31.婚約解消⁈②(アルバート視点)

 だがエリカは、そんな周りの反応などお構いなしだ。彼女がもう一口茶を飲む姿は非常に優雅で、そこだけまるで王宮の茶会といった雰囲気である。

 アルバートはむせ続けながら、(一体全体この女は何を考えているんだ?)と思わずにはいられない。――フリッツに何を言え、だと?


「性悪ってエリカ、おまえ、何をしたんだ!」

 トムがはくはくと口を開け閉めした後に絞り出すようにそう言うと、エリカは首を傾げ「まだ何も」とシレッと答える。

 まだということは、何か性悪なことをするつもりだったのか?


「はあ? まだ何もって……。何もしてないのに、わざわざ自分を悪者にしようとしたのか?」

「だって、それが一番手っ取り早かったんですもの。せめて半年前、できればデボラさんが在学中でしたら、色々準備ができてよかったのに」

 みんなの前であんな嫌がらせやこんな嫌がらせをして見せることができたのよ? と言うエリカに、アルバートは正直なところ全くついていけず、(俺、もう帰ってもいいかな?)と考え始めていた。


「――おまえ、そんなにフリッツとの結婚が嫌だったのか?」

 泣きそうな顔でトムがエリカの肩をつかむが、自分を悪役にしてまで婚約を辞めたいなど、それしか理由が考えられないだろう。アルバートも同じことを考えた。

 エリカはそれほどまでに、この結婚が嫌だったのか? だが、それならそれでほかにいくらでも方法はあっただろう。実際にはかなり難しかったのは分かる。だが、それほどまでに自らの評判を落とす必要はどこにもないはずだ。悪い噂が立てば、それまでの高い評価がかえってアダとなり彼女の評価は地に落ちる。二度と外に出られないほどに、だ。それが彼女に分からないはずはない。


 だがエリカは

「お兄様は、わたくしと結婚したいと思いますか?」

 と、不思議な質問をした。

「おまえは俺の妹だぞ?」

 それ以前の問題だろうとトムが眉をひそめると、エリカはそうですわよねと、大きく頷いた。

「わたくしにとって、フリッツもアルも兄同然なのです。だから愛する方を見つけた兄の幸せを願い、そのお手伝いをしたいと思うのは当然ではありませんか?」


 さらりとアルバートも兄の一人に入れられたことに思わず吹きかけ、咳払いをしてごまかす。慕われていたとはついぞ知らなかったなと、皮肉な笑みを浮かべたのに気付かれたのかエリカに軽く睨まれたので、アルバートはウインクを一つ返しておいた。


「――とにかく。わたくしが、善良なデボラに嫌がらせをして、傷ついたデボラをフリッツが慰め励ますの。そして惹かれ合った二人が結ばれるのよ。間違いなく皆はそれで正解だと納得するわ」

 まるで素晴らしい提案だと言わんばかりのエリカに、頭を抱えたのはアルバートだけではないはずだ。

 確かに今までも、エリカは変わった発言をすることはあった。何を言っているのか理解できなかったことも多い。だがそれは主に彼女の知識量や発想、賢さに周りがついていけなかったことが大きいのだ。それが今の発言はどうだ? 彼女の中身が何かに乗っ取られたかのような荒唐無稽さではないか。


 トムがまじまじとエリカを見ているのは、これは本当に妹なのかと疑っているのだろう。何度も聞かされたことなのかデボラは涙を浮かべているし、フリッツは苦渋の表情を浮かべている。

「だがエリカは彼女に嫌がらせなどしてないじゃないか。悪いのは俺だ。君がいながら、どうしてもデボラに惹かれる気持ちを止めることが出来なかった……。本当に申し訳ないと思っている」

「やめて。デボラは素敵な女性よ。フリッツってば見る目があるわと、わたくしとしては、むしろあなたを褒めたいくらいなのだけど?」

 フリッツの謝罪にキョトンとしたエリカの顔は、大人びた表情とは一転し、急に年相応に見える。彼女は本心で言ってるのだろう。フリッツに見る目があるのは同意だが、それを心変わりした自分の婚約者に言うのはどうなのだ?


「エリカ、私たちの幸せを願ってくれたのはとても嬉しいわ。ありがとう。私もまさか、こんなに急に彼を愛してしまうなんて夢にも思わなかったの。いけないことだと分かってる……。ごめんなさい。悪いのは私たちなのだから、罰を受けるのは私たちの方なのよ。あなたが罪をかぶるのはおかしいの」

 必死で訴えるデボラは、エリカとフリッツへの気持ちに挟まれて苦しんだのだろう。今もフリッツへの愛情とエリカへの愛情、そしてそれ以上の罪悪感で押しつぶされそうなのがアルバートでさえ理解できる。この二人を見たら、婚約していたとはいえ、兄のようにしか思えない男なら身を引くこともやぶさかではないのだろう。


 エリカは大きくため息をついて、いかにも残念だと言った様子でやれやれと言ったように大きく首を振った。

「終始二人がこう言うので、わたくしの悪役令嬢計画は却下されたのですけどね」

「悪役れい……? なんだそれ?」

 トムが思わず突っ込むのも無理はないだろう。アルバートは、どうせ昔の文献か小説にでも出てきたことの応用だろうと肩をすくめる。彼女の発想はたいてい別次元だったではないか。そう考えると今回のことも、ある意味いつものことかと思えてくるから不思議なものだ。

「悪役令嬢ですわ、お兄様。心優しい真のヒロインに意地悪をして、身を亡ぼす女性のことです。かといって死刑は嫌ですし、国外追放も国外がないのでできませんから、結果的に隠遁生活になるじゃないですか。とことん悪い評価で地に落ちたわたくしは、大叔母様のお屋敷でひっそりと暮らす、という計画だったんですけどね」


 不穏な単語も含め、エリカが何を言っているのかはさっぱりわからないが、相手がフリッツだという以前に、結婚そのものが嫌だったということのようだ。


「エリカ。おまえは今も、イチジョー・エリカであることが嫌なのか? アウトランダーを夢見ていたのは子どもの頃だけだっただろう? そうだよな?」

 ここにいる人間だけは、エリカの素の顔を知っている。

 たゆまぬ努力で優秀な成績を修め、国一番の淑女であることを自分に課しているエリカが、本当は自分に違和感を持ち続けているということを。幼いころから自分は自分ではないと訴え続け、おとぎ話の世界を夢見ていたことを知っている。

 だがエリカが生まれた日のことをトムはよく覚えていたし、アウトランダーはある日外部から現れるもの、もしくは消えるものだとアルバートは知っているのだ。現実に、彼女はアウトランダーではない。


 アルバートは、トムの悲痛な声を聞くエリカを見つめた。彼にとってのエリカは、何を考えているかよく分からない得体のしれない女の子ではあるが、その努力は買っていたし、いたずらに人を困らせる人間でないことくらいは分かっていた。

 エリカは兄の顔を見つめ一瞬だけ泣きそうな顔をしたように見えたが、次の瞬間呆れたように笑った。瞬きほどの変化だった。


「んもう、お兄様にはお口を閉じていてと言ったじゃないですか。わたくしはもう大人ですよ? 計画はとん挫したのでもうしません。その代わり」

「まだあるのか⁈」

 悲鳴のような声を上げるトムを置いてエリカが席に戻ると、ニコッと自信満々に笑顔を見せるのでアルバートは心底、これが妹でなくてよかったなと安堵する。


「お父様たちには、婚約解消の話は通しておきましたわ」


 部屋の中は、再び大混乱だった。 

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