14

 僕は二人に、次の戦術の大まかな構想を伝えた。

 何メートルも下方。水野君が、翼を大きく羽ばたかせた。時間切れだ。もう、相談の暇はない。

 僕は、春花さんを抱き寄せると、天田の腕から抜けた。

 落下。

 何の支えもない高度に投げ出され、僕と春花さんは落ちていく。

 春花さんは、叫ぶ事もなく、ただ僕の身体にしがみつくだけ。

空覇神槌殺くうはしんついさつ!」

 飛翔する水野君に対し、自由落下を始めていた天田は、落下速度を急激に上げた。

 両者、上と下からぶつかり合う。

 縦一直線に振り下ろされたゴルフクラブが、水野君の頭をカチ割る。

 お互い、激しく反発し合って吹き飛び、墜落してゆく。

 さすがに心配になったが、大丈夫だと確信しているから天田はああしたのだろう。

 今は自分と、春花さんの事に集中。

 車のディーラー店が、すぐ間近に迫っていた。

 僕達の周囲の“空間”が固まり、クッションとなるように強く願う。前に天田を庇った時の要領だ。

 駐車場に、足から着地。衝撃波が僕らを中心に放射して、お店のガラスが次々に砕けた。停めてあった車の何台かが、大きく揺らぐ。

 かなりのショックと痛みに体を突き上げられる……けど、骨は大丈夫だ。

 敷地内は無人。とうに、騒ぎを聞いて避難しているらしい。よかった。

 僕は、よろめきながらも春花さんを下ろしてあげた。

 遠く、天田がビルの屋上に着地したのを目端で見た。こう言うと月並みだけど、猫みたいなやつだ。

 建物から建物へ跳び移り、僕らの方へ向かってきている。

 けど。

 濁流のごとき烈風が、店舗を歪め、周囲の車を転がした。

「神尾ぉおぉおオ!」

 水野君だ。

 やっぱり、天田より速かったか。仕方がない。

 天田と言う前衛を欠いた僕らでは、裸も同然。

 とにかく、間合いをとらなきゃ。

 そう思ったのだけど、水野君の姿がもう側にある。

 春花さんを突き飛ばすので精一杯。

 水野君の鉄柱のような蹴りが、僕の胸に潜り込んだ。ゴリゴリって音が、体の中から鼓膜を直接震わせた。

 地面に叩きつけられる。受け身を取って頭は死守。肩にヒビが入った気がする。

 まだ転がる。僕の体がゴミのようだ。

 仰向けに倒された青のワゴン車にぶち当たって、僕はようやく止まれた。

 春花さんも慣れたもの。

 直ちに僕の負傷を推測し、回復魔法を送ってくれた。

 まだ何本かあばらが折れていると思うけど、この際、気にしない!

 水野君は、相変わらず僕の目と鼻の先に食い下がっている。

 回復が追い付かない。

 このままではジリ貧。

 僕は、決意した。

「加速ッ!」

 そう叫んだ瞬間、世の中の全てが速くなった。

 僕自身の時間を、三倍早めた。

 水野君の動きもますます速く見えたけど、僕の思考も三倍速で巡っているから、それで見失うと言う事はない。

 水野君の爪先蹴りを寸前でかわすと、僕は掌をかざす。

「破破破!」

 光波を三発。

 水野君は、これも素早くかわそうとした。

 けど、一発が右肩をえぐり、右翼を引き裂いた。

 僕の体に異変。

 全身の骨が、激しく軋む! 折れるか折れないかくらいの、本当に微妙なラインで骨格がたわんでいる。

 過負荷のかかった筋肉も、いつ、どこがはち切れるか、わかったものじゃない。

 死ぬほど痛い。

 けど、これが時間加速の代償だ。仕方がない。

 再び春花さんを抱えると、僕は後ろ跳びに水野君から距離を取る。

 ダメだ、それでも水野君の方がやや速い。

「超・絶対零度! 業!」

 僕と水野君の間に、魔法を立て続けに展開。

 眼前は、超極低温の冷気。

 頭上では、空を覆い尽くすほどの爆燃。

 あまりの火力で、この一帯が夕方になった。

 水野君の動線に魔法を置く事で、牽制する。

 彼は、真っ直ぐ肉迫してきた。超・絶対零度の中を突き抜ける道を選んだようだ。

 けど、レジストしなければ、いくら水野君でも凍死は免れない。

 レジストに思考を食われる分、他の魔法を、おいそれとは使えまい。

 天田が来るまで時間を稼ぐのが、今の僕の仕事だ。

《そういや神尾さんよ》

 水野君の声が、一瞬で脳裏に刻まれた。

 彼自身は口を動かしていない。

 なるほど。思考を直接、こちらの脳に発信する事でのテレパシーか。

 これなら、一瞬で言いたい事が伝えられる。

 全身、霜でコーティングされた水野君が、上段から踵を落としてくる。

 僕はこれを辛うじてかわし、飛び退く。

「凝れ! 業!」

 再び地上と上空に魔法を展開。水野君に、また死の二択を突きつける。

《アンタ、倉沢サマに気があったんだろ。

 誰も気づいてないと思ってたんだろうが、ハタから見て、キョドりまくりでキモかったんだよ。

 隠し通せてると思ってたのは、当のアンタだけ。

 アンタをハブにした飲み会じゃ、いつも笑い話の種だったぜ。みじめだよなぁ?》

 水野君は、今度は飛翔し、業炎に焼かれるコースを選んだ。

《でも、今はその事に感謝してるぜ。

 アンタを追い詰めるのに、あの女は役立ってくれそうだからよ》

 炎に全身を冒されて、肉がみるみる縮んでも、水野君は止まらない。

 そして。

 僕に向けて、掌をかざす。

 何をする気だ。

 とにかく僕は、どんな魔法を撃たれても良いように、飛び退く。

 次瞬。

「神尾を減速」

 僕の周囲の空間が、陽炎のように歪んだ。

 これは!

 僕は、水野君に向けて紡いでいた魔法的思考を中断。

「加速!」

 そして、僕自身の時間を更に速めるように念じた。

 僕の周囲で揺らめいていた景色を振り切り、僕は走った。

 チッ、と、水野君の舌打ちが聴こえた。

《もう少しだったのになぁ。もう少しで、オレと同じ目にあわせてやれた》

 ぞくりと、背中が粟立った。

 水野君は、とうとう“それ”をものにしたらしい。

 僕が彼にしてしまった、時間遅滞魔法を。

 まともに食らったら、おしまいだ。

 僕は、体感一〇〇年以上の時を静止した世界で過ごすはめになる。

《ほらほら、立ち止まる暇はないぜ》「減速減速ぅ!」

 また、僕の周囲が歪む。

「か、加速!」

 再び、先と同じ要領で逃れる。

 当然だが、彼が僕の時間に干渉するよりも、僕が僕自身の時間をいじくる方が早い。

 けど、時間魔法のやり取りにばかり気を取られていては、他の魔法をまともに撃てるはずもなく。

《愛しの倉沢サマを、テメエの目の前でなぶり殺しにしてやる。生まれて来てごめんなさいと泣いて謝るくらい、むごたらしく殺してやる。

 テメエはそれを、一〇〇年かけて、少しずつ少しずつ見るんだよ!》

 水野君は、間断なく時間遅滞魔法を仕掛けてくる。

 僕は、それをさばくので一杯一杯だ。

「破!」

 時間魔法の合間、苦し紛れに光波を撃つ。

 水野君の腕に命中。肉が深々とえぐれるけど、足止めにもならない。

 思考を練る暇がないから、ろくに威力が乗らないんだ。

 水野君もそれを知ってか、僕の反撃を避けなくなった。

 それよりも、僕を一〇〇年の世界に閉じ込めたくて、意気込んでいる。

 水野君に減速させられるごとに再加速し、その度に、全身の骨と臓物が軋み、破裂しそうになる。

 痛みだけで脳がねじ切れそうだ。

 けど、僕は彼のペースに乗るしかない。

「神尾、来たぞ!」

 天田が来た。

 けど、水野君は見向きもしない。

 二倍速の時間を生きる彼にとっては、もう相手ではない。

「神尾を減速」

 何度目の呪文だろう。

「加速!」

 こう返すのも何度目だろう。

 そろそろ体の芯からねじ切れそうだ。

 水野君が迫る。

 今、殴られたら、次の時間魔法に対抗できるか、自信がない。

 効果が薄かろうと、光波で牽制しなきゃ。

 けど、

 僕はそうせず、

「天田を加速、三倍速!」

 水野君の足止めに向けるべき意識を、天田にシフト。

 果たして天田を包む空間が大きく揺らいだかと思うと、あいつは三倍速になった。

 豆粒のように小さかった天田が、もう水野君の背後にいた。

「はい加速。四倍速」

 水野君は、余裕然と唱えた。

 僕らが同じ事をすれば、反動で自滅しかねない領域の時間魔法を。

 そして、文字通り目にも止まらぬ回し蹴りで天田を迎撃。

 天田は、辛うじてこれをガード。

 けど、巨体が新幹線のような勢いで吹っ飛ぶ。

 そして間髪入れず、僕の腹に突き刺さる衝撃。水野君の拳が、まともに入っていた。

 衝撃が、僕の体内をことごとく蹂躙する。

 腹を殴られたのに頭が脳震盪のうしんとうを起こしかけて、意識が飛び飛びに。

 これでは、次の時間魔法に反応できない。

 僕や天田では、三倍が限界。

 けど、天使の体を得た水野君は、四倍でも余裕。

 これが、生き物としてのスペック差か。

 水野君は、悠々と、僕に手をかざす。

 ――僕抜きで、何とかやってくれ、二人とも。

 あとはもう、天田と春花さんに祈るしか出来ない。

「神尾を、減そ――」「天田さん、もっと強くなって!」

 補助魔法の光で、天田が神々しく輝く。

 水野君は僕に構いすぎて、春花さんの事をおざなりにしすぎていたんだ。

 天田が、更に肥大化した。

 贅肉と、それによろわれた筋肉が、ますます隆起を見せる。

 天田は胸を張って、力のたぎりりを誇示した。

 ついにシャツもジーンズも破裂し、あいつはほとんど全裸になった。

 天田が飛びかかる。

 水野君は鬱陶しそうに天田を迎えうつ。

 今更、天田の身体能力が強化された所で、時間の三倍と四倍との差は埋まらない。

 けど。

「天田を加速、四倍!」

 強化された今の天田なら、これに耐えられる。

鳴慟昇竜牙めいどうしょうりゅうが刹那万戦撃せつなばんせんげき!」

 もはや何がなんだか。

 天田が四倍速で叩いた地面は、このカーディーラーの大半を粉砕し、巻き上げた。

 そんな中、天田の何十発だか何百発だかわからない連打が、巻き上げた破片嵐ごと、水野君を滅多打つ。

 それでも、水野君は、天田の暴挙全てをガード。

 いくらか弾けた傷も、すぐさま治癒してゆく。

 これでは、致命傷にはほど遠い。

 けど。

「ここだ、天田!」

 僕は叫ぶと、地面のある一点を指し示した。

 すると、炎が大きく円を描き出す。

 まるでガスコンロの火だ。それ自体は、何ら害が無い。

「空覇神槌殺!」

 重力に逆らって急降下した天田が、真上から水野君を叩き落とす。

 水野君はこれもしっかりガードしたが、彼の体重も、せいぜい数十キロ。

 ダメージは無くとも、生じた推進力までは殺せず。凄まじい勢いで、地面に落ちた。

 受け身もしっかり取り、激突の衝撃も最大限、逃がしたようだ。

 しかし。

 彼は、僕が描いた炎円陣の中心にいる。

 そして、僕の脳内で、魔法の設計が完了した。

 あとは、呪文を口にすれば、終わる。

消去イレース

 僕がそう唱え切ったと同瞬、水野君の周囲に、透明なドームが生じた。

 水野君は、それを気に留めない。

 この一瞬で、僕が彼に致命傷を与えることなど不可能。

 それを、彼も悟っているからだ。

 水野君はただ、僕を見た。

 そして。

「加速、六倍――」

 彼を包む“空間のドーム”が瞬時に縮退。閉じた。

 そうしたら。


 水野君が消えた。


 忽然と、何の痕跡も残さず。

 水野君が立っていた地面も、綺麗な“おわん型”にくりぬかれている。

 破壊されたのでは無く、掘られたのですらない。

 その形状に、地面が“消えた”んだ。

「水野君、は?」

 春花さんが、未だ身を固くしながら、

 けれど、何かを予感したかのように、僕に訊いてきた。

「彼は」

 僕は、少しだけ言い淀んだ。

 覚悟は、したつもりだったけど。

 けど。

 これが、僕のもたらした、結果だ。

 僕はまた、水野君と言う人格を冒涜した。

 水野君は、

「消えた。存在の根幹から」

「……」

 僕が消した。

 彼と言う存在そのものを、この世界から。

 いわゆる“即死魔法”によって。

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