73.メイドの仕事とコックのヘディ

 八月に入った。

 エムーアでは夏の長期休暇を利用して、友人間や親戚で泊まりに行ったり来たりすることが多いらしい。この日はクリステルの友人が集まるということで裏方は大忙しだ。とはいえ、やることは普段とそう変わらない。普段通り客間も丁寧に掃除をし、あらかじめ指示されている通り、泊まる客人の好みに合わせて花などを飾る。

 客が快適に過ごせるよう心を砕くのは手間はかかるが、萌香にとっては楽しい作業だ。特に今日は客人の一人がイナなので、その部屋は特に気合が入る。


 洗面台のタオルがピンクだったので、萌香はこっそり薔薇の形に折っておいた。これでイナには萌香がここにいたことが分かるはずだが、家事長には噴き出されてしまった。

「それは花?」

「はい。お母さ……じゃなかった。イナ様は薔薇がお好きなので、薔薇の形に折ってみました」

「ふぅむ、なるほど? 言われてみれば確かに薔薇ね。イナ様には喜ばれそうだわ。じゃあ、籠はそれじゃなくて、こっちの緑のがいいかもしれないわね」

「ありがとうございます。うん、すっごく素敵になりましたね!」

 家事長のヨハナはアラフォーくらいの一見神経質そうな女性だが、萌香のこういった工夫を面白がってくれるので楽しい。もちろんほかの部屋には余計なことはせず、こういった遊びが許される場所限定ではある。


「萌香、ここはもういいから台所を手伝ってきて」

「承知しました」

 ヨハナに指示され、萌香はざっと目で部屋の点検をしてから、台所に向かった。


 エムーアのメイドの仕事は家によって違う。大所帯になると掃除係や洗濯係、台所係などと言った感じで細かく仕事が分けられるが、意外なことに一般の上流家庭でも仕事は兼任されることが多いそうだ。ダン家は誰もがすべての仕事ができるようにと、コック以外あえて細分化がされていない。なので萌香は指示があればどこへでも飛んでいく。


 先週トムたちとランチに行った後、マリーを見舞いたいこと、その従姉妹の所で働くことは可能かという打診もしているが、まだ回答はなかった。この話をしたときクリステルの顔が一瞬「ちょうどいい」とばかりにパッと輝いた後、思案するように黙り込んだので可能性は五分五分ぐらいだろうか。


 九月からの萌香の派遣先は決定しているそうで、今調整中だと聞いている。その前に別の所に行くかもしれないらしいので、もしかしたらマリーを見舞えるのは年末の休暇の頃かもしれない。


 ――ジリジリしても仕方がないわ。


 こんなことなら絵梨花だと思われているうちに行動を起こしておけばと思わなくもないが、後の祭りだ。就職したいと希望したのは萌香なのだし、叶えてもらったからには全力で取り組む。

 仕事は楽しいし、ほとんどの人は親切だ。何人かは冷たいが、萌香はあまり気にしてなかった。特別待遇されているのだから仕方がないと思っているし、むしろ申し訳なく思っている。相手は同じ二十代の女性たちなのでできれば仲良くしたいが、あからさまに避けられるので今のところとりつく島がない。こういうことは急いでも仕方がないだろう。今は目の前のことを順に片付けていくだけだ。


 今週半ばにはラピュータに戻る予定だと聞いていたアルバートは、まだ戻っていないらしい。彼の出張は普段でも期間が長引くことも、次の現場にそのまま移動することも多いらしく、一人暮らしのアパートは無駄よねとクリステルが笑っていた。それでも突然帰ったり出かけたりする身としては、そのほうが気楽なのだろうとも。


 そのアルバートからは、萌香宛に毎日カードが届いていた。

 綺麗な絵と簡単に日々のことが書かれたカードは毎日チェストの上に増えていく。優しい色合いの絵だけでも飾る価値があり、毎日よくも内容に合うカードを見つけてくるものだと感心する。たぶん同じイラストレーターの作品だろう。萌香好みのイラストなので、画集があったら買ってしまうだろうと思うくらいだ。アルバートが帰ってきたら聞いてみようと脳内にメモをする。


『かえで亭(アルバードの滞在先?)の子どもたちが拾ってきた猫が五匹子どもを産んだらしい。今日会わせてくれたのだが、小さいな! 俺の手のひらに全員乗りそうだ』

 そう書かれたカードには、茶色の子猫たちが描かれていて身もだえした。

「うわぁ、可愛い……。いいなぁ、アルバートさん。私も会いたい」

 萌香は犬や猫が好きだが、母がアレルギーのためペットを飼ったことがない。


 ふと、部屋に猫がいる光景を思い浮かべる。

 子猫が元気に駆けまわったり高いところに登ったり、えさを食べたりじゃれたり。

 テレビで見たことのあるそれを想像するだけで、心の底から「いいなぁ」と思う。

「飼えないけどね」

 飼える身ではない。

 今の萌香はいつどうなるか分からない。

 ずっとダン家専属メイドであることを許されれば。もしくはエリカとしてイチジョーで暮らすことになれば可能かもしれないが――。

「それを決めるには先のことが未確定すぎて、何も見えないわ」


 自分はいずれ日本に帰ると思ってる。絶対帰ろうと。

 でも――。もしかしたら、一生ここで暮らすのかもしれない。


 仕事を始めたせいだろうか。萌香として扱われているせいだろうか。それは不思議と嫌ではないと思った。嫌ではないが、残してきた家族に無事を伝えられないのはやっぱり心苦しかった。

「私も随分、ここに馴染んだってことなんだろうなぁ……」


 ラピュータに来てから、驚くほど気持ちが楽になったのは確かだ。

 王宮で見えた不思議な道やぼんやりとした映像は今も時々見えていた。呼ばれているような声も時々する。それらが気のせいや幻ではないとなぜかわかる。不思議だが自然と受け入れられたのは、近くに懐かしいものを感じるせいだろうか。



「萌香、そっちの皮むきが終わったら、こっちを切っておくれ」

「はい」

 コックの声にハッと我に返った。

 考え事をしながらだったが、大量にあった芋の皮がほとんど剥けている。三人で分担していたはずなのにこっそりと萌香の分だけ増やされていたことには気づいていたが、(ま、いいか)とそのまま剥いてしまった。

 少し離れたところにいる押し付けてきたその二人の芋の籠を見るが、まだ半分も終わっていない。元々作業がのんびりしている上にコソコソおしゃべりをしているからだろう。だが今日のメニューはコロッケに似た芋料理なので、早く剥かないと間に合わない。

 コックもそれに気づいたらしく大仰にため息をつくと、

「あとは萌香にやらせるから、あんたたちは向こうを手伝ってきな」

 と二人を追い出してしまった。萌香の前を通るとき、俯きながらも二人がニヤーッと笑っているのが見えたので、「せいぜいこき使われなさい」と言ったところか。


「萌香。すまないけど、先に芋のほうを頼むよ」

「はいっ!」

 ――ヘディさん優しいんだけどなぁ。

 コックのヘディは口調がきつい年配女性なので、多分誤解されやすい。だが周りをよく見ているし無理なことは言わない、いい上司だ。

 そんなことを思いつつさっさと皮をむいていると、ヘディがボソッと

「あの子たちもバカだねぇ。気にしないでくださいよ」

 と言う。一瞬自分に言われたと思わず萌香は周囲を見るが、台所には萌香とヘディの二人だけだ。


「あの子たちはお嬢さんが気に食わないんだろうけどねぇ。勝ち目なんて万に一つもないのにさ」

 一秒も作業を休まず、まるで独り言のようなヘディの言葉に首をかしげると、彼女は一瞬萌香を見て片目をつむって見せた。

「お嬢さんは覚えてないでしょうけど、あたしは貴女が生まれた日をよーく覚えてますよ。昔はイチジョーにいましたからね。エリカお嬢様」

「まあ、そうなんですね」

 ここでエリカ(仮)が萌香という名で働いていることを教えられているのは執事と家事長だけのはずだが、彼女は元々エリカを知っていたらしい。


「そうなんですよ。イナお嬢様の若いころにも似てますが、亡くなったエマお嬢様にもよく似てますからすぐ気づきましたよ。お嬢様たちのいいところを合わせた美人さんだわ」

 そう言って笑うヘディは、イナの両親が生きていたころからイチジョーで学び、その後イチジョー家のコックとして長年勤めたそうだ。トムがラピュータに来る前までらしいので、エリカが四~五歳くらいまでといったところか。


「覚えてませんかね。お母様方が忙しいとき、お嬢様はよく台所に忍び込んであたしを手伝ってくれたんですよ。三歳のお誕生日に子供用の包丁をプレゼントして、初めて握らせたのもあたしです!」

 それがこんなに上達して、と涙をぬぐうマネをするヘディを見て、萌香はクスクス笑った。そんな幼児がキッチンをうろうろしていても邪魔だったろうに、いかにエリカが上手に手伝ったかを懐かしそうに話してくれる。

 彼女が言っているのは絵梨花のことだが、そこまで小さいころの記憶なんて萌香はもちろん絵梨花にもないだろう。そのせいか、昔なじみの小母おばさんの思い出話として素直に自分のこととのように聞くことが出来た。


 ――絵梨花と私の思い出は、似ているところもあるしね。


 はじめて二人きりになったせいか、口数が少ないと思っていたヘディのおしゃべりは留まることがない。だが手は常に動き続けているので、萌香も一生懸命働きながら話を聞いた。正直、彼女の話はめちゃくちゃ楽しい!


 ――で、結局勝ち目って何だったのかしら?


 と考えていると、ヘディはようやく話を最初に戻した。


「ここにお戻りになった時、アルバート様がすこぶる男前になってたでしょう。あの子たちってば、恥知らずにも彼を狙ってるんだと下品に言い合ってたんですよ」

「はあ、そうなんですね?」

 男前になったという評価は、アルバートに手を入れた萌香としては非常に嬉しい。

 だが彼女たちが彼を狙っているというのは嫌な感じがして萌香は眉を寄せた。ヘディの言い方や普段の彼女たちの態度から見て、とても純粋な恋心とは思えないからだ。それに少なくともアルバートは、仕事に手を抜く人間は嫌いだろうと思ったし、意地悪な女性も好まないと思う。もっともそれは萌香の希望かもしれないが……。


「エリカ様は覚えてないかもしれませんが、あたしはエリカ様とアルバート様がご結婚されると信じていたんですよ!」

「え……」

 クリステルのようなことを言うヘディをまじまじと見つめると、彼女は微苦笑する。

「お小さいころ、何度かニコル叔母様のところに遊びに行ったことを覚えてますか? ――ああ、すみません。記憶がないのでしたね」

 申し訳なさそうにしながらも、よほど話したかったのかヘディのおしゃべりは続いた。


 イナの上の妹ニコルに子どもがいなかった頃、年に一度エリカとトムはニコル達に休暇旅行に連れて行ってもらっていた。ヘディは二度それに同行したそうだ。

「どこでしたかね。一度、やっぱり御親戚と一緒だったアルバート様に会ってるんですよ。滞在先が一同じでね。エリカ様はすっかりアルバート様に懐いてらっしゃって、トム様がやきもちをやいてらしたんですよ」

 当時を思い出したのか、ヘディが楽しそうにクスクス笑う。

 小さいころのトムはエリカを構いすぎる癖があり、エリカはよく嫌がって泣いたり逃げたりしてたそうだ。そんな時エリカがアルバートにはべったり懐いてしまった為、トムとアルバートは取っ組み合いのけんかもしたという。


 ――お兄様に泣かされるエリカとか、喧嘩する二人とか……。想像がつかないわ。


 だが幼い三人を思い浮かべると、それはそれで微笑ましくて萌香はフフッと笑った。なんとなくアルバートは、絵梨花に「ついてくるなよ」なんて言いながら逃げてたような気がするのだ。なのに追い払いきれなくて結局面倒を見てた。そんな光景が自然と思い浮かぶ。


「なのにねぇ、エリカ様が他の方と婚約されたと聞いたときは驚きましたが、やっぱり間違いは正さないといけませんものね」

「間違い、ですか?」

「ええ、ええ。アルバート様とご婚約されるのでしょう? そうでしょうとも、そうでしょうとも。そうじゃなきゃいけませんよ」


 お二人が並んだ姿はやっぱり昔のままでしたよ、と今度は本気で泣かれ、萌香は慌てる。

 これはどう答えたものかとオロオロするが、今は萌香としてもエリカとしても答えようがない。とりあえずこの話は流しておこうと決めた。

「ヘディさん、サラダの準備をしましょう。私が作っても構いませんか?」

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