間的にそろそろ勤め人の夕飯が始まります。私たちも出来る事はお手伝いをいたしますので、まかないの方、よろしくお願いいたします」


「解りました」


 賄いは煮込みハンバーグである。カルパッチョは斬り付けした魚の盛り付けに手間が掛かるので、外させてもらった。


 代わりに玉葱とフリルレタス、人参ドレッシングでシンプルなサラダを添える。


 厨房の横が勤め人専用の食堂である。そこには既に数人が待ち構えている様で、メイドがサミエルに「お願いします」とにっこり声を掛ける。


「よっしゃ!」


 サミエルは気合の声を上げると、腕まくりをした。




 厨房勤めの人間の食事が最後である。全員分を用意し、食堂へと運ぶ。サミエルとマロ、キャスパも一緒にいただく。


 料理人である3人に加え、洗い場専門の男性がひとり。厨房は合計4人で回しているのである。


 冷えたサラダと湯気を上げる煮込みハンバーグを前に、カーシーとデーヴは喉を鳴らした。


ようやく食べられる。楽しみだなぁ」


「そうですね。本当に美味しそうで、皆にサーブしている時から堪りませんでした」


 そんなふたりの横で、ルイジは渋面じゅうめんを崩さない。


 「俺は食わねぇ!」とごねたルイジだったが、カーシーに「文句は食べてから言うんだな」と引っ張って来られたのである。


 ここに来てまで食べない選択肢は無いだろうが、いちゃもんを付けられるのは覚悟しておこう。


 おや、そう言えば、サミエルはこれまで作ったものに文句などを付けられた事が無いので、新鮮かも知れない。


 ルイジ以外の全員がフォークを手にし、まずはサラダを口に運ぶと、「ん!」と驚きの声が漏れた。


「人参のドレッシング良いですね! 爽やかで甘みがあって」


「そうだなぁ。すっきりしている。勿論旨味も凄い」


「本当に美味しいですね! 人参にこの様な使い方があるとは」


 デーヴとカーシー、キャスパが次々と絶賛する。マロも「流石サミエルさんですカピ!」と歓声を上げる。洗い場の男性も無言ながら頬を緩めて嬉しそうに味わっていた。


 次に煮込みハンバーグ。肉汁がしたたるそれに、チーズとトマトソースをたっぷり絡めて。


「ああ〜、これもまた良いですなぁ!」


「口の中で旨味が溢れています。なのに優しさもあって……」


「ええ。これは堪りません! お肉の甘い脂をトマトがさっぱりさせていて、チーズのコクが合わさって、凄いですね!」


 これもまた大好評である。サミエルはほっと息を吐いた。


「特産品だらけのこの城だからこそ、出せた味です。国王陛下の命があって、レシピを置いて行きますので、作ってみてください」


「ありがとうございます! それは助かりますなぁ」


 カーシーが嬉しそうに眼を細める。


「ほらルイジ、冷めないうちに食べなさい。このままだと夕飯抜きになってしまいますよ」


 デーヴが言うと、ルイジの腹が小さくぐぅと鳴った。すると「ちっ」と舌打ちしつつ、面倒そうにフォークを手にした。まずはサラダを食べる。


 するとルイジは一瞬手を止めて眼を見開き、次にはがつがつとサラダを掻っ込んだ。そして引っ手繰たくる様に煮込みハンバーグの皿を引き寄せ、フォークを入れる。


 それもまた先を争う様に口に運ぶ。誰も邪魔をしないと言うのに。


 そうして、誰よりも早く皿を空にした。仕上げに水を一気にあおり、大きく息を吐くと、ぽつりと言った。


「……畜生ちくしょう、やるじゃ無ぇか」


 ルイジのそんな反応に、カーシーとデーヴは顔を見合わせて微笑み、マロとキャスパは「うんうん」と頷く。サミエルも安堵して笑みを浮かべた。


「そりゃあ良かった。ありがとな」


 サミエルが言うと、ルイジは照れ隠しの様に「ふんっ」とそっぽを向いた。

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