第51話 マクスウェルの悪魔は部屋にいる
士官学校の寮の前を、大きなリュックサックを背負い、さらに荷物を両手に持って、ヨロヨロと歩いている少女が見えた。マリーン・スパイトフルだ。
「あ、マリーンちゃんお帰りー」
「その声は未冬さんですか」
マリーンは目を細め、汗だくでぜいぜいと喘いでいる。見ると、メガネがずり落ちている。なんだか昔のコントみたいだ。
「ちょっと動かないでね。メガネ直してあげるよ」
やっとマリーンの目の焦点が合った。
「助かりました。ずっと、なんだか前が見えにくいな、と思っていたんです」
「何なのかな、その大量の荷物は」
マリーンは手元を見て、ほわっと笑った。
「ミハルさんに貸してあげようと思って、実家から持って来た本です。未冬さんも読みませんか」
ということは、少年たちの愛の物語か。
「じゃあ、後でじっくりと堪能させていただこうかな。うふ」
「ところで未冬さん。その男の方は」
未冬の後ろに立つ少年を見る。
「ウェルス・グリフォンくん。元海賊で、いまは技術開発部所属なんだって」
「海賊って、まさかこの前の?」
どさっ、と両手の荷物を落とす。
マリーンが戦闘態勢に入った。目付きが変わっている。
「心配するな。もう海賊に戻ろうとは思ってないから」
小さく両手をあげて、無害をアピールする。
「僕は研究ができれば、どこでもいいんでね」
「ふうん。正義に目覚めた、とかよりは信じられる答えですね」
「信じてくれたお礼だ。部屋まで荷物を持ってやるよ」
ウェルスがバッグに手を伸ばす。その手首をマリーンが掴んだ。
「?」
次の瞬間、ウェルスは一回転して地面に叩きつけられた。
悲鳴すら上げられず、失神している。
「え、ちょっと、マリーンちゃん」
「わたしの本に手を触れるなっ」
「えええっ?」
こんなキャラじゃなかったでしょ。
「それはともかく、この人どうするつもりですか」
何事もなかったようにマリーンが尋ねた。
「うん。あちこち案内してあげようかと思うんだけど」
「でも、この寮は男子禁制ですよ」
おお、そうだった。でも。
「ちょっとだけなら良いよね」
「汚ねえーっっ!」
未冬の部屋に入った途端、ウェルスは絶望的な声をあげた。
「お前、どうやったらこんなに散らかせるんだ。海賊船だってこんなじゃねえよ」
「温泉旅行から帰った時は、まだきれいでしたよね」
マリーンも口元を押さえている。
「はー、エマさんがいないと、こうなるんですね」
「マクスウェルの悪魔、という生物がこの世界にはいてね。そいつがどんどん散らかしていくんだよ。だからこれは仕方ないんだよ」
未冬が得意げに偽知識をひけらかす。
「それを言うならエントロピー増大の法則だろうが」
そして悪魔は片付けてくれる側だ。
「とにかく。エマさんが帰って来るまでに片付けた方がいいですよ。わたしは本の整理があるので手伝えませんけど」
マリーンは意外とドライだった。
そうなると。
「なんで僕を見る」
「だからゴミはそっち。洗濯物はこれに入れろと言ってるだろうが」
「ふえー、ごめんなさい」
ウェルスに怒られながら、半べそで片付けを始めた未冬だった。
何とか片付け終わり、未冬が床掃除をしている間に、ウェルスが洗濯までしてくれた。
旅行前から溜めていたので、結構な量だったのだが。
「なんだ、その干し方は。ちゃんと拡げろ。それじゃ乾かないだろうがっ」
やはり怒られていた。
「厳しい、エマちゃんより厳しいよ。MAXウェルスの悪魔だよ」
「くだらないこと言ってないで手を動かせ。地獄に落とすぞ!」
悪魔だ。本物の。
「じゃ、お茶、淹れますね」
やっと一段落した。未冬は恐る恐る声をかける。
返事が無い。ウェルスは、いつの間にか未冬のベッドで眠っていた。怒り疲れたのかもしれない。
寝顔はどこか幼さが残る。
「はぁー。男の子って、こんなまじまじ見るの初めてだよ」
そうだ、マリーンちゃんを呼んで一緒に観賞しよう。
未冬は静かに部屋を出た。
マリーンと二人して、そろーっと部屋の前に立った。
「行くよ、寝起きドッキリ」
「いや、起こしちゃダメですよ」
ドアノブに手をかけたその時。
「ぎやーっ」
部屋の中から大声がした。
慌てて中へ駆け込む二人。
「み、み、未冬が男になってるっ!」
叫んでいるのはエマだった。となりでまん丸い目になっているのはフュアリだ。
これで、やっと四人が揃った。
「あ、みんな。お帰りっ。寂しかったよう」
エマは入り口に立つ未冬と、寝ぼけ眼でベッドに起き上がった少年を交互に見比べた。
「お前はさびしいと分裂するのかっ」
「何を言っているの。落ち着いて、エマちゃん!」
「そうですよ。それは未冬さんの分身じゃありません」
じゃあ誰、この男。
フュアリが微妙な表情で、彼を指さした。
「えーと。マクスウェルの悪魔さん、です」
どうも、とウェルスは頭を下げた。
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