45.悪役令嬢?

 トムの前での絵梨花は、萌香が思っていたのとはずいぶん印象が違うようだ。

 トムの話を聞くと、絵梨花は兄を大事にしてはいたようだが、末っ子というか、家族のお姫様と言おうか、兄は自分の言うことを聞いてくれる人扱いだったように感じる。そのせいか、トムには萌香の反応が一々新鮮なようで、

「アル、どうしよう……。エリカが可愛くなってる……」

「だからそう言ったじゃないか」

 そんな二人の会話に、萌香は苦笑をこぼさずにはいられない。

 

 萌香が普通に話していることでさえ可愛く思えるなら、普段の絵梨花はいったい兄たちをどのように扱っていたのだろう。想像するとおかしいやら不憫やら。それでも、彼女はこの二人には甘えていたのかな? と考えると、絵梨花という存在に血が通ったような印象が強くなった。

 今までトレースをしていた架空の存在が、実在の人物になった。そんな感じだ。


 だが婚約解消の話を聞いたときの話を聞いたときは、萌香は眉根を寄せ考え込んでしまった。彼らがサラッと流した単語が気になったのだ。

「悪役令嬢。絵梨花はそう言ったんですね?」

「あ、ああ」


 元婚約者に他に好きな人が出来た。

 そのこと自体は何とも思わなかった。多少他人事ではない気がしたが、絵梨花のほうは元々婚約者を異性として愛していたわけではないようで、大好きな人同士が結ばれることを望んだという点がとても腑に落ちたからだ。

 萌香はデボラという女性を知らない。

 だが話を聞く限り、彼女はとても好ましい女性に思えたし、兄としか思えない相手と結ばれてくれるなら何よりだと素直に思えるのである。二人のキューピットになったエピソードに(それは、私でもそうしたかもしれない)と思ったのだ。


 ただ、悪役令嬢とは……。


 絵梨花はそれを、心優しい真のヒロインに意地悪をして、身を亡ぼす女性だと説明したという。死刑や国外追放という単語も出たと。

 だが現在のエムーアに死刑制度はないという。ほかの国がないので、国の外という発想自体がないとも。

 アルバートは古い文献か小説から得た発想だろうと言うが、萌香がここに来てから読んだ流行りのロマンス小説にはない設定だと思った。「悪役」という表現に違和感があるのだ。ただ、まだヒストリカルロマンスやいわゆる大人の恋愛的な小説は読んでないので、そっちにあるのかもしれないが。


 ――まあ、そのせいで? アルバートさんの前でとんでもないことをしちゃったわけだし。


 あやうく誘惑ととられかねない自分の行動を萌香は思い出し、シッシッとそれを遠くへ追いやる。思い出すと顔が熱くなってしまうのだ。


「エリカは悪役令嬢が何なのかを覚えているのかい?」

「いえ……」

 トムの問いかけに萌香は首を振る。

 萌香が読んだことのある悪役令嬢の出てくる小説は、異世界転生のラブコメディだ。乙女ゲームと同じ舞台設定の世界に転生してしまったヒロインが、自分が悪役令嬢の立場だと気づき、最悪の結末を避けるために奮闘する話を何冊か読んだことがある。ただ絵梨花が言っていたものがこれと同じかどうかは分からない。だが……


「もう一人のわたくし……」


 その単語が頭の中をぐるぐるする。

 絵梨花イコール萌香の記憶を持つ自分なら? でもそうすると萌香は死んだことになってしまうし、同じ顔だということに納得がいかない。どうせ別の記憶があるというのなら、物語なりゲームの世界でもいいから、未来さきの知識があるほうが楽だっただろうにとも思う。


「萌香?」

 物思いに沈んだ萌香はアルバートの呼びかけに意識が浮上し、数回瞬きをした。

「あ、ごめんなさい。考え事をしてて」

「萌香って?」

 アルバートの呼びかけに素直に答えた萌香を見て、トムが首を傾げた。

「ああ。今のエリカは萌香って役らしいぞ」

「役じゃないですよ」

 少し唇を尖らせ、萌香はアルバートの言葉を否定した。

 それでも散々自分は恵里萌香だと訴えたが誰も聞き入れなかった中、演じていると思われたにせよ、萌香を萌香と呼んだのはアルバートだけだ。


「アルバートさんは、萌香を役だと思ったんですか?」

「あー、そのあたりは詳しく聞いてみたいと思ってたんだよな」

「どういうことだ、アル?」

「エリカは樹に登った時、木登りが得意な男の役になりきったと言った」

「はい、そうですね」

 それは事実なので素直にうなずく。

「蜃気楼を見て混乱していた時は、自分は萌香だと言った。だがエリカはエリカだと、俺は思ったんだ。お前は? トム」

「そうだな。俺もエリカはエリカだと思う」

 確信を持っているようなトムの言葉に、萌香は少しだけがっかりした。だが、ほんの少しだけホッとした自分もいて、そのことに少しだけ動揺する。

 トムの言葉にアルバートは「だよな」と頷いた。


「エリカは、イチジョー・エリカという役を演じてきた節があるから、素直な自分を萌香という役、というか人格を作り上げたんじゃないか。多重人格者は時折現れる。実際に一人会ったことがあるが、名前も仕草も別人だった。だが今もそれが、本当なのか演技だったのか判別がつかないんだ」

「多重人格ですか」

 アルバートの話に小説や漫画のようだと思った萌香は、今まさに自分の状況が小説や漫画のようじゃないかと思って、こっそりため息をついた。

 部屋で見つけた手紙の意味も、もしかしたらそれで説明がつくのだろうか、と。


 そこでふと、初めてここで目覚めたときの出来事が脳裏を駆け抜けた。

『そんなに絵梨花であることが辛いと言うのですか!』

 イナの言葉がずっと引っかかっていた。何か違和感があるのだ。


「――あの、エリカを演じるって、どういう意味なのでしょう?」

 継承権がないとはいえ、そんな王族とも対等に渡り合えるイチジョー家のお嬢様。

 ここで萌香が気が付いてから一月半が立っている。怪我と高熱のせいで甘やかされたのかもしれないが、トムやシモンの様子から、イナの態度は普段通りだと考えられた。

 それだけに単純にお嬢様だという、その立場がつらいということだけではないように思えたのだ。


「ああ、エリカはエリカでも、イチジョー・エリカだからなぁ」

 トムが困ったように笑う。


 ――どういう意味ですか?

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