六.主従の鎖[後]


 昼食は、ベーコンと春野菜のパスタだった。

 広いテーブルの上にこれでもかと並べられた料理の数々に、ルティリスは両眼をキラキラと輝かせてリトを見る。


「すごいですっ! これ、全部リトさんが作ったんですか?」

「ああ、そうだよ。沢山あるから、好きなだけ食べるといいよ」

「わぁい! ありがとうございますっ」


 優しい笑顔で促され、そわそわと椅子に腰掛ける。

 パスタにポタージュ、サラダにフルーツに焼きたてのパンと。彩りと匂いが空腹の胃を刺激して、きゅるるとお腹が鳴った。思わず両腕でお腹を押さえたら、リトにくすくすと笑われた。


 テーブルにはもう二つ椅子が用意されており、一つはリトの席でもう一つはロッシェのだろうか。それを見てなんとなく安堵あんどする。

 いただきますを言って早速ルティリスが食べ始めたのと同時に、ロッシェがダイニングルームへ入ってきた。お茶をついでいたリトが気配を察して顔を上げる。


「具合はどうだ。食べれられそうか? ロッシェ」


 リトがごく普通にそう尋ねたからだろう、ロッシェは一瞬目を丸くし、それからテーブルに視線を向けて言った。


「これ、全部お一人で?」


 自分と同じ発言に思わずルティリスはお茶にむせ、リトは得意げな笑みを口元に上らせる。


「そうだとも。パスタが食べにくいなら、リゾットもあるが?」

「……では、そちらをいただきます」


 ロッシェの口調は淡々としていたが、リトは特に気分を害した風もなくキッチンの方へ消えて行き、しばらくして皿を持って戻ってきた。そして、立ち尽くしているロッシェに座るようにと目で促す。

 その一連をフォークをくわえたまま眺めていたら、隣に腰掛けたロッシェがルティリスを見た。そして、気が抜けたように笑う。


「大丈夫。だいぶ目眩めまいは治まったから」


 よかったです、と言おうと思って口がふさがっていたことを思い出し、ルティリスは代わりにこくこくと頷いた。リトがロッシェの前に皿とスプーンを置く。


「何か口にすれば食欲も戻るさ」

「戻らなかったら、残してもいいんですか?」


 邪魔な手錠を少しずらしスプーンを手にしたロッシェが、小さく笑ってリトを見上げる。応じてリトも、人の悪い笑みで答えた。


「ふぅん。まさか、俺の作ったものが食べられないとでも?」


 まさかここで喧嘩、と思ったルティリスの不安は杞憂きゆうに終わった。リトは返事を待たず自分の席に戻り、ロッシェも大人しく自分の食事に口を付ける。

 もしかしたらこの二人、心配するほどでもなく案外仲良しなのかもしれない。


「どうだい?」

「……すごく美味しいです!」


 リトが自分を見て尋ねたので、ちゃんと口の中身を飲み込んでから思ったままの感想を答えたら、嬉しそうに微笑んでくれた。隣で黙々と食べていたロッシェもそのやりとりにつられるように顔を上げ、リトを見る。


「何か言いたいことでも?」


 気づいたリトに問われ、彼はわずかに視線をさまよわせた後言った。


「今度、作り方を教えてください」

「……本気か?」


 いぶかるような応答にロッシェは首肯を返したが、リトは怪訝そうな顔のまま腕を組んだ。


「考えておいてやる」

「リトさん、わたしも教わりたいです!」

「そうかい? じゃあ、今度教えてあげるよ」


 ルティリスの便乗発言に対してはあからさまに態度の違うリト氏だ。一瞬ロッシェが動きを止めてリトを凝視し、察した彼に睨まれて無言で目をそらす。


「何か?」

「いえ何でも御座ございませんご主人様」

「だから、その呼び方はやめろ」


 どうしてリトはロッシェに対してだけ妙に横柄なんだろう、とルティリスは思いながらパンにバターを塗り、はぐりと噛みついた。

 多分にロッシェの態度があおっている節もあるだろうが、そこに意図があるのか本心からの恭順きょうじゅんなのかもよく判らない。


「このパン美味しいですね」


 思わず、頭で考えてることと違う言葉が口をついた。これもリトが焼いたのだろうか、得意げな笑顔がルティリスを見ている。

 ご飯が美味しいのは素直に嬉しい。


「料理、お好きなんですね」


 ぽつんとロッシェが言って、薄く微笑んだ。

 ここに来てからの彼の喋り方は、少し変わったように思う。初めはリトの脅しに対する当てつけなのだろうかと思ったのだが、それだけではないような気がする。上手く説明できないけれど。


「ああ。様々な材料を組み合わせてどんな味が出るのかを試すのがな」


 得意げに応じるリトも満更まんざらではない顔をしている。本当のリトと、本当のロッシェ。思えば自分は彼らについてほとんど何も知らない。

 精霊を解放したいという目的。自分は何を期待されていたのだろう。あの獣がロッシェの言うとおりに聖地からのつかいだとすれば、言われるままリトに従っていて良いのだろうか。

 仮にリトが目的を果たしたとして、目的を知ってしまったロッシェを彼は自由にしてくれるのか。


 考えても自分の中に答えがあるはずはないし、身体が治りきっていないロッシェは養生を最優先に考えているだけで、あきらめてしまったのではないと思うけれど。

 それにしても、こんなに美味しいご飯を作ってくれる人が悪い人だなんて考えたくないのだけれど。

 ぐるぐる考えながらポタージュをスプーンですくって口に運ぶ。


「あ、美味しい」


 さっきから同じ感想しか言えていない気がする。が、リトは嬉しそうに笑ってくれた。その笑顔はやっぱり悪い人には見えない。


「ルティリス、……付いてるよ」


 言葉少なに言ってロッシェが口の端に指を当てて見せるので、慌ててルティリスはナプキンを口元に押し当てた。

 こそっとうかがい見れば、ロッシェもリトも笑っている。


 仲良さそうに見えるのに。あの鎖さえなければ、仲良くなれそうなのに。

 リトさんはロッシェさんが嫌いですか、と思ったところで口に出せるものでもない。嫌い、ではなさそうだと思うけど、自分は結局今の状況を把握し切れていないのだ。

 仲良くなれればいいのに、と思う。

 脅したり、鎖で繋いだりしての協力関係じゃなく、いつかはちゃんと分かり合えて仲良くなって欲しい、と。思いながら、ルティリスは楽しみに取っておいた苺のタルトにフォークを突き刺した。





 ロッシェはゆっくりながらも一皿分は残さず食べられたらしい。リトが食器を片付けようとまとめ始めると、ロッシェが椅子から立ち上がった。


「僕が洗いますよ」

「無理だろう」

「平気です」


 暗に鎖を示唆しさしつつのリトの言葉にも、ロッシェは淡々と答える。呆けかけていたルティリスが思い至って勢いよく立ち上がった。


「あの、わたしが洗いますっ」

「大丈夫。君は彼と、話してて」


 柔らかい笑みながらきっぱり断られてしまい、ルティリスはきゅうんと耳をへにゃけさせながらうなずいた。うかがうようにリトを見れば、彼は口元に手を当ててロッシェの動きを観察している。


「割ったらどう責任を取ってくれる?」

「何をさせますか?」

「そうだな。おまえが洗っている間に考えておく」


 にやりと笑ってリトが言い、ロッシェは黙って曖昧に笑った。所在なげに二人を見ていると、リトがルティリスに顔を向ける。


「コーヒーと紅茶、どちらが好きかな。ルティ」

「え、……んと、ミルクティーがいいです」

「了解」


 リトが棚からカップとソーサーを出して準備を始めた。ロッシェがキッチンへ消えたのを見送ってから、ルティリスはこっそりリトに尋ねる。


「ロッシェさん大丈夫でしょうか」


 確かに、鎖が長いので両手は比較的自由に使えるが、長いゆえに食器と鎖がぶつかって邪魔そうだ。足の方も、普通に歩くだけの歩幅はありそうで、でも自分なら足に絡んで転びそうだと思うのだけれど。

 本当は外してあげて欲しいのだが、きっとリトにとってそれはできない相談で、恐らくロッシェもその意図を理解し納得はしているのだろう、けど。


「……無茶だと思うけどね」


 意外にもリトは複雑な表情で、そう呟いた。黒い瞳が動いてキッチンの方を見る。

 水音と、陶器や金属のぶつかる音。数刻聞いて、すぐに紅茶の続きに戻った。


「やっぱり手伝って来ましょうか」

「いや、いいよ。あれだけ言ったんだから、本当に割ったら責任を取らせる」


 くすくす笑いながら答えるリトは、なんだか楽しそうだ。


「責任って……何をさせるんですか」


 割ったら取り返しがつかないような高級な食器はないだろう、とは思いつつも、不穏な発言に不安がつのる。

 ただでさえ巻き込んで大怪我させて帰れない状況に追い込んでしまっているのだから、これ以上つらい目に遭って欲しくはないのだけれど。


「うーん、何をしてもらおうか。彼は、何が出来るのかな」


 それにしても、どうしてリトはこんなに楽しそうなのだろう。


「なんて顔しているんだい、ルティ。ほら、ミルクティーが入ったよ」


 ふわりと柔らかな甘さが鼻腔びくうをくすぐった。

 差し出されたカップに口をつけつつ、ルティリスは上目遣いにリトを見上げる。紅茶は美味しくて心がうきうきするのだが、キッチンの様子が心配で胸が締めつけられる気もして、なんだか気持ちが忙しい。

 リトは再度視線を傾けてキッチンの様子をうかがい、それからルティリスの前に座って頬杖をつき、にこりと笑った。


「心配しなくていいよ、ルティ。彼は、割るつもりだから」

「え、……え?」


 言い間違い、ではなさそうだ。意味が解らなくて目をぱちぱちさせるルティリスに、リトが口を開いて説明を加える。


「俺の出方を試しているんだよ、ロッシェは。ルティ、君は彼を信頼しているようだけれど、俺はまだ奴を信用はできない。それは無論、向こうも同じだろう。……解るかい?」


 思った以上にきちんとした説明だった。感情はともかくそれは納得のできる話だったから、ルティリスは素直に頷く。それを確認し、リトは続ける。


「今、彼は失血に加え精霊獣の魔力で負った傷の後遺症で、思うように動けない状態のはずなんだ。治癒魔法の効果か随分と回復は早いようだけどね。だから奴はまだ無理に逃げようとはせず、俺がどういう人物か知ろうとしているんだよ」


 昨夜のロッシェの話と言い、このリトの考察といい、自分が思っている以上に二人は互いを把握はあくしているらしい。その驚きに、上手いコメントが見つけられない。

 黙って耳を傾けるルティリスに、リトは間を置きながら話を続ける。


「実の所、奴が全快したらあんな鎖程度妨げにはならない。もしも彼が君と鍵を奪って聖地へ行こうと決めたなら、俺一人でそれを止めるのは無理だろうね」


 そう語る黒い瞳に浮かぶのは、不敵な輝き。リトにとっては、その時がタイムリミットなのだろう。

 それまでにロッシェが自分を信用してくれなければ、あるいは自分が彼を信用できないのであれば。その時は強制手段も辞さない、という意志だ。


「どうして、そんな危険を承知でロッシェさんを引き留めておくんですか?」


 今なら聞いても許される気がして、おずおずとルティリスはリトに問い掛ける。リトは気分を害したりはせず、静かに答えた。


「それは俺自身と君を守るためだよ、ルティ。その鍵を使うためには、深い森を進まなくてはいけない。道を探るため森に詳しい君の助けは必須だし、遭遇するであろう野獣や魔物に対処するのに、魔法や弓だけでは限界があるからね」


 その言葉に、やはり彼が本気で精霊を解放しようとしているのだと知る。いや、そもそも『精霊の解放』という目的自体、本当かどうかは解らないのだが。


「ロッシェさんにも、リトさんの目的をちゃんと話してあげてください」

勿論もちろん。彼が起きていても平気そうなら、今日の内に話すつもりだよ」


 そう答えを得て少しだけ安堵する。

 何も知らされないまま無理やり危険な旅に同行させられる、では、あまりに可哀想だ。かといって拒否権がないのも、どうかとは思うが。

 できれば無理やりとか不信を抱えながらとかではなく、お互い信頼しあって一緒に旅ができればいいのだけれども……それはきっと難しいのだろう。

 と、キッチンから謀ったように、ガシャン、と音がした。リトがふっと鼻から息を抜く。


「まだ、何をさせるか決めていないのに」


 カップを両手で抱えたまま固まるルティリスの視界で、ロッシェがキッチンから戻ってきた。その表情に悪びれた様子や恐縮した感じはない。


「すみません、皿が一枚犠牲になりました」

「わざとだろう?」


 リトに問われ黙って笑うロッシェは、確かにそういう顔をしていた。リトがテーブルの上で頬杖をついたまま、ロッシェの方へと瞳を向ける。


「何でもするんだろうな?」

「たかが皿一枚じゃないですか」

「故意犯の癖に何を言ってる。ひとまずそこに座れ」


 目で促して席につかせ、リトはじっと自分を見るロッシェを睨み返す。


「本当は午後も休ませてやろうと思っていたが、気が変わった。おまえには俺の仕事を手伝ってもらう」


 リトの言葉に目をみはったロッシェの雰囲気は、やはりルティリスが見知った彼のものと違っている。

 言葉にできない違和感を抱きつつルティリスは首を傾げた。

 昨日の夜に出会い、割と理不尽な主従の関係を結んで済し崩しに今へと到っているはずなのに、どうしてこの二人、ずっと前からの上司と部下みたいに馴染んでいるのだろう。


「肉体労働はまだ無理ですが」

「そんなことは知っているさ。俺が何をするつもりで、おまえに何をさせるつもりなのかを今から話してやる、という事だ」


 楽しげなリトと対照的に、ロッシェは黙って眉を寄せる。警戒に近い表情の彼を見て、リトの方はますます上機嫌だ。

 席を立ち、扉の方へ行って開けると、振り返る。


「おまえにも地図を見せてやるよ。作戦会議だ」





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