59.これも一種のプロポーズ?
イラスト集を何冊か手にした萌香が図書室を出ると、中庭のほうから声が聞こえた。
「…………そうではないと説明したでしょう」
「いいのよ別に。理由なんてどうだって」
苦々しい声はアルバート、楽しそうな笑い声はクリステルだ。
親子二人で星空観賞だろうか?
そっとのぞき込んでみると、萌香はクリステルに目ざとく見つけられてしまった。
「あらぁ、エリカじゃない。どうしたの? 眠れないの?」
クリステルの向こうで舌打ちしそうなアルバートに首をすくめつつ、萌香は胸に抱いてた本をクリステルに見せる。
「いえ、図書室で本を選んで、部屋に戻るところなんです」
「あら、 フィーレンスの風景画ね。絵に興味があるの?」
「はい、綺麗だったので」
フィーレンスは画集に必ずある名字だ。
「そうね。風景や歴史が分かるから楽しいわよね?」
「ええ……」
何か含むような声に首をかしげると、こちらにいらっしゃいなと手招きされた。その後ろでアルバートが怖い顔をしているので逃げようかと思ったが、強引にクリステルの横に座らせられてしまう。アルバートのほうが去るのではないかと思ったのだが、彼は一瞬躊躇した様子を見せた後、諦めたように座りなおした。
――お母さんが余計なこと言わないか見張るのかな?
ふとそんなことを考え、心の中で彼にエールを送る。
日本では職場も含め、周りに「お母さん」が多かったため、割とあるあるな光景だと思ったのだ。
「今日は大変だったわね」
小首をかしげてそう言うクリステルはコケティッシュで、同性の萌香でさえ一瞬ドキリとしてしまう。十代の女の子みたいにキラキラだったり、アラフィフらしい落ち着いた雰囲気だったりと色々な顔を持っているクリステルに、実のところ萌香は興味津々だった。
完全に二人きりだったら、おしゃべりが楽しいんじゃないだろうかという気がするのだが、今は彼女の息子が後ろでにらみを利かせている。なんで彼は不機嫌そうなのかしら? などと考えていると、
「うちの子、かっこよかった?」
目をキラキラさせるクリステルに、萌香は思わず吹き出しそうになった。
「なっ、母う」
「アルバートは黙ってなさいね。なんなら部屋に戻ってて」
アルバートを睨め付けるクリステルに、萌香はにっこり笑った。
「はい、たくさんの女の子たちがアルバートさんに秋波を送ってて、私も鼻が高かったです」
トムと違ってアルバートはフリーの独身男性だ。二人並んだ姿はそれはもうかっこよかった。
「……でも、こんなことになって本当に申し訳なくて……」
改めてお詫びしようとする萌香に、クリステルは手を振り、「あらやだ、いいのよ」と豪快に笑った。
「むしろ、こんな子でよければ存分に利用しておきなさい」
「利用だなんてそんな」
だが、まだ全然安心できないんだしと言うクリステルに、やっぱりそうかと思う。思うが、さすがに利用はないのではないだろうか。
「いいのよ。もともと私は、エリカが生まれたときから、この子と結婚させようと思ってたんだから」
「え?」「はっ?」
鳩マメ状態の萌香たちに、クリステルはいたずらっ子のような笑顔を見せた。
「本当よ? エリカが十二歳くらいになったら婚約の話を進めようって決めてたの。なのにイナってば、まさか八歳で婚約させてしまうなんて。あれはもう、本当に青天の霹靂だったんだから!」
「そ、そうだったんですね……?」
アルバートのイヤそうな顔をちらりと見て、クリステルの顔に目を戻す。
「そうよ。私はイナの
マイヤ領でホテルを複数経営しているクロス家からぜひにと乞われ、特に問題なくとんとん拍子で婚約が調ったのだという。クロス家はイナの妹ニコルの夫の親戚だったことも大きいだろう。早めに結婚を決めたのは、それが絵梨花の幸せだと信じていたからだ。
だが絵梨花とアルバートのことは、クリステルの中では決定事項だったらしい。だがそのことを誰にも言ってなかったため、声がかかることもなかった。
大事なことを本人に言い忘れるのは血筋なのだろうか。
――ええっと、これはいっそ、笑ったほうがいいのかしら……。
クリステルの後ろで、手のひらで顔を覆ってしまったアルバートの表情は見えないが、なんとなく呆れているような感じがした。
「フリッツもいい男だけど、うちのだって悪くないわよ。エリカのおかげで見た目もよくなったし。いい機会だから本当に婚約して、結婚準備をしちゃいましょうよ」
「母上!」
「黙りなさい、アルバート。私はエリカと話してるのよ」
怒ったようなアルバートと、それを簡単にいなすクリステル。萌香はその様子を見て、わずかに目を伏せた。
もしクリステルの希望通りになっていたら、自分はここにいなかっただろうとぼんやり思う。
もし萌香の想像通りなら、二人の間に何も問題はなかっただろう。何よりも幸せな関係だったはずだ。そしたら、こんな事態も起こらなかったのでは……。そんなことを考えてしまうのだ。
「ね、エリカ」
突然話を振られ、ハッとした萌香は「すみません」と頭を下げた。
自分は絵梨花ではない。だからここで何も答えることなどできない。
「私は……いずれ消えます」
キッパリ言った萌香の頭の中で、イナが二度と消えるなんて言わないでと叫んでいる。でも実際絵梨花は消えたままなのだ。萌香がいくらふりをしても、それは代役でしかない。
「記憶が戻ったら、今のあなたが消えてしまうかもしれないことは聞いたわ。でもどちらのエリカも少し雰囲気が違うくらいよ」
気遣うようなクリステルに、ゆっくり首を振る。
実際、自分が絵梨花としての記憶を失くしている可能性もまだ捨てきれてはいない。だがその場合であっても、絵梨花が戻れば萌香が消えるのは間違いないのだ。だからこの話を聞くべきなのは絵梨花であって、萌香ではない。
「私は、絵梨花は別にいる。そう思うんです」
「でも私は、あなたがエリカだってわかるんだけど」
クリステルは小首を傾げる。
「生まれたときから知ってるのよ。間違えないわ」
萌香が悲しげに微笑むと、アルバートが「萌香」と呼んだ。
「はい」
「そのことなんだけどな……」
チラリとクリステルを見たアルバートは、ガシガシッと頭をかいて大きく息をつく。
「まだ想像でしかないから言うつもりはなかったんだが、一応俺の仮説を話しておくよ。多分その本を選んだのも偶然ではないだろうから」
いったい何の話をしてるのだろうと萌香が首をかしげると、アルバートは安心させるように、ふっと表情を緩めた。
「萌香の人格は、エリカのもう一つの人格や、記憶を失った影響で生まれたものとも考えられるが、俺にはもう一つ考えついたことがあるんだ。荒唐無稽ではあるが、おまえの発言から無視できない仮説が」
発言から? 何を言っただろうか?
「エリカはアウトランダーではない。そのはずだ」
「はい」
「だがエリカは、萌香というアウトランダーの記憶を持って生まれてきたんじゃないかと考えている。だから、昨日も蜃気楼を見て具体的な名前が出てきたんじゃないか。それに発想が変わってるのも、その記憶のせいなんじゃないかって」
彼も萌香が死んで、絵梨花として生まれたというのか。
一番否定したいことに曖昧に微笑むと、アルバートは萌香の持っている本を見た。
「おまえが持ってるその本。その絵を描いた初代のフィーレンスはアウトランダーだ」
「そうなんですか」
気のない返事にアルバートが苦笑する。
「ああ。正確には外から来たアウトランダーではなく、アウトランダーの記憶を持って生まれてきたと言われている。外の世界では、ネーデルラントの生まれだと」
ネーデルラント……? 聞いたことがあるけど、どこだっけ。
聞いたことがあるということは、やはりここは地球でいいのだろうか。
「でも、萌香と絵梨花は、同じ顔なんですよ。生まれ変わりでそんなことありますか?」
「あるかもしれないじゃないか」
大したことじゃないとばかりにあっさり頷かれ、複雑な気持ちになる。その表情に気づいたのか、アルバートは少し不思議そうな顔をした。
「美しく生まれたんだから、むしろいいことなんじゃないか?」
「…………へっ?」
――今、めちゃくちゃさらっと何を言いました?
ぼぼっと頬が熱くなるが、アルバートがあまりにも平然としているので、恥ずかしがることのほうが余計に恥ずかしいような気になってしまう。
絵梨花は、仕草やファッションで努力したことが分かる雰囲気美人だと思っていたが、もしやエムーアの美的基準が日本と少しずれてるのだろうか。
まさか、萌香でさえ多少美人に見えてる?
絵梨花と同じ顔だから、あばたもえくぼ的なやつ?
それとも彼は相当の女たらし? やっぱりそうなのかな。じゃなきゃあんな事、普通さらっと言えないよね? しかもあの声で!
「おまえ、段々失礼なことを考えてないか?」
「え、やだそんな、まさか」
ごまかすように萌香がへにゃっと笑って見せると、アルバートは一瞬吹きだすのを我慢するかのように顔をそむけた。
その様子を何か考えながら見ていたクリステルは、一瞬空を見据え、大きく頷いた。
「わかったわ」
クリステルは萌香をじっと見て、にっこり微笑んだ。
「エリカ、というか、今のあなたは萌香で、あなたとは別にエリカという女の子がいると思ってるのよね。エリカが二人いるって」
「はい」
――すごい、ちゃんと言葉通りに受け止めてくれている。
「アルの説が正しい可能性もあるとして。でも、萌香の説があってた場合はよ? 事故のことも、ほぼ即時聞いてた私としては、それにはまったく同意しにくいんだけど。それでも万が一、もう一人のエリカがいて、そのエリカがここに戻ってきたとき、萌香は消えると思っているのね? というより、二人になったら自分は消えようと思ってる?」
はじめてそのことを具体的に尋ねられ、萌香は深く頷いた。
「身元のわからない人間が、ここにいる訳にはいきません」
「別人だと考える理由はあるのね?」
「まだはっきりしてませんけど」
萌香はポケットをそっと押さえる。真剣なクリステルの目に、自分が密入国者として捕まることも覚悟した。
それでもいいと――思った。
「そう……。じゃあ、詳しいことはおいおい聞くとして。万が一、エリカが二人になったら、あなたは私の子になればいいわ」
「はっ?」
思わず素っ頓狂な声を上げ、萌香は慌てて手で口元を押さえる。なぜそんな発言になるのか、まるで理解ができない。
「だから、もし帰るところがなかったら、私が萌香をもらうと言ってるの。私はあなたがほしいから」
え、これプロポーズですか?
めちゃくちゃ熱烈な申し出に、萌香は目を真ん丸にしたまま硬直した。熱くなった頬を手のひらで押さえる。
「母上、一体何を」
「お黙り、アルバート。万が一の時、この子の身元は私が引き受けると言っているのよ。文句なんて言わせません」
「クリステルさん……」
「うん、決まり。そうしましょ」
私は萌香を気に入ってるから安心しなさいと笑ったクリステルは、満足そうに一人納得し、部屋へと戻っていった。
その優美な背中を、二人唖然として見送る。
「なんだか、プロポーズみたいでしたね……」
「ああ。一応、念のために言っておくが、俺の父は生きてるからな?」
「はあ……」
なぜくぎを刺すようなことを?
そう考え萌香が首をかしげると、アルバートはなぜか胡乱げな表情で萌香を見ていた。
「なぜそこでおまえがポーっとなるのか、俺には全く理解できないのだが」
「ああ。えっと、なんだか熱烈さに気圧されてしまったもので。……まるで嵐のようなお母さまですね」
「ん、まあ、そうだな……」
アルバートは少し呆れたように嘆息した。熱烈な申し出なら、萌香が何でも頷くなどと思っているのだろうか?
「だけどな、前のエリカもあんな感じだったぞ」
「ええっ」
「末の妹ってものは、どこもあんなんじゃないのか」
「いえ、それはどうなのでしょうか」
さすがに人によると思うが。
「それにしても、おまえの人たらし能力も相当だな」
「なんですかそれ? むしろアルバートさんのほうが……!」
「俺が何?」
思わず女たらしはお母さん譲りですかと口走りそうになった萌香は、慌てて口をつぐむ。しかも色気はお母さんのほうが圧倒的勝利などとは、さすがに本人を前に言えるはずもない。
「いえ、なんでもないです」
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