OVER THE CROWN

山本アヒコ

1

 宗和がライブハウスに行くと決めたのは半年ほど前だ。

 彼の足取りは軽い。前日の雨でできた、水たまりを踏む音さえも心地よい。

 歩いているのは雑居ビルの並ぶ街の一角。道は狭いがそれぞれのビルには多種多様な店舗が並び、人通りも多くにぎやかだ。

 ここに集まる人の多くは宗和と同じ大学生や高校生の若者である。場所が駅から数分と近く、またこの区画に大学や専門学校なども複数集まっているためだ。

 宗和は今年大学に合格し、故郷から出て一人暮らしをしている。彼が住んでいるアパートはここから数駅離れた場所で、まだ数ヶ月しか生活していない場所なので土地勘などはない。しかしその歩みに迷いはなかった。なぜらすでに何度も下見に来ていたからだ。

 時刻は十七時四十五分。太陽が傾き、ビルとビルに挟まれた通りは少し暗い。並ぶ店舗はその暗さをはねのけるLEDの光を放ち、若者はそれを浴びに集まる。

 宗和はこの場所に集まるような人間を見下す、どこにでもいる目立たない少年だった。そんな彼が今は、この場所に馴染もうとしている。そういう意識は無いのかもしれない。しかしその土地に住み暮らすとはそういうことだ。

 宗和が生まれ育った故郷は、数百キロメートルも離れた地方の田舎だ。娯楽などパチンコ程度しかなく、十代の人間が遊ぶ場所などどこにもない。自家用車が主な移動手段で、電車で移動しなければ若者はどこへも行けない。

 そんな場所で思春期に宗和は洋楽に出会い、それにのめり込む。

 どういうきっかけでその音楽に行き着いたのか、もう宗和は覚えていない。最初はクラスで目立つ人間たちへの反発心からだったのだろう。当時流行していた日本のロックバンドのファンだと言っていた彼らと同じになりたくなかった。

 テレビなどでたびたび見かけることがあり、CMなどでも流れるその曲と歌詞がどうにも宗和は気に入らなかった。自分の存在を誇大に宣伝し、恋や愛を薄っぺらな言葉で歌っているとしか思えなかった。

 自分が聴く英語の歌詞の意味などほとんど理解できないのに、そんなことを思っていた。

 中学に入学して親からもらったスマートフォンは、友達がほとんどいない宗和にとってコミュニケーションツールではなかった。教室で自撮りや動画を友達と撮影したり話題の動画を見たり、アプリで会話する彼らを馬鹿にしながら、宗和はイヤホンを両耳に装着してスマートフォンで洋楽を聴く。それが日常だった。

 それから月日は流れ、宗和は高校三年生になった。年末の受験追い込み、志望校は合格圏内とはいえ油断はできない。

 机の上に置いたスマートフォンから人の声が聞こえている。いつもは洋楽を流しながら勉強しているのだが、なんとなく気分転換にアプリでラジオを聞いていた。

『ではここで一曲聞いてもらいましょう』

 ベースだけのイントロが始まり、宗和の手が止まった。複雑なフレーズではない。彼が好きなタイプの曲は速弾きと呼ばれるもので、それとはまったく違うミドルテンポ。それなのに心が惹きつけられる。

 ギターとドラムとボーカルが融合してからは夢中だった。あれほど嫌っていた日本語の歌詞なのに、聞くたびに胸が熱くなった。

 やがて曲が終わり、宗和は聞き逃さないように耳を澄ませる。

『お聞きいただいたのはプロトンボックスでTurn off the lightでした』

 ライブに行こう。そう決めた瞬間だった。

 宗和は受験勉強の傍ら、プロトンボックスについて調べる。スリーピースバンド、結成して約三年、インディーズレーベルから初CDのミニアルバムを今年発売。知名度は高くなく、ほぼ無名といってよかった。

 宗和はすぐにCDをネットで購入する。ラジオで聞いた曲がもちろん一番だが、他の曲もすべて気に入るものだった。彼が好きなバンドに、初めて日本のバンドが加わった。

 そこから彼の受験勉強へのモチベーションがこれまでになく高まった。ライブに行くためだ。

 宗和が暮らすこの田舎にも、ライブハウスと呼ばれるものは近くにあった。しかしそこを使用するのは趣味でバンドをやっている者や、彼が嫌うスクールカースト上位の人間がやっている軽音部のコピーバンドもどきだ。もちろんプロのアーティストが来ることなどない。

 しかし宗和の志望校がある場所はここと比べればかなりの都会で、プロのバンドがツアーで回るライブハウスがあった。

 ある意味純粋で邪な気持ちで奮闘した結果、受験に無事合格した。

 宗和はそれからプロトンボックスのライブ情報を毎日調べるようになる。

 引っ越しが終わり数日が経過した夜、宗和はつい叫んでしまった。すぐ近くのライブハウスにプロトンボックスが来ると知ったからだ。

 発売日になると、この日のためにすでに登録していたアカウントでチケットサイトにログインし、ライブチケットを購入する。

 ついにライブへ行ける。それだけが頭を駆け巡っていた。

 一週間後、宗和はライブハウスの場所まで行ってみることにした。引っ越したばかりなので、もし当日に迷ってしまったらという不安があったからだ。

 最寄駅から数駅、はじめての場所に立つ。田舎から引っ越してまだ一ヶ月足らず、人の多さにはまだ慣れない。休日の街は道からあふれ出さん限りの人々に圧倒される。あまりにも多くの声が重なると、ひとの声ではなくまったく別の音のように感じる。

 スマートフォンで地図を見ながら歩く。場所は駅から近いので迷うことは無いだろうと思っていたが、雑居ビルで入り組んだ道は地図で見ると簡単だが、実際に歩いてみるとどの方向に向かっているのかわからなくなる。人が多すぎて見通しが悪く、どれも似たようなビルなのでランドマークになるものも少ない。

 何度か迷いそうになったものの、目的地にたどり着く。

 ビルの一階の壁に看板がある。『OVER THE CROWN』これがライブハウスの名前だ。まだ昼間なのでネオンは灯っていないが、夜になれば輝くのだろう。

 外観は外国映画にでてくるようなパブかカフェといった雰囲気。両開きの木枠のドアが印象的だ。ドアのガラスの向こうにCLOSEDの文字。営業時間は十七時から。

 しばらくそれを立って見ていたが、それ以上何ができるわけでもなくその日は帰宅した。しかしそれから何度もここへ来ることとなる。待ちきれなかったからだ。


 宗和は居酒屋とイタリアンレストランの間の路地へ入る。何度も通った道なので足取りもスムーズだ。以前は圧倒された人いきれも、自然に対応できる。今では周囲の歩くスピードに合わせることが可能で、わざわざ人にぶつからないように注意する必要もない。

 路地を出て左へ曲がり少し歩けばもう目的地だ。『OVER THE CROWN』の文字がきらびやかに輝いている。営業時間に来たことはなかったので、ネオンが光る看板を見るのは初めてだった。

 ビルの前には人が何人も並んでいた。スタッフのナイロンジャケットを着た数人が「並んでください」「広がらないようにしてください」などと列を整理している。

「整理番号二百番から二百五十番の方いらっしゃいますかー!」

 スタッフの呼びかけに、宗和はポケットからチケットを取り出す。二百三十九番。

 手をあげているスタッフに引き寄せられる人たち。なんだか修学旅行やバスツアーみたいだなどと思いながら、その一行に加わる。宗和は最後尾に並んだ。

「すいません、何番ですか?」

 不意に声をかけられて驚くと、同年代と思われる若い女性だった。最初はなんのことかわからなくて焦ったが、すぐにチケットの整理番号だと気付く。

「えっと、二百三十九番です……」

「そうですか」

 そう言うと女性は列の前のほうへ向かい、また人に番号を聞いていた。三回目で女性は列に加わった。

「整理番号はお客様どうしで確認してくださーい!」

 初めてライブハウスに来た宗和は、そういうシステムなのだとここで理解した。それと同時にトラブルが起こりそうだとも思ったが、他のライブハウスを知らない宗和は大丈夫なのだろうとそれ以上考えることを止めた。

 待機列にひとりで並ぶ彼は他人から見ると退屈そうに見えるかもしれない。しかし今の彼は退屈などとはほど遠く、これからはじまるライブに興奮している。

 昨夜はなかなか眠れず、プロトンボックスの曲を何度も繰り返し聞きながらイヤホンを装着したまま寝た。それなのにいつもより早く目が覚め、睡眠不足という感覚もなく、すこぶる快調だった。

 ライブは午後からだがアパートでじっとしている気分にもなれず出かける。もちろんライブのチケットは忘れない。スニーカーも今回のライブのために買い替えた。使い古したスニーカーは、靴底が少しはがれていたのだ。

 鍵を閉めたことを確認するとイヤホンを耳に装着。今日はじめて生で聴ける、これまで何度も聴いた音楽がはじまる。

 最寄駅からライブハウスの最寄り駅まで向かう。電車のなかでもイヤホンは装着したままだ。床の振動ですら今の心境はハーモニーにしてくれる。

 昼前の繁華街は休日なのでいつもよりにぎやかだ。引っ越した当初は戸惑っていたそれにも慣れたもの。人ごみをスムーズに通り抜ける。

 まず向かったのは大通りにある大型CDショップだ。以前に比べ大幅に売り上げが下がっていても、ここはまるでそんな事実は無いように感じる。いくつもの大きなポスターが貼られ、何百もの新譜と新人アーティストの写真が咲き誇っている。

 宗和は一階に大きく展開されている邦楽の新作コーナーに目もくれず、エスカレーターで三階にある洋楽コーナーへ向かった。フロアへ到着すると英語と力強い低音が、イヤホンの外からも届く。そっと指でイヤホンを外した。

 目立つ場所に海外の有名アーティストのCDが並んでいる。しかし宗和が好きなジャンルはヘヴィロックやメタルなどで、ポップスにはあまり興味がない。R&B、ダンスなどの棚をすり抜けて、やや奥にある棚へ向かう。

 その棚の店内スピーカーからは、ヘヴィなギターリフと叫ぶようなボーカルが流れている。棚を物色している人間は多くない。

 宗和は棚をゆっくりと見回る。色鮮やかな文字で書かれたポップで紹介されたCDをなんとなく手に取り、棚に戻す。それを何度か行い試聴機が並ぶ場所へ。視聴できるCDを見ていくと、ひとつ気になるものがあった。以前に動画サイトを回遊しているときに気になった海外のバンドだった。独特の鋭角的なフォントのタイトルと、炎でできたトカゲが大きなバイクに跨るジャケットデザイン。その番号を押してヘッドホンを装着する。

 重いがシンプルなイントロから、爆発のようにドラムが鳴りボーカルが叫ぶ。ヘヴィで恐怖心を煽るようなメロディとは反対に、透き通るように綺麗な高音男性ボーカル。そのギャップに宗和は一瞬で心を掴まれた。

 一曲目が終わると試聴機を停止。CDを持ってレジへ向かった。

 大好きなバンドのライブへ行く日に、すばらしい音楽に出会う。これは運命だとすら感じた。


 その後何人かに宗和は番号を聞かれ、前や後ろに人が増えると開場時間である十八時になった。

「それでは一番から百番までの方、ゆっくりお進みくださーい!」

 スタッフの誘導で列が動き始める。しばらくすると宗和の並ぶ列も移動し始めた。

 両開きのドアは開放されていて、そこに二人のスタッフが立ちチケットの半券とドリンク代の受け取りを行っていた。宗和もチケットと五百円玉を手渡す。

「こちらがドリンクチケットになります」

 スタッフから半券を切られたチケットと一緒に渡されたのは、金属製のコインだった。王冠のレリーフがあるので『OVER THE CROWN』オリジナルのコインだ。これを渡すと好きなドリンクと交換できる。

 ドアを抜けると中は右側にカウンター席と小さなテーブルが二つだけある小さな店だった。壁とカウンターの間の通路はあまり広いとは言えない。人がすれ違える程度だ。カウンターの向こうにはいくつも外国の酒瓶が並んでいて、カウンターも木製でなかなかいい店だと宗和は感じた。

 しかしそこには客の姿は一人もなく、スタッフが忙しそうに動いている。客である宗和とその他の人たちはカウンターを素通りしてさらに奥へ向かう。そこにはもう一つドアがあり、それは金属製で重い防音性を持つものだった。

 ドア一枚隔てた場所は、まるで別世界のように見えた。薄暗く決して広いとは言えない空間に、百人以上の人間がひしめいている。

 全体的に暗いなか唯一明るい場所が、正面にあるステージだ。天井からいくつもの照明がそこを照らしている。

 それを見た宗和の心拍数があがる。ステージ上に並ぶドラムセットとエレキギターとベース。ステージの両脇にある大きなスピーカー。これからライブなのだという実感に、思わず肩に力が入る。

 壁や柱にいくつも張り紙がしてあり『撮影・録音禁止』『痴漢注意! 見つけたらスタッフまで』『水まき禁止!』などとある。

「こちらでドリンク交換しています、お早めにお願いしまーす!」

 右側の壁際に小さなカウンターがあり、そこでスタッフがドリンク交換を行っていた。宗和はそこでのどの渇きを感じた。狭い場所で数百人も集まっているのだから、エアコンがあるにしても室温は高く空気もよくない。

 カウンターへ向かうとメニューが貼ってあり、ビールを販売していることがわかった。しかしコインで交換できるドリンクはミネラルウォーターとウーロン茶、オレンジジュースのみだった。宗和は少し悩み、オレンジジュースにした。スタッフが透明なプラスチックのカップに氷を入れ、オレンジジュースを注ぐ。カウンターに置かれたそれを手に取ると、横に若い女性が来てカウンターにコインを置くとこう言った。

「水ください」

 一口飲み、失敗したかと宗和は眉を寄せた。オレンジジュースがやたら甘く、乾いたのどに貼りつくような感触がしたからだ。それでものどが渇いているのは本当なので、しぶしぶながらそれを飲む。

 ドリンクカウンターを見ていると、ミネラルウォーターのペットボトルに交換する人間が多い事に気付く。自分もそうすればよかったと後悔した。

 ちびちびとカップを傾けながら、宗和はステージ側へ固まる人たちを後方から見ていた。客席の床は平面で、椅子などは無いオールスタンディングなのでステージが見えにくい。ステージはもちろん客側より高くなっているのだが、それほど高いわけではないので最前列でなければステージに立つ人間の全身を見ることはできない。

 徐々に人が多くなってくる。開演は開場から三十分後なので、その半分が経過した室内はほとんど人で埋まっている。

「もう少し前へつめてください!」

 スタッフが何度も注意することで人が徐々に圧縮されていく。それに流されて、宗和もいつの間にか集団の中ほどに吸収されていった。人の圧力が強く、半分は残っているカップの中身をこぼさないように苦労する。

 なるべく頭を上げて呼吸する。そうしないと前に立つ女性の髪の毛ごと吸ってしまいそうだから。それほどに密集している。

 そんな状況にもしばらくすれば周囲を見る余裕も少しでてくる。客は男性より女性が若干多い気がする。女性がライブハウスに行くという実感があまりない宗和には、それが意外だった。

 客のほとんどがTシャツにタオルを首に巻くという格好だ。その多くが同じデザインで、今日ここで演奏するバンドのグッズだった。

 宗和はそのTシャツもタオルも身に着けていない。なぜなら彼の目的であるプロトンボックスのグッズではないからだ。

 今日のライブは違うバンドのツアーであり、プロトンボックスはその対バンとして呼ばれていた。あくまでメインはそちらのバンドであり、客のほとんどがそうなのだ。

 このバンドは最近人気が急上昇していて、知名度もプロトンボックスよりかなり高い。すでにメジャーデビューして、シングル数枚アルバム三枚を出している。今回はその三枚目のアルバムの発売ツアーだった。まだミニアルバム一枚しか出していないバンドと比べる必用も無い。

 最前列はそのバンドグッズを身に着けた熱心なファンが並んでいる。彼ら彼女らにとってプロトンボックスなど眼中に無いだろうという予想は簡単だ。

「もう一歩前につめてくださーい!」

 スタッフの声でさらに人口密度が高くなる。その動きに流されて、宗和が立つ位置が変化してステージの若干右側となった。その動きがなかなか強く、何人か倒れそうになったりいくつか小さな声も聞こえた。

「んだよ、いってえなー」

 宗和がカップの中身をこぼさないように苦心していると、そんな悪態が数人前方から聞こえた。なんとなくそちらを見ると、派手そうな女性の肩に手をまわしている男がいた。その顔に見覚えがあった。

 髪を派手な色に染めていて、目が細くそれが相手に睨んでいるような印象を与える。その目が印象的で顔を覚えていた。それと耳の大量のピアスと耳たぶの大きな穴だ。

 男は宗和が中学の時一度だけクラスメイトだった田上だ。その当時から不良と名が通っていて、いまと同じ耳のピアスが目立っていた。

 田上は彼女らしき人物と同じバンドTシャツを着ている。もちろんプロトンボックスのものではない。

 文化祭の時、彼がバンドで演奏していたことを思い出した。たしか当時流行していた日本のパンクバンドだったかのコピーをやっていた。なぜそれを宗和が知っていたかというと、文化祭で演奏するバンドのなかに彼が好きな海外のバンドのコピーバンドがいたからだった。そのバンドの前がちょうど田上の参加するバンドだったため、興味がひとかけらも無いのに聞くことになってしまった。

 演奏はひどかった。出ているバンドのほとんどがそうだった。それなのに多くの生徒が、知っている曲だから一緒に叫んだり歌ったりして騒ぐ。盛り上がっている。

 次に演奏した宗和の好きなバンドのコピーバンドは、まったく盛り上がらなかった。しかし曲を演奏できているというだけで尊敬でき、ひどく羨ましかった。

 当時も今も、宗和は一切楽器は演奏できない。しようとも思っていない。なので軽音部には入っていなかった。大学のサークルに入ればこれまでいなかった洋楽好きな人間と知り合えると考えたりもするが、もともと人付き合いが苦手でこれまでろくに友達がいなかったため躊躇ってしまう。

「ねえー、まだ始まんないのー?」

「あ? もう少しだって」

 女性が退屈そうに言うと、田上は肩を抱き寄せる。

「狭いし暑いし最悪ー。汗かくし」

「だから我慢しろって。もうすぐなんだからよー」

「でもさー、最初は違うバンドなんでしょ? 誰も知らないヤツ」

「あー、俺も知らねえよ。曲も聴いたことねえしな」

 二人は顔を近づけて笑う。その笑顔にひどく嫌悪感がした。この場所でそんな会話を人に聞こえるように言う事にも怒りを感じた。

 今日のライブのために、宗和は対バンのバンドの曲も聴いてみた。どうしても自分には合わなかったが、この二人のように貶し笑うことなどできない。それはもう好みとかではなく、人間性の問題だ。

 この二人から離れようと思ったとき、照明が消えた。一瞬真っ暗になり、すぐにステージが明るくなる。点滅する照明が、赤、青、緑と光る。

 スピーカーから流れるノイズのように歪んだギターと不協和音のようなシンセサイザーの音。雑音のような音楽のなか、プロトンボックスの三人がステージへ出てくる。

 まばらな拍手。宗和もしようとしたが、カップを持っているので拍手ができない。慌てて残りのオレンジジュースを飲むが、溶けかけの氷がいくつも残っていた。

 三人は客を見たり煽る様子もなく、淡々とエレキギターとベースを装着し、チューニングをする。ドラムが確認するように数回叩く。

 拍手が消え、ノイズミュージックも終わる。赤色の照明で逆光になった彼らの表情は影になり、まったくわからない。人の壁で宗和からはギターとベースの顔が見える程度で、体までは見えない。ドラムはそれすら見えない。ギターがこちらから見て右側なので近く、多少は見えやすかった。

 ギターがマイクの位置を調整する。

「プロトンボックスです」

 その瞬間にライブが始まった。

 ミニアルバムの一曲目、収録曲のなかで一番テンポの速い曲だ。ギターのフレーズに合わせて照明が点滅する。初めてライブハウスで聞くベース音は頭を揺らし、ドラムの音は床から体を突き上げる。生で聴く歌声はいつも聞いているのとは違うようで、それでも同じように宗和の胸を熱くさせた。

 そのまま続けて三曲を演奏し、三人は飲み物を飲みチューニングをする。黙々と何かを喋ることもなく行い、終えるとすぐに演奏を始めた。

 さらに三曲続けて演奏。一曲は知らない曲だった。ミニアルバムは全六曲だったので、残り一曲だ。

 同じように水を飲み、チューニングを終えるとギターがひと言。

「最後の曲です」

 照明が暗くなる。うっすらと輪郭だけがわかるなか、ベースの低音が響く。

『Turn off the light』宗和の心を一瞬でちぎり取ったイントロ。

 三つの楽器が融合しボーカルが加わると、宗和はステージ上の三人を見ること以外何もできなくなった。

 耳に届く音楽が、見える景色を変容させる。天井をいくつも這うケーブルは植物の茎や蔦に、ステージを照らす照明は大きな花に。

 頭を振るたびに飛び散る汗が輝き、ドラムの振動に膝が砕けそうになる。ベースの振動が脳を上へ引っ張り、ボーカルが大きく口を開けるたびに宗和の口がかすかに開く。

 歌は終わることを、失うことを何度も語る。おもちゃやお金だったり、夢や友達に恋人。

 明かりを消して眠れば忘れてしまう。でも目覚めれば思い出す。

 また終わることを。また失うことを。

 それでも歩いていた。まだ、これからも。歌う。

 

 やがて曲は終わる。拍手。

 宗和は拍手もできず立ち尽くす。

「……ありがとうございました」

 ボーカルがそれだけ言うと、三人はすぐにステージから去っていった。

 客席の照明が明るくなると、大勢が話はじめる。BGMも再び流れ始めた。何人かはドリンクカウンターへ向かっていく。

 宗和はそこでのどの渇きを感じ、我に返る。氷が溶けて少し薄くなったオレンジジュースを一気に煽る。半分ほど残っていたがすぐに無くなり、残っていた氷が音を立てる。

 一息ついて先ほどのライブを思い返そうとすると、田上の声が聞こえた。

「つまんねー曲だったな。全然ノれねえし」

 たしかにプロトンボックスは四つ打ちのようにわかりやすく盛り上がる曲調ではない。しかし、つまらない曲などではないと宗和は奥歯を強く噛む。

「なあ、お前もそう思うだろ? 歌詞も暗いし顔も暗いし、ぜってえ売れねえわアイツら」

 そう言って田上は肩を抱いた女に笑う。

「えー? そんなこと言ったらかわいそーじゃん?」

「いやいや、もう解散したほうがいいって。どうせあんなバンド好きなやついねーんだからよ」

 宗和の持つプラスチックカップが音をたてる。女と笑う田上の横顔を、すぐ後ろから射るように睨んだ。

 しばらくすると照明が暗転する。複数の歓声が上がり、多くの客がステージなるべく近づこうと、一斉に詰め寄せた。室内の人口密度が局所的に増大する。いくつかの悲鳴が聞こえる。

 前だけでなく横にも流れが発生する。中央にいた人間が左へ右へ、左右が中央へ。大音量の音楽が流れステージの照明が点滅する中、数百人の人間が濁流のように混ざり合う。

 宗和も否応なくその激流へ飲み込まれる。しかしその瞳は、田上の後頭部から離れない。

 やがてバンドメンバーが現れると、客席の流れも幾分か緩やかになった。そのとき宗和は、人ひとりはさんで田上の後ろにいた。

 バンドのボーカルが「いくぞ!」と叫び「イェー!」と客が拳を突き上げ叫ぶ。ドラムのカウントでライブが始まった。何百人が飛び跳ねる。

「ウォー!」

 田上も叫びながら、肩を抱く女性と一緒に手を上にあげている。その背中に手を伸ばし、残った氷が溶けてできたカップの底に少しだけの水を、首の後ろにかけた。

「うわっ、冷てぇ!」

 突然のことに慌てる田上を見ることもせず、宗和はステージに背中を向ける。

「ちょっとすいません」

 謝りながら客たちの間を抜けて後方の出入り口に向かい、重いドアを押して出る。

 ドアが閉まると少しだけ聞こえる程度にライブの音は小さくなった。汗が出るほどだったライブ会場に比べ、こちら側は涼しい。

 ドアの前でぼうっと立っていると、若い女性が近づいてきた。年齢は二十代前半だろう。金髪のショートカットを針金のようにとがらせている。耳と首元にシルバーのピアスとネックレスが輝く。黒いTシャツには王冠のイラストがプリントされている。このTシャツは他にフロアやカウンターの中にいる人間も着ていて、この店『OVER THE CROWN』の制服だ。

「どうしましたか?」

「あ、その……少し気分が悪くなって……」

 女性の質問につい嘘を答えてしまう。

「え? 大丈夫ですか? 水飲みます?」

「は、はい」

 女性はカウンターへ向かうとガラスのコップに水を注ぎ持ってくる。

「どうぞ。あ、そのカップわたしてください」

 宗和は空になったプラスチックカップと交換に、水の入ったグラスを受け取る。手にグラスを持つと本当にのどが渇いてると感じて、半分ほどを一気に飲む。

「……ふう」

「本当に大丈夫ですか?」

「ええ、まあ。ちょっと頭が痛いかなってぐらいで」

 もう一口飲みながらなんとなく店内を見まわす。

 ライブ会場側の壁にはいくつもポスターが貼られていて、そこに幅広のテープが貼られマジックで『何月何日』とここでのライブの日が書かれていた。そのひとつに宗和の目がとまる。

「これって……」

 それは宗和が今日CDショップで購入した海外のバンドのポスターだった。それにもテープが貼られライブ日が書かれていた。

 宗和の目線の先を見て、女性の目が嬉し気になる。

「このバンド私好きなんですよね。今度の来日ツアー、ここに来るんです」

「……チケットってもう売ってるんですか?」

「はい、ここで買えます」

 宗和は女性の目を見ながら言った。

「一枚ください」

 この場所にはきっと何度も来ることになる。そう思った。

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OVER THE CROWN 山本アヒコ @lostoman916

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