第31話 大空は希望の領域

 複雑な思いを抱えたまま、未冬は展望台へのエレベーターに乗った。

 訓練とは言え、友達に銃を向ける事がこんなに辛いとは思わなかった。なんだか本当に疲れた。


 また、海に向かって思いっきり叫ぶか。

 ふーっ、と息をつく。


 エレベーターのドアが開き、一歩外に踏み出した未冬の足が止まった。

 手すりに片肘をつき、海を眺めている白い制服姿があった。

 ユミ・ドルニエだった。

 長身と相まって、おそろしく格好いい。キマリ過ぎている。

 ふっと彼女が振り向いた。

 唇に紅いバラをくわえている、と見えたのはただのタバコのようだ。


「やあ、未冬。君も海を見に来たのかい」

 ぱちっ、とウインクする。

「え、ええ。まあ」

 手招きされて、ユミの隣に立つ。

「今日は、海も空も今ひとつだね。君の心も同じなのかな?」

 はは、と曖昧に笑う未冬。なんだろう、こいつは。


 近づいて見ると、タバコには火がついていない。

「ああ。これはダミーだよ。本物は超高価だし、私もそんなもので心肺能力を下げたくはないしね」

 彼女はそれを未冬に差し出した。

「どう、吸ってみる?」


 これって間接キッスじゃないか。

 一瞬考えたが、断るのも失礼だろう。黙って受け取る。

 唇にくわえ、すうっ、と息を吸い込む。

 おうっ。


 冷涼な空気が喉を通り抜け、胸いっぱいに広がった。

 まるで氷のような刺激だ。

 けほっ、けほっ。未冬はむせた。鼻の中まですーっ、としている。

「どう、すっきりした?」

「うん、すごく。冷たくて、はなの中が痛いよ」

 顔を押さえる未冬を見て、ユミは爽やかに笑った。


「あそこの空気はこれくらい冷たいんだ」

 ユミがそう言って真上を指さした。

「未冬は空を飛びたいんだよね。だったら知っておいた方がいい」


 連れていってあげようか。

 彼女が言った。

「本当、ドルニエさん?」

「ユミでいい」

 じゃ、じゃあ。

「ユミ、ちゃん」

 彼女は嬉しそうに微笑んだ。

「実は、未冬にそう呼んで貰いたかったんだ」


「後ろから抱えるから、手を横にして」

 言われるまま、未冬は手をあげた。ユミが後ろから身体に手を回し、胸の下あたりを軽く抱きしめる。

「うむう」

 うめき声をあげたのはユミだった。

「ごめん、ちょっと触ってみてもいいだろうか」

「だめです」


「いくよ、未冬」

 声とともに、ふたりの身体はゆっくりと浮かび上がった。

「怖くないかい」

 大丈夫だよ、未冬は元気よく答えた。

「じゃあ、本気だすから。泣くんじゃないぞっ♡」

 途端に、凄まじい勢いで加速を始めた。甲板がどんどん遠くなる。

「え、ひえーっ」


 加速が止まった。二人は空中に静止していた。

「下を見てごらん」

 ユミの声に足下を見た未冬は、息をのんだ。

 空母。彼女たちの住む都市空母の全景が見渡せた。

 巨大な金属の塊と思っていたが、その半分以上は農業ブロックや人工林の緑で覆われている。緑の大地だった。

「なんて、きれい」


「君に見てほしかったのさ」

「ありがとう、ユミちゃん。感激だよ」

 へへっ。ユミは手を離し、鼻の下をこすった。

「ちょ、あ、ええーっ!」

 悲鳴をあげる未冬。手、手が離れてるけどっ!


「ああ、ごめん。大丈夫さ。これくらい密着してたら落ちないよ」

 飛行能力が周辺の空間に影響を与えているせいだと云う。

「もう、びっくりしたな」

「どうだい。吊り橋効果で私の事が好きになったんじゃないかな」

「それが狙いですか。そんな訳ないでしょ」


 艦の上空をゆっくりと旋回しながら、降下していく。

「空を飛ぶって、どんな感じなのかな」

「ええ?」

「飛ぶぞ、って思って跳上がってるの?」

 ユミはうーん、と考え込んだ。

「赤ちゃんが立って、そして歩き出すみたいに、かな。いつの間にかだよ。歩き、走り、そして跳ねる。その延長みたいな感じだと思う。すまない、全く参考にならないだろう?」

 ま、そうだね。そういうものなのかな。


 すとん、と元の展望台に着地した。

「そうだ、未冬。零号試験機だけど」

「ああ、知ってるんだ。そうかレオナさんはお姉さんだったね」

 ちょっと困った顔になったユミ。

「一緒に暮らしたことは無いけれどね。今度あの人に会ったらよろしくな」

「うん。そうだ。だったらユミちゃんも行かない?」

 苦笑して手を振るユミ。なにか事情があるのだろう。

「あ、零号機がどうしたの」

「さっき私と空を飛んだ感覚を忘れないでほしい」

「うん?」


 零号機あれは、私の遺伝子と脳波パターンをコピーしたものがシステムの中心になっているんだ。

 私のクローン、みたいなものなんだから。


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