七.流星を祀る大樹


 本当なら、今ごろは連れと合流して出国していたはずだった。

 ふいにしてしまった約束と待ちぼうけを食わせてしまった相手の心境をかんがみると、ロッシェはどうしても憂鬱ゆううつな気分がぬぐえない。


 つい最近まで彼は、いわゆる無政府地域に住んでいた。そこは力を持つ者が弱い者を従わせるという場所で、幾つかの派閥が覇権を巡り争ってもいた。

 当時はいつだって、厄介事に巻き込まれたり意に添わぬ命令を強制されたりという危険を避けるため、極力きょくりょく人と関わらず、関わる相手を信用しないようにもしていたのだが。

 本土に戻って約一ヶ月。法治国家に戻ってきたという思いが無意識に警戒心を鈍らせていたのかもしれない。考えてみれば、他者を力ずくで利用しようとする者はどこにだっているわけで、ろくに調べもせず首を突っ込んだ結果がこれだ。


「つまり、貴方の護衛をしろということですか」

「ああ。簡単なことだろう?」


 この一連の発端となった鍵は今、硝子ガラスの器に注がれた青透明な液の中に沈んでいる。聞きたいことは色々あったが、先に彼の目的と自分の置かれている状況を把握はあくしたいので、今はまだ視界の隅に認識するだけに留めておく。


 ざっくり言えば彼の目的は、樹海を抜けて聖域へと至り、鍵を使って精霊の力を解放する――というものらしい。それが何の精霊でどんな力を有しているかまでは聞かされなかったが、森に住む獣や魔物に襲われた時の戦力として自分が見込まれているということは分かった。

 ロッシェの隣でレモンラスクをかじっていたルティリスが、リトの広げた地図を見て首を傾げる。


「ここって、ユヴィラの森ですか?」

「そうだよルティ。目的の場所は森の最深部、君の村がある場所よりずっと奥だけどね」


 しげしげと地図を眺めるルティリスに、笑顔で応じるリト。彼の発言に引っ掛かるものを感じ、ロッシェは双眸を瞬かせてリトを見る。


「村のそばにそんな秘密があったなんて、びっくりです」


 素直な感動で頬を上気させるルティリスはきっと、気づいていないだろう。リトが彼女に鍵を託したのは、偶然ではない。

 どんな経緯があってなのかまでは読めないが、彼は森に詳しいルティリスを利用するためこの出逢いを仕組んだのだ。自分はそれにすっかり巻き込まれてしまった、ということか。


「ルティリス、君の村で精霊にまつわる祝祭が何かないかい?」


 確かめたいことがあるから、二人の会話に口を挟む。リトの黒い瞳に睨まれたが、気づかぬ素振りを決め込んだ。ルティリスがしっぽを揺らして考え込む。


「流星をまつる大樹、の祝祭が毎年十二月にあるんですけど、そのことですか?」

「火の見やぐら燈火ともしびを飾って夜通し行なわれる祭、だったかな。ちた星を受けとめて宿り場を与えた大樹の祀場まつりばは、君の村だったのか」

「はい。でも、村にも森にも天に届く高さの光る樹なんて、なかったですけど」


 聖域というのはいわゆる精霊力の吹き溜まりのことだ。ただ、吹き溜まるには当然理由があるわけで、それは近隣の村などに伝承として伝えられている場合が多い。

 何も知らない者から見れば些末さまつ的な会話だろう。リトはいぶかしむように二人のやりとりを聞いていたが、特に何も言わなかった。その反応からは、彼が自分と同じ事を知っているかどうかの判断はできない。


「うん、そうだろうね。そんなモノが現存すれば、どこからだって見えるだろうし」


 胸に一つの確信を抱きながら、ロッシェはそう応じて会話を終わらせた。

 確かめたいことはあと一つ。頬杖をついて値踏みするように自分を眺めているリトに、改めて向き直る。


「質問があるんですが」


 黒い瞳がすぅっと細められ、口元の端がつり上がった。

 自分のどんな言動が彼の感情をどう動かすのか把握しきれていないだけに、意図の見えない笑みに心臓が冷える。それでも、自分が動揺を見せればルティリスの不安を蒸し返しそうだから、努めて平静にロッシェは言葉を繋いだ。


「僕は『追跡』を予測すべきですか」


 この鍵は、聖地から奪われた物だ。作用や使い方を知らずとも、奪還のため現れたのがあの幻獣であればそれは疑いようのない事実なのだ。

 聖地とは世界の管理者たちの居城を含む地域の総称で、世界の全域に複数箇所存在している。

 各々の周囲には結界が張り巡らされているが、外界とまったく隔絶かくぜつされているわけではない。幾つかの聖地には宝物庫があり、世界に多大な影響を及ぼす物やいちじるしく危険な物が集められ、厳重に管理されているという。

 この鍵も恐らく、そういった魔法道具マジックツールの一つなのだろう。


 聖地の宝物庫に収められている物品の番は、人族には務まらない。魔法製の道具の中には人の心を魅了し狂わせる物もあるのだ。

 ゆえに聖地では、傑出けっしゅつした強さを持つ魔獣や幻獣に強大な魔力を与え、宝物の守護に当たらせる。その使役は一種の契約関係で、守護獣は無関係な者を襲わない代わり、自らの守護領域を侵す者を喰らうことが許されているのだ。

 自分を襲った金翼の獣を思い出すと、底冷えする怖さに息が詰まりそうになる。『炎の幻獣王Feliovard』と呼ばれるあの守護獣は、鷲の頭に獅子ししの身体を持つグリフォンという幻獣が炎の魔力を得たものだ。


 猛禽と猛獣の特徴をあわせ持つグリフォンは元来がんらいもっとも危険な幻獣の一種であり、村人が家畜を奪われたとか、旅人が襲われて命を落としたとかいう話も少なくない。

 剣士としてはそこそこの技量レベルと自負する自分だが、そんな危険な獣とあえて戦おうとは思えない。まして狐の部族ウェアフォックスであるルティリスにとっては天敵のような存在だ。自分の腕の中でどれだけの恐怖に震えていたかと思うと、彼女の前でその名を口にする気にはなれなかった。

 曖昧あいまいな言い方で濁したものの、ルティリスはやはり表情を硬くする。が、リトはロッシェの問いに対し得意げな顔で何かを取り出した。


「守護獣の襲撃は心配ない。お前が翼を切り落としてくれたおかげで羽根と血が入手でき、隠蔽いんぺいの術式を編むことが出来たからな」


 きらきらと輝く数枚の金羽。それを見た途端全身から血の気が引き、耳鳴りがした。隣のルティリスが一瞬で青ざめ震えだしたのに気づき、ロッシェは無理やりに声を吐き出す。


「すみません、それ、仕舞ってください」


 二人の様子の変化にさすがのリトも異常を感じたのだろう、すぐに羽根を仕舞い込み、立ち上がってルティリスのそばに行きそっと声を掛けた。


「思い出させてしまったかな。でも、もう襲撃されることはないから、怖がることはないよ。大丈夫だよ」

「……はい」


 目に涙を溜めてうつむきつつもうなずくルティリスを、リトが心配そうに見ている。そこからは本気の気遣いがうかがえるだけに、ロッシェは黙って重いため息を吐き出した。

 つまり、自分と彼女が守護獣の襲撃を受けている間ずっと、リトはどこかでその様子を観察していたということか。もしかしたら襲撃そのものも初めから予測していて、何が現れるのかを確かめたかったのかもしれない。


 おとりか、と心中呟き自覚したら、悔しさを通り越してひどく悲しくなった。獣を退けられたのは偶然の重なりによる幸運に過ぎない。

 あの時、苦痛と恐怖で一瞬意識を失いルティリスを手放してしまった時、本当は立ち上がる余力すらなかったのだ。もしも守護獣が鍵を奪還するという使命に立ち返らず、本能のままに自分を食おうとしていたとしたら、確実に自分も彼女も助からなかっただろう。

 守護獣が鍵のことを思い出し注意がルティリスに向いたことで、魔法を試す余裕が生まれた。それだって、魔法の苦手な自分にとって一番成功率が高いのが炎の治癒魔法だったことと、守護獣が炎の精霊力を宿していたこととが幸いし、普段以上の効果が得られたというだけだ。


 そこまで思考し、ふと気づく。

 自分は魔法を使う時に魔法語ルーンを唱えない。精霊と会話できるからなのか、昔から声に出さずとも魔法を発動することができたし、相手に気づかれないようそうする場面も多かったからだ。だからもしかしてリトは、守護獣との闘いの際に自分がわざと気絶を装い、ルティリスをおとりにして隙を狙ったのだと考えたのだろうか。

 そうだとしたら、初見で自分に対し激しい憤りを向けてきた理由も、納得がいくように思える。

 そんなつもりではなかったが、結果的にそうなったのも事実だ。だから今さら釈明するつもりはない。しかし、次があったとして自分がフェリオヴァードを討ち取れる可能性は、限りなくゼロに近いだろう。


 嘘つきめ、と声には出さず口にしてみたら、なんだか笑えた。

 隠蔽いんぺいの術式が仮に本当で、成功だったとしても、聖域におもむき魔力を解放するということは、自ら向こうにこちらの位置を教えるようなものだ。その時もまた自分はおとりにされるのだろうか。現時点では、どうとも判断がつかない。


「何か言ったか?」

「いえ、質問は以上です」


 ロッシェはそう答えて会話を終わらせる。

 【制約ギアス】の呪指輪が完成するのは恐らく明日だろう。【制約ギアス】は呪魔法の一つで、相手に何らかの禁止命令を課し行動を制限する魔法だ。考えられるのは二通り、『俺を殺すな』か『俺に逆らうな』。

 前者であればさほど困らないが、後者であれば行動の一切を制御されてしまう。そして、現時点で知れるリトの人物像からすれば、後者の可能性のほうが高いように思える。

 万が一指輪の呪いが不発に終わったとしても、転移魔法テレポートで樹海へ同伴させられてしまったら、転移を使える彼に従う以外、生きて戻るすべはない。


 どういう方向へ物事が進んでも最悪の未来を突きつけられている気がして、気分の悪さに耐えられずロッシェは無言で立ち上がる。さっきから呼吸がし難くて、胸が苦しい。リトが驚いたようにこちらを見たので、答えようと口を開く。


「済みません、少し目眩めまいがするので。やっぱり寝てきます」

「……そうか。まぁ、仕方あるまいな」


 思ったより同情的な返答に、ロッシェは思わず小さく笑った。

 悪い人物ではないのだ、恐らく。人の上に立つことに慣れ、人を使うことが常である者にありがちな現象だ。

 自分は彼をまだよく知らないし、彼も自分を知らない。酒でも飲みながら語り明かせば互いに印象も変わるだろうが、それまで五体満足で生きていられるのかどうか。


「出発は明日になる予定だ。ロッシェ、夕飯は食べられるだろう」

「はい。夕刻にまた起きます」


 そう言い残し、心配そうに見上げるルティリスに笑顔を返してから、ロッシェは部屋を出て扉を閉めた。気分は悪いが、寝るより今は一人で考える時間が欲しい。


「……ラヴェールに、何を願うつもりなんだ」


 ため息と共に心境を吐き出したら、少しだけ胸が軽くなった気がした。鎖を鳴らしつつ早足で部屋へと戻り、扉を閉めてからベッドを椅子代わりに腰掛ける。


 大樹は世界樹すなわち、植物の精霊王ユグドラシルだ。記憶と浄化、そして再生を象徴とするという。

 星は奇跡の象徴で、それが墜ちて大樹に宿るというのは、願いが叶うことの暗喩あんゆ。つまり、奇跡を司る高位精霊ラヴェールしか考えられない。


 つかめそうでつかめない予感がある。断定するには情報が足りず、しかしそれ以外に考えようのない〝願いごと〟を想像し、ロッシェは黙って重い頭を振った。





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