110.教師たち

 フテン・ミアの父であるバルトは、アルバートの母クリステルの二番目の兄で、王太子オーラフの弟にあたる。彼の仕事は、日本で言えば警察の偉い人みたいなものらしい。

 この説明を聞いたとき、萌香の耳にはなぜか一瞬「奉行」と聞こえて少し驚いたけれど。


 バルトの職場が王宮内にあるということからか、ミアの自宅は王宮にほど近い閑静な地区に建っていた。

 初めて見るフテン家の屋敷はダン家に比べてこじんまりとした印象だが、夫人の好みなのか一見素朴ながら洗練されていて、まるでヨーロッパのおとぎ話に出てきそうな雰囲気だ。


 アルバートと共に挨拶のために応接室に通されるとスザンナとバルトが待っていた。萌香が丁寧に礼をすると、アルバートも軽く礼をした。

 今日からアルバートは王宮内での仕事があるため、萌香をここに送った後、バルトと共に出勤することになっている。普通の侍女は住み込みが多いが、萌香は基本通いで、泊まりがけになるのは一度だけの予定になっていた。


「おはよう、萌香さん、アル」

 にこやかに微笑むスザンナの隣でバルトが軽く頷く。

 オーラフよりも細身のバルトは、眼鏡のせいか職業柄か、華やかな兄妹や妻子に比べずいぶん硬質で冷たい印象を与える。萌香は想像と少し違うなと思ったものの、スザンヌが夫を見つめる穏やかな目に、きっと優しい人なのだろうと感じた。

 事実、スザンヌが萌香に向けるアイコンタクトは、「こう見えて怖くないのよ?」だったので思わず笑みが浮かんだ。


 ――うちの叔父さんも真面目な顔をするとすっごく怖かったけど、いい人だもんね。


 そんなことを考えている萌香に、目をキラキラさせながらスザンヌが椅子をすすめた。

「それにしても、萌香さんが本当に若返っていて驚いたわ。これなら十五歳と言ってもだれも疑わないでしょうね」

 どこがちがうのかしら? と首をかしげるスザンヌに、アルバートが小さく「本当にな」と呟いた。


「何はともあれ、萌香さんは打ち合わせ通り、私の遠縁の娘、エリ・モエカということになるのでよろしくね」

「はい、スザンヌ伯母様」

 すでに役に入り素直に頷いた萌香に、一瞬バルトの目が面白そうな色を浮かべアルバートをちらりと見る。


 ――あ。ミアさんのお父さんって、こういう表情をするとお茶目な感じになるのね。ゲイルさんはお父さん似なのかも。


 娘の願いを快く聞いてくれるあたり、かなり子煩悩なお父さんなのだろう。

 もしかしたら眼鏡は、自分を怖く見せるためのアイテムなのかもしれない。そう

思えば、小道具にしている眼鏡の選び方のセンスはピカイチだ。


「今回臨時の家庭教師は二人です。表向きだけど、一人はミアの、一人はユリアさんの、ということになってるわ」

 事前の説明によれば、他の令嬢も各々思い思いの教師を連れてくる場合があるそうで、かなりバラエティ豊かな内容になりそうだ。


「学校に通うよりも濃い内容になりそうですね」

 仕事とはいえ、かなり楽しみだと考える萌香に、スザンヌが「でしょう」とにっこり笑う。

「家庭教師だと一人で複数のことを教えるのが一般的なのよ。でもせっかくの機会だから、より多くの先生に少しずつ英知を分けて頂こうって主人がね」

 うふふと口元を隠して笑いながら、スザンヌが夫を自慢するように見る。

 その微笑ましい視線にバルトは少しだけ口の端を上げると、執事に声をかけた。

「ミア達を呼んでくれ」

「かしこまりました」


 ほとんど待たず、ミアが数人の女性を伴って入ってくる。その中に萌香は意外な人を見つけたが、ここでは初対面のはずなので何も気づかないふりを続けた。


「「おはようございます、萌香姉様」」

 そう言ってミアと同時に一礼したのはユリアだ。侍女役である萌香の呼び方が「姉様」であることにチラリとバルト達を見ると、それで構わないというように二人が小さく頷いた。

 それに萌香も目で了承を伝えると、立ち上がってミア達の側に向かう。


「おはようございます。ミアさん、ユリアさん。私の呼び方はそのままいくの?」

「ええ、もちろんですわ。めったに会えない遠い親戚ですもの。おかしくありませんよね?」

 すでに設定に従っている二人に萌香もふふっと笑みをこぼすと、ミア達も少しだけいたずらめいた微笑みを浮かべた。


「それにしても萌香姉様、普段と雰囲気が違いますわね」

 微かに首をかしげるユリアに、スザンナが「萌香さんは十五歳ですもの」と声をかけると、二人は瞬時に理解したのかにっこりと微笑んで頷いた。


 今の萌香は、病弱でほとんど家から出ることのなかったミア達の遠い親戚という設定だ。最近ようやく健康を取り戻したのでラピュータに来て、ミアの侍女を体験し、徐々に普通の生活に慣れさせていくという。

 あながち嘘でもない萌香の役どころは、やはりバルトの提案だそうだ。

 ありがたくはあるが、やはり少し不思議である。それでも昔は稀にあったことだと説明されれば(そんなものなのね)と素直に納得した。

 重要なのは与えられた役と仕事をしっかりこなすことだ。


 バルトが立ち上がると、ミア達の後ろにいる女性たちのそばに向かった。


「では家庭教師を紹介しよう。ユリア付きの臨時家庭教師、クラベ・メラニーさんだ」

 ユリアの後ろで、キリッとした表情で一礼する意外な人物――――メラニーに、萌香も礼を返す。

 シンプルで上品なドレスに身を包んだメラニーは、いつもよりもぐっと大人っぽい。

「はじめまして。クラベ・メラニーです。この一ヵ月は歴史や国語を中心にお教えすることになっています。短い間ですが、よろしくお願いしますね」

 にこやかではあるものの、教師らしい凛とした声に、萌香たちも声を揃えて「よろしくお願いします」と返した。


 ――わあ。お仕事モードのメラニーさん!


 教育系の仕事をしていると聞いていたけれど、まさかここで会えるとは思わなかった。この前会ったときに「また近いうちにね」と、いたずらっぽく微笑んでいた意味をようやく理解する。

 そんな萌香にメラニーは一瞬だけいたずらが成功した子供のような目をしたが、何事もなかったように穏やかな笑顔を浮かべた。


「そしてミア付きの臨時家庭教師はホンド・カリンさんだ。彼女はダンスを中心に、体を動かす授業を担当してくれる」

「ホンド・カリンです」


 短く名乗って一礼したカリンは、ピンと張った弓の弦を思わせる女性だ。女性にしてはかなり背が高く、萌香はこっそりと彼女が男装するところを思い浮かべた。


 ――うん、絶対かっこいい。


「エリ・モエカです。よろしくお願いします」

 丁寧に一礼した萌香にカリンが素早く確認するように目を走らせる。その様子が教師というより騎士のようだと感じ、萌香は心の中でふふっと笑った。

 アルバートに初めて会った頃、少し不良っぽい騎士の仮装をさせてみたいと考えたことを思い出したのだ。


「メラニー先生とカリン先生を中心に、ほかに刺繍や音楽の先生もが入ることになっているのよ。たくさん学んで頂戴ね」

 スザンヌが面白そうに、それでいて怠けることは許さないという意思を感じる声でそう言うと、ミアが満面の笑みを浮かべ、

「もちろんですわ、お母様」

 と言った。その言葉にメラニーの目が光る。


「学園に通っている時以上に学んでもらうから、覚悟していてね」

「「「はい、先生」」」

 三人同時に返事をし、萌香たちは小さくクスクスと笑った。


 ――ああ。なんか懐かしいな。


 当たり前だった日常がちらりと瞼をかすめる。

 萌香は一瞬だけ軽く目を伏せ、しっかりと侍女エリ・モエカの仮面をかぶりなおした。

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