71.ファン・マリー(1)

 その日の午後は、萌香を迎えに来てくれたトムたちと共に、ラピュータに来て以来初めての散策を楽しんだ。

 水路を走る乗り合いバスに乗り、メラニーお気に入りのレストランに向かう。

「ガラス張りの窓から街が見下ろせるのよ。楽しみにしていて」

 萌香は高いところが苦手でも、それが室内なら大丈夫と聞いたメラニーが楽しそうに笑う。二人のデートの邪魔なんじゃないかなぁと思わなくもないが、

「あら。むしろ私と萌香さんのデートにトムが付いてきてるのよ? ここはしっかりご馳走くらいしてもらわないとね」

 とメラニーがうそぶき、トムも楽しそうに笑うので素直に甘えることにした。


「それで、最初の仕事がどこになるのかは、もう決まったの?」

 派遣という形になる萌香だが、メラニーの問いに「大体は」と答えた。

「なぜか候補から外れたお宅もあるんですけどね」

「まあ。トゥークならどこも安心でしょうに。どこが外されたの?」

「ユリアさんの所と、王太子殿下の所です」

 その二軒が真っ先に外されたことをクリステルから聞いて萌香も首をかしげたのだが、トムは「ああ」と頷く。

 メラニーと二人でトムに先を促すと、

「ロベルトは萌香、というかエリカに求婚しただろう。それに王太子殿下は十年前に妃を亡くされていて独身だからね」

 両方求婚してくる可能性が高いことを考えると、クリステルが真っ先に外すのは当然だろうと言われ、萌香は苦笑した。


「ロベルトさんは、まあ、置いておいて。王太子殿下は三十歳以上も年上ですよ」

 彼には娘が二人いるはずだが、どちらもアラサー。萌香よりも年上だ。

 そう考えたが、笑ったのは萌香だけだったので首をかしげる。それに対しトムはまじめな顔を見せた。

「もし、萌香が聖女であることを証明してしまったら、国民はおまえを次期王妃にと望むってことも考えられるんだよ」

「ええっ、それはさすがに嫌です」

 いつもなら黙り込むところだが、あまりにも想定外すぎて思わず本音が漏れた萌香に、トムはクスッと笑った。

「まあ、それもあって、アルは急いでお前に求婚したんだろうけどね」

「あ、そうなんですね!」

 ああ、なんだ。絵梨花のストーカーだけではなくて、政略の道具にされそうな萌香も助けてくれようとしたのか。

 急に目の前がパッと明るくなった気がして、心が軽くなった萌香はにっこりと微笑んだ。

「アルバートさん、いい人ですねぇ」


   ◆


 レストランは王宮から西に少し行ったところにある。大きな公園の中に六角形の塔があり、最上階が展望台とレストランになっている。一年ほど前にできたばかりの人気スポットなのだそうだ。

 最上階と言っても十二階なのだが、公園の中にあることもありかなり眺めがよい。メラニーが予約してくれたのは、王宮方面が見渡せる個室だった。

「とても素敵ですね」

 目の前に広がる眺望に感嘆し、運ばれる魚料理に舌鼓を打つ。

 エムーアは島国のためか、魚料理が圧倒的に多い。肉が出ても大抵チキンだ。こちらに来てから牛肉は一度も食べていない。ないわけではないらしいが、東の地方の特産らしく、イチジョーを含むロデアではめったに見ないものだったのだ。ラピュータでは各地の特産品が流通しているので牛肉などの肉料理もあるらしい。日によって料理は一種類のみの日替わりランチな分、お値段もリーズナブルなのが人気の理由の一つでもあるそうだ。


「今度は他のお料理も食べてみたいですね。ここは一人でも入れる店なのでしょうか?」

 萌香がそう問うと、メラニーが少し困った顔になり、トムは首を振った。

「いや。男なら一人でも問題ないけど、女性はエスコートが必要だね」

「やっぱりそうですか。残念」

 値段はカジュアルだが、雰囲気的にそうではないかと薄々感じていたので、あっさりと納得する。この世界は地方によっても微妙に変わるが、基本「食事」となると女性が一人で入れる店が少ない。マーケットにあるカフェのようなところでの軽食なら問題ないが、いわゆる食事となると身分のある人と二人以上、もしくは男性に連れてきてもらう形になるのだ。けっして男尊女卑の文化ではないので最初知った時は不思議だったが、かいがいしく萌香やメラニーの世話を焼くトムを見ていると、単純に習慣の問題なのかもしれない。

 そんなことを考えていると、

「一人で食事してるときに、変な男に言い寄られても面倒でしょう?」

 とメラニーに言われ、ナンパ対策か! と驚き、吹き出してしまった。

 確かに身分の高い人や男性が一緒なら、変な輩は近寄れないだろう。


 婚約者がいる立場の女性は一人で食事をしない。それがここでの当たり前。

 出逢いのきっかけの一つがナンパになるなら、妙齢の女性が一人で食事をしているイコール、彼氏募集なわけだ。メラニーの話では女性から男性に声をかける場合も少なくないから、婚約者のいる男性もあまり一人で食事はしないらしい。

 ふと、いつもならこの顔ぶれにいるはずのアルバートの顔を思い浮かべると、それに気づいたのかメラニーが「アルはよく声をかけられてたみたいよ」と言い、トムに止められた。

「そんな感じはしますね。年上の女性が好みなんでしたよね」

 手帳で絵梨花も書いていたが、最初にトムと話していた時、たしか彼もそう言ってたはずだ。

 萌香があっさり頷いたことで、なぜかトムたちが当てが外れたような奇妙な表情かおをしていたが、萌香は気にせず付け合わせ野菜の最後の一口を口に入れた。

 ――うん、塩加減が絶妙で美味しい。


「日本だと一人で食事もしてたの?」

「そうですね、私は一人で行動するのは平気でしたし、大抵のお店では静かに食べられましたよ」

 一人焼肉は面倒だから行こうとは思わなかったが、ファストフードやファミレス、牛丼屋あたりでも一人で入るのにためらいはない。もっともそんな贅沢ができるようになったのは、最近のことだったが。

 せっかく元気になった父や母が元気に過ごしていればいいと、ふと日本に思いをはせる。アルバートと初めて会った日以来、蜃気楼を見ることはできないでいた。


 ――あの樹よりも高いところにいるんだし、また見えないかな。


 そう考えた瞬間樹から落ちたことも思い出し、ブルッと震えた。あの時アルバートがいなかったらと考えると背筋が冷たくなる。


 ――あの、地を這うような声で叱られるのも怖かったけど。まあ、初対面で泣きわめいて迷惑をかけたわよねぇ。そういえば、こっちで初めて萌香と呼んでくれたのもアルバートさんだっけ。


 香りのよいお茶を飲みながら、ほぉっと息を吐いた。


「アルは今出張だっけ? 相変わらず忙しいみたいだな」

 トムの言葉に「そうみたいですね」と答える。

 アルバートは今バーディア方面に行っているはずだ。

「萌香さんに連絡はあるの?」

 メラニーが小首をかしげて可愛らしく萌香を見る。綺麗に隠しているようだが、相変わらず何か面白がっていそうだ。

「火曜に一度電話がありました」

「あら、やっぱり」

「なので、特に用がないなら電話があっても呼び出さないでほしいと、本宅のほうにはお願いしました」


 離れには電話機がない。なので外から電話があると、本宅と呼ばれるクリステルたちの居住空間にある電話室まで行かなくてはいけないのだ。

 電話と言っても、萌香の知るそれとはずいぶん異なる代物だ。

 一畳程度の小部屋に公衆電話を一回り大きくしたようなものがあり、そこからコードでつながっているコップのようなものを耳に当てて相手の声を聴く。話すときは電話機のマイク部分の向かって話すのだが、電話室にはベンチがあって、座ると高さがマイクの位置に来るように自動的に調整されるのが少しびっくりだった。


 ――あれは、モフモフのお化けが出るアニメ映画を思い出すわよね。


 イチジョーにも電話機はあるが、事務室に隣接されているし必要もなかったので一度も入ったことがない。だが絵梨花の改造だったのか、見た目はクラシックでおしゃれな電話という感じで、萌香も知っているのに近い受話器だった。


 なので生まれて初めて使う電話機の相手がアルバートだったわけだが、電話室もびっくりだし、耳元で聞こえるあの美声も心臓に悪い。新しい生活が始まった萌香を心配してかけてくれたようだが、とにかくクタクタだったし、わざわざ本宅の「お坊ちゃん」とのおしゃべりのために「使用人」が来るのもどうかと思う。

 そんなことを考え、用事がないなら電話するなということをオブラートに包んでやんわり伝え、本宅の家事長さんとクリステルにもお願いしておいたのだ。その後二回呼ばれたが、アルバートに特に用事らしい用事がないようだったので一度も話していない。

 メラニーたちとの連絡は、伝言を仕事としているメッセンジャーに依頼して手紙のやり取りをするのだが、こちらのほうが萌香にははるかに気楽だ。

 ちなみにイナとは、業務中にクリステルに呼ばれ、一日一回業務連絡のような感じで電話で話すが、派遣が決まったら手紙になる予定だ。


「あら、まあ」

 メラニーはクスクス笑っているが、トムは少し眉を寄せた。

「少しは話してあげたらどうだい?」

「んー、電話、苦手なんですよ」

 正確には、アルバートの声が耳元で聞こえることが、かもしれないが。

 あの声は本気で心臓に悪い。

 ――絵梨花の言う毒はアルバートさんの声のことかしら?

 ぐしゃぐしゃと消された部分はそこそこ文字数があったようだが、ペンで書かれている為、下の文字を読むことは無理だろう。


「日本には電話みたいなものはないのかい?」

「ありますよ。これもそうですし」

 カバンの中からスマホを取り出して電源を入れると、トムたちは「これが?」と驚いた。写真や地図が見られるタブレットの変型判だと思っていたのだろう。


「電波の届くことが条件ですけど。ここがカメラになってるので、相手の顔を見ながら話すこともできますし、文字で会話もできます」

 エムーアで使われているタブレットとは大きさも機能も違うが、トムがまじまじと見ながら、

「前、エリカが言ってたのはこれか‥‥‥?」

 というので萌香は首を傾げた。最近萌香のことは名前で呼んでくれるため、トムの言うエリカは絵梨花のことだろう。

「これで本も読める?」

「そうですね」

「ふむ」


 トムが何か考え込んでしまった為、メラニーと萌香は彼をほっとくことにし、前に言っていたもう一度見たいという写真を探すことにした。

 萌香が写真フォルダを出して差し出すとメラニーが次々と写真を流していき、「あ、やっぱり」と言って、一枚の写真でその手を止めた。


「ねえ、萌香さん。彼女なんだけど」

 メラニーが指を触れないよう、萌香の隣に写っている一人の女の子を指した。

「この方、髪の色は違うけど、ファン・マリーでしょう?」

「えっ?」

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